「ジャニーズに触れないで」と言われ放送直前に降板も 梨元勝さんの芸能ニュース魂

大きな芸能ニュースが飛び出すたび、芸能リポーターとして長年活躍された梨元勝さん(2010年死去)の顔が声が思い浮かびます。ジャニーズ事務所が創業者ジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害問題に揺れる今、ネットでも「梨元さんがいたら」とよく名前を目にします。筆者は梨元さんが晩年発信の拠点とした携帯サイト「梨元・芸能!裏チャンネル」で仕事をご一緒したので、間近に接した梨元さんについて恐縮ですが手記として綴ります。

放送直前に降板 そのまま新幹線で帰京

携帯サイトのイベントで東海林のり子さんと(撮影:志和浩司)

 「でかい事務所には何も言えないのに事務所が小さいと寄ってたかって叩くのか」  梨元さんは芸能界で事件が起きるたび、よく憤っていました。力ある事務所への忖度をもっとも嫌ったのです。週刊誌で記者デビューした梨元さんですがキャリアのほとんどはワイドショーをメインにテレビを活躍の場に据えていました。しかし日本のメディアは大きくなるほどさまざまなしがらみから思ったことが言えなくなります。そんなことから、2005年に携帯サイトへ主戦場を移したのです。ところが実力ある編集者やデスクは、始まったばかりの携帯サイトに移籍することはありません。私のような場違いな、当時は「芸能ニュース素人」だった人間が編集担当となり、ご迷惑をおかけしたと思います。  間近で接する梨元さんは、「24時間梨元勝」という感じの熱い方でした。ご自身にとって貴重な収入源であるはずのレギュラー出演の番組でも妥協せず、放送前の打ち合わせで「ジャニーズには触れないで」と要請されたため静岡朝日放送の番組を即降板、そのまま新幹線で編集部へ戻ってきたこともありました。まだ興奮冷めやらぬ感じで「事務所の力や規模によって差別するのはおかしいんですよ」と話していたのを覚えています。  また、筆者も同行した藤原紀香さんと陣内智則さんの婚約会見では、報道陣多数のため大手メディアのみの代表質問になることが現場で申し渡されました。梨元さんは自分が質問できないとわかると「会見見るだけならここにいる意味がない。あとは任すから」と帰ってしまいましたが、とにかく報じることに関して妥協しないのです。

梨元さんが教えてくれた不要だった忖度

AKB48劇場で取材したことも(撮影:志和浩司)

 当時人気急上昇中だったAKB48は劇場開設期から取材に入れてくれ、信頼関係を構築していました。しかしAKB48のタレントについて週刊誌でスキャンダル報道が出た日、恥ずかしながら私の判断で様子見をしてしまったことがあります。他のメディアがどれぐらい扱うか見定めてから、さじ加減を考えて記事を出そうとしたのです。そのときほど梨元さんに怒られたことはありません。朝電話で叩き起こされ「なにトンチンカンなことやってんだ!」と。文字通り目が覚めました。  ちなみにそのニュースを報じたあともAKB48は変わりなく取材に入れてくれ、秋元康さんと梨元さんの対談も実現しました。忖度なんて意味がなかったのです。梨元さんはそのとき「事務所と仲良くなってもろくなことはないぞ。あいつは敵に回すと面倒くさいやつだと思わせるぐらいでちょうどいいんだ」と教えてくれました。

敵を作っても報じることの勇気

サイト開設直後、群馬の村祭りでPRする梨元さん(撮影:志和浩司)

 ちなみに梨元さんは、優しく繊細な心配りをする方でもありました。前述のようなことがあった後は、しばらくしてかならず「奥さんと特上の寿司でも食べてきて」とお小遣いをくれるのです。  敵も多かったですが、とてもメリハリのある方でした。今、報じる側にもメリハリが求められているのかもしれないなと思います。芸能の素晴らしい面を報じるのであれば、その影の部分も(報じるべきものについては)ちゃんと報じる勇気を持つことが、結局は芸能というジャンルを大切にすることにつながるのかもしれません。  ある日移動のタクシーの中で梨元さんが寂しそうに漏らした一言が忘れられません。  「芸能リポーターはおれたちの時代でもう終わるよ」 (文:志和浩司)

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