Facebook、Twitter、tumblr……現代人にとってはなくてはならない存在となっているSNS。知らず知らずに結構な分量の文章を書いていたり、文字数が制限されるTwitterでは慣用句やことわざを多用したりする場合も多いだろう。改めて文章を書いていると気付かされるのは、日本語のむずかしさ。聞きなれた言葉を誤用していたり、よく考えてみると意味がわからない慣用句を当たり前のように使っていたり。そこで今回は、『知ればどや顔 よくわからない日本語』(東郷吉男/有楽出版社)から、あまり知られていない日本語の意味を紹介したい。
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例えば、「行きついた最後のところ。結局。」という意味の「とどの詰まり」。この「とど」が一体何を指しているのか、ご存じだろうか? アシカ科の海獣トドを思い浮かべる人もいるかもしれないが、この「とど」はボラ科の魚のこと。ボラは出世魚(成長するにつれて呼び名が変わる魚)で、幼魚からキララゴ、スバシリ、イナ、ボラ、そして最後の老魚がトド。これ以上、成長しないことから「とどの詰まり」という言葉が生まれたのだ。
では「ビタ一文」、一文はご存じのとおり穴あき貨幣1枚という意味だが、「ビタ」とはなんだろうか。これは室町時代以降に私鋳された粗悪な貨幣「鐚銭(びたせん)」のこと。つまり“偽造貨幣すら出さない”、とにかく出さないことを徹底したことを表現しているという。
いまや死語になりつつある、「かまとと」も語源が実におもしろい。「かま」は蒲鉾の略、「とと」は上方で「魚」を意味する女性の言葉「おとと」のことだという。ある女性が「蒲鉾って、あれおとと(魚)からできているの?」のように言ったことに由来するそうで、「世俗のこと、殊に台所回りのことに疎いのが、良家の女性として慎ましいとする昔風の考えにねざした言葉の名残」だという。いまでは“性的な事柄を知っていながら、知らないように見せること”という意味合いが強いが、時代とともに「女性として慎ましいと思われる条件」が「台所回り」から「性的なこと」に移り変わってきたと思うと、言葉が生き物だということがつくづく感じられる。
誤用として気をつけたいのは、「姑息な」という言葉。「姑息」とは、実は「しばらく息をつくこと」というのがもともとの意味だそう。そこから転じて、「一時しのぎの。間に合わせの。物事の処理に根本的に取り組むのではなく、その場だけを取り繕って済ませようとするさまをいう」というのが正しい意味。「卑怯」という意味は含まれていないのだ。
このように、誤用しがちな言葉も語源を把握しておけばミスを防げる。SNSなど、言葉があふれる現代こそ、改めて日本語の面白さに目を向けてみてはいかがだろう。