「ガトーラスク」のヒット戦略 希少価値…口コミなどで200倍近く成長

デフレ経済で消費が冷え込んだ2000年代の10年余りの間に爆発的にヒットし、今や売上高が150億円を上回る洋菓子がある。洋菓子メーカーの原田(群馬県高崎市)が開発した「ガトーラスク」だ。口コミを原動力に地方都市から全国区のブランドを作り上げた原田の戦略に迫る。
 ラスクといえば、余ったフランスパンに甘味をつけて2度焼きした“再生菓子”が元来の姿だ。しかし2000年代には、ちょっとしたラスクブームが到来。ラスク専門店や大手メーカーによる袋菓子も登場した。そんな中でも、百貨店で必ず行列ができるのが、原田のガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」だ。2000年の発売から同社は、メディアの露出や広告宣伝を極力抑えてきた。「生産体制が安定しておらず急激に売れても応えられない」との事情があったからだ。メディアや広告への登場は供給体制が安定してきた12年春以降で、今も積極的な売り込みはしていない。
 10年以上もの間、一部百貨店などの店舗とインターネット通販が販売と宣伝チャンネルだった。芸能人がテレビで自主的に紹介することはあったが、あとはギフトに用いられたりブログで書かれたりと、口コミが売れ行きを牽引(けんいん)してきた。これが結果的に希少価値を高め、さらに人気を呼んだ。「人に感動を与えるお菓子をつくりたい」と原田義人社長が話すように、製法にはこだわりがある。パン製造のノウハウを結集させ、オリジナルのブレンド粉やイーストを厳選しラスク専用のパンを開発。高品質の発酵バターを染みこませ「究極のラスク」を生み出している。
 06年には冬季限定でホワイトチョコレートをかけたラスクも投入。これが業界では「ホワイトチョコレート菓子は売れない」という常識を覆し、売り上げ増に拍車をかけた。こうして2000年のガトーラスク発売1年目は8400万円だった同社の売上高は、12年に約160億円と、実に200倍近くに成長した。売上高の9割がガトーラスクだ。早くから乗り出したネット販売は現在、売り上げの20~25%を占め、取り寄せ需要もつかむ。しかし店舗は関東12店舗と関西、中部、九州の主要都市のみで、百貨店の催事の出店要請にも「断る方が多いくらい」(広報担当)と、急展開はしない。
 現在も工場は全生産ラインで夜間も稼働しても生産が追いつかないほどだ。しかし同社は急激な売り上げ拡大には慎重だ。原田社長は「売れるからといって生産の倍々増はしない」と言い切る。「お菓子は飽きられるのも早い。品質を落としてまで量産しないよう、ある程度の抑制もしている」と話す。供給を抑制する販売戦略が、知名度を上げ、希少価値を高める好循環を生んでいる。
 同社のブランド名である「ガトーフェスタ ハラダ」はもともと、1901年創業の和菓子店だ。戦後はパン製造に着手し、焼き菓子も売るなどして高崎市新町の地元で顧客をつかんでいた。しかし、バブル崩壊後の不況で1990年代には売り上げが低迷。家族同様につきあってきた従業員の雇用も危うくなった。「ビジネスモデルを変えなければ生き残れない」(原田節子専務)と、起死回生をかけた商品開発に乗り出す。本社のある高崎市新町は観光地でもなく、地元ゆかりの菓子は難しい。そこで、パン製造の高い技術を生かしたラスクを主力商品とすることにした。他社と共同運営していた、給食用の製パン工場の一部を生産ラインに活用した。
 ガトーラスク発売から14年目となる今年3月には、約100億円を投じ、高崎市内に新工場を建設。約3万6000平方メートルの敷地には、ガトーラスクの生産も徐々に増設する。しかし、ラスクの生産拡大だけが目的ではない。新工場は新商品の開発と生産に重点を置くという。ガトーラスク一本やりではなく、新たな顔となる商品の開発を急いでいる。
 ガトーラスクの売れ行きは好調だが「ブランドの寿命は限りがある。刷新をしていかなければ下降が始まる」(原田専務)との危機感を持っているからだ。常に刷新し続けることは同社の命題だ。原田社長は「寄せられるクレームはチャンスと考え、すべて検証し対処する」という。「息の長い商品をつくるには常に進化しなくてはならない」と、考えるからだ。ヒットに安住することなく、ニーズの変化に目配りを続けている。低成長時代に高額なギフト菓子の売り上げを飛躍的に伸ばした秘密の一端は、こうした経営姿勢にありそうだ。(滝川麻衣子)

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