「ジャニーさん? 昔から皆、知ってることでしょ」マスメディアが30年以上性加害を見逃し続けた“やましき沈黙”の正体

 10月2日に会見を開き、新社名を発表することになるジャニーズ事務所。“戦後最悪”とも言われるジャニーズ性加害事件と日本政治史に色濃く残る“ある事件”には、共通点があった。ひとりのジャーナリストが読み解く、ジャニーズ性加害事件――。 【写真】性加害を繰り返していた若かりし頃のジャニー喜多川氏 ◆◆◆

「それは警察に行くべき話だろ」

ジャニー喜多川氏

 今からもう20年程前だが、週刊文春から、ある依頼を受けた。ジャニーズ事務所の創業者のジャニー喜多川氏、彼について、海外の大企業の見解を調べて欲しいという。  当時、文春は、喜多川氏が、事務所に所属する少年に性加害をしているとキャンペーン報道をやっていた。六本木にある自宅、「合宿所」に少年らを泊め、性的行為を繰り返しているという。  これに対し、同氏と事務所は、名誉棄損で文春を提訴した。一審の東京地裁は、名誉棄損を認め、文春に賠償金の支払いを命じた。双方が控訴し、2003年7月、東京高裁は、一転して性加害の真実性を認める。原告は上告したが、最高裁は認めず、翌年2月、高裁判決が確定した。  文春から依頼が来たのは、その頃だ。私は、編集部の記者と会い、被害の実態を聞き、訴訟記録の一部を読ませてもらった。今から思えば、海外のスポンサー企業の“外圧”を求めたのだろう。  だが、この問題が大きく報じられる前である。国際電話やメールで、欧米の企業にコンタクトしたが、ピンと来ない様子だった。その後、別の仕事でニューヨークやワシントンに行き、知人の米国人弁護士に意見を聞いた。何人かは、「それは警察に行くべき話だろ」と呆れたのを覚えている。  さらに驚いたのは、「ジャニ担」、テレビ局やスポーツ紙で、ジャニーズ事務所を担当する記者たちだった。所属タレントのネガティブな話は、とことん伏せ、追及する記者に尾行じみた真似もする。忖度とか配慮という域ではない。いずれにせよ、芸能界という特殊な世界で、異様な存在なのが強く印象に残った。

マスメディアの“やましき沈黙”

 それから20年が経ち、当時のことを思い出した。きっかけは、もちろん、最近の性加害報道である。  今年3月、英BBCは、「J―POPの捕食者 秘められたスキャンダル」を放送し、ジャニー喜多川氏の長年の性加害を取り上げた。翌月に、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏が、日本外国特派員協会で会見、被害を証言する。その後も、被害者の告発が相次ぎ、9月上旬、ついに事務所は、性加害を認め、藤島ジュリー景子社長の辞任を発表した。

 まるで長く凍りついた氷河が溶け、濁流となったようにも映る。外部専門家によるチームは調査報告を公表し、そこで指摘したのが、「マスメディアの沈黙」だった。  日本でトップのエンターテインメント企業、そのスキャンダルを報じれば、どうなるか。テレビ局は、タレントの出演を拒否され、雑誌は、記事を掲載できない。その危惧から、報道を控えた。そして、メディアの批判を受けず、「ジャニー氏による性加害も継続されることになり、その被害が拡大し、さらに多くの被害者を出すこととなった」という。  今後、各メディアで自己検証が始まるだろうが、じつは、それに格好の材料がある。今から半世紀前、文藝春秋が掲載した「田中角栄研究 その金脈と人脈」、そして、ジャニーズならぬ田中担当記者の姿だった。

約50年前の“田中角栄金脈研究”とジャニーズ報道の一致点

 戦後の総理大臣の中で、田中角栄は、異色の存在と言える。  雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴しかない。裸一貫で上京し、やがて建設会社の経営を経て、政界入りした。持ち前のバイタリティー、エリート官僚を操る手腕で、頭角を現す。そして、総理の座を掴み、長年の課題の日中国交回復も成し遂げた。それに国民は熱狂し、「今太閤」「庶民宰相」「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた。その人気は、今も彼についての本が出版されることで分かる。  同時に田中は、「金権政治」というダーティーな評価がついて回った。権力の階段を登る中で、政界に札束をばら撒いたという疑惑だ。それを、正面から取り上げたのが、ジャーナリストの立花隆と文春取材班だった。  文藝春秋(1974年11月号)に載ったレポートは、田中が、どうやって資産を膨らませたかを克明に描いた。特に目を引いたのが、幽霊会社、ダミー会社を使った土地取引だ。田中の金作りの基が「土地」にあるのは、すでに知られていた。だが、不動産の登記簿謄本まで集めた記事は、初めてだった。買い占めはもちろん、親しい実業家への国有地払い下げも目立った。  雑誌が発売されたのは10月9日で、当初、新聞やテレビ局は静観していた。流れが変わるのは、同22日、日本外国特派員協会の昼食会に、田中が招かれた時だ。ここで、海外メディアの記者は、相次いで文春の記事について質問した。金脈は一気に注目され、新聞がトップ扱いで報じる。そして翌月、田中総理は退陣を表明したのだった。

 まず雑誌が報道し、これを海外メディアが取り上げる。さらに、それを日本の新聞、テレビが報じ、大きな流れが出来る。この辺は、今回のジャニーズ事務所とよく似ている。  そして、当時、日本の政治記者、特に田中担当の記者は、世間の強い批判に晒された。長い間、すぐ側で取材しながら、金脈疑惑を知らなかったか。もし知っていたら、なぜ、書かなかったか。これについて、共同通信の政治部で田中を担当した野上浩太郎は、後年、著書でこう述べた。

「勇気は残念ながら私にはなかった」

「密着取材をしていながら、金脈疑惑の実態をほとんど知らなかったことへのやりきれなさは残る。ただ、弁解が許されるならば、実力政治家の密着取材と、巨額の政治資金をどういうやり方で集めているのかという取材は、なかなか両立しないのである。  確かに田中を担当しながら、政治に桁違いのカネを使っているらしいこと、小学校しか出ていない人物が54歳の若さで内閣総理大臣になるまでにはカネの面で相当『無理』をしているらしいことは、ある程度、分かっていた」 「その過程で、『あなたはどういう手段で政治資金を集めているのか』という質問をする勇気は残念ながら私にはなかった。勇気というより、その質問をすれば田中は激怒するばかりで、それ以後、政局にかかわる『本音取材』ができにくくなることは目に見えていた」(「政治記者『一寸先は闇』の世界をみつめて」)  これは、当時、田中を担当した記者全員の偽らざる気持ちだろう。  そして、野上は著書で、田中の金遣いの荒さを目撃したことに触れた。ゴルフ場でプレーを終え、キャディたちにチップを払った時だ。分厚く膨らんだ財布、そこから1万円札を10枚程、鷲掴みに引き抜く。それを1、2枚ずつ、黙って手渡していた。また、ある晩、築地の料亭を出た際、酔った田中は、1万円札の束を左手に握り、仲居たちに片っ端からチップを渡した。  いずれも、野上は恐ろしくなって、思わず目を逸らしたという。  ここで、田中角栄の功罪には触れない。だが、今まで読んで気づいた人もいるかもしれない。政治記者を芸能記者、田中担当をジャニーズ担当に置き換えても、立派に通じるのだ。  政界も芸能界も、大きな勢力を持つ派閥、事務所がある。ネタを取るには、派閥の領袖、事務所の実力者に「食い込む」必要がある。それには、まず密着せねばならない。また、相手の嫌がることを訊くのは、タブーだ。そして、食い込みたいあまり、取り込まれる者もいる。誰々「ベッタリ記者」というやつだ。

 その結果、金脈も性加害も見逃し、雑誌や海外メディアが取り上げ、火がつく。「マスメディアの沈黙」は、半世紀前から脈々と続いていたのだった。  ジャニー喜多川氏の性加害は、結局、取材する側、される側の関係に行き着く気がする。「ジャニ担」を廃止しろという声もあるが、そう簡単ではない。互いに信頼がないと、突っ込んだ情報は取れない。ろくに顔も知らない相手に、本音や秘密は明かしにくい。政治家と同じだ。  だが、まず編集部で、担当を分けることはできる。密着取材と別に、独自の取材をする者を置く。そして、金脈だろうが性加害だろうが、書くべきものは書く。当然、相手は怒って文句を言う。その時は、「係が違う」と突っぱねればいい。  また、その位、緊張感がある方が、長い目で双方のためになる。それは、今回、ジャニーズ事務所が存亡の機に立ったことで証明された。

「だって、もう昔から皆、知ってることでしょ」

 そして、問題は、これだけでない。  英BBCの番組が放送された直後である。被害者らが名乗り出る以前で、メディアも様子見だった。この頃、あるテレビ局のスタッフに、性加害を取り上げるかと訊いてみた。彼は、首を横に振り、「だって、もう昔から皆、知ってることでしょ」という。新しい情報はなく、報じる価値もないと言わんばかりだった。  じつは、これは、「田中角栄研究」が出た時、政治記者が言った台詞なのだ。彼らは、「知っていることばかりだ。新しい話はない」とうそぶいた。だが、本当にそうか。当時、日本経済新聞の政治部にいた田勢康弘は、著書でこう書いた。 「まだ駆け出しだった私にはさほどの判断能力もなかったが、なんとなく違うのではないか、本当は知らなかったのではないか、と感じていた。いまになるとそれがよく分かる。古い政治記者たちが知っていたのは、登場する人物と、カネをめぐるうわさなどにすぎない。  ジャーナリストにとって『知っている』ということは、活字にできるだけの裏打ちされた情報を持っている状態を指すのである。書けもしないレベルのうわさでは『知っている』ことにはならないのだ」(「政治ジャーナリズムの罪と罰」)  実際、立花と取材班は、終戦直後に遡って田中の資産形成を調べた。片っ端から、土地や会社の登記簿謄本を取り、田中に献金した会社のリストを作る。しらみつぶしに話を聞き、彼の経歴と重ね、年表や相関図も作った。それは、まるで砂浜に落ちた針を拾い集めるようだった。

 20年前、文春の記者と会って気づいたが、彼らは、性加害の現場の「合宿所」、その間取りも確認していた。ここまでやって、「知っている」となる。その意味で、ジャニー喜多川氏は、ジャーナリズムの最高の教材とも言えた。  ジャニーズ事務所が、これからどういう道を歩むか、予測するのは難しい。創業家の社長が辞任し、後任に東山紀之氏が就いたが、批判は止まない。“解体的出直し”ではないという。大手企業が広告契約を打ち切り、社名変更、タレントの移籍も取りざたされる。

30年前、自民党は分裂した。果たしてジャニーズ事務所の行く末は……

 ここで思い出すのが、かつての自民党の分裂劇だ。  1993年6月、自民党の小沢一郎、羽田孜らは、野党の内閣不信任案に賛成し、離党した。そして、羽田を党首に「新生党」を結成、政界再編をめざした。その後、党は新進党に変わり、小沢も自由党などを経て、今の立憲民主党に至る。  そして、この時、新聞に、新生党をこき下ろす文章を寄稿した男がいた。「田中角栄研究」を書いた立花隆だった。 「羽田新党とは何か。あなた方は、要するに経世会の分裂した片割れではないか。経世会とは何か。要するに旧田中派ではないか」 「田中が病気に倒れると、看板を経世会とかけかえただけで、田中派時代と全く同じように、金の力と数の力で政治を支配し、権力のうま味を思う存分吸い取ってきたのが、あなた方ではなかったか」 「ついこの間まで大親分の集めた黒い金を喜んでもらっていたのは誰なのか。政治改革という錦の御旗を振り回していれば、そういう恥ずべき過去をみんな忘れてくれるとでも思っているのだろうか」 「自分たちの過去にけじめもつけずに、何が新生だ。ちゃんちゃらおかしい」(「朝日新聞」1993年6月24日)  その8年前、田中は脳梗塞で倒れ、政治力を失った。そして、小沢や羽田は、自民党を出て政治改革を唱え、新党を結成した。だが、彼らこそ、田中派の中核だったではないか。そうした矛盾への強烈な皮肉だ。名前を変えただけでは、“解体的出直し”にならない。  金と数の力で君臨した派閥は、田中の退場で、あっけなく消えた。その後継者は、離合集散を繰り返し、漂流していく。ジャニーズ事務所が、はたして同じ道を歩むか、じっくりと観察したい。

徳本 栄一郎

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