厚生労働省が7日に発表した毎月勤労統計調査(1月速報値)は、市場に大きな衝撃を与えた。
その理由は、物価上昇の影響などを加味して賃金や給与を補正した「実質賃金」が、前年同期比で4.1%減となったからだ。この水準は、リーマンショックの最悪期である2009年12月の4.2%減(前年同期比、以下同)とほぼ同レベルの水準となっており、国民の収入に対する負担感はまさにリーマンショック級といっても過言ではないだろう。
名目賃金は0.8%と微増している半面、物価上昇のバロメーターである消費者物価指数は1月に4.3%の上昇を記録している。つまり、額面で国民の給与はじわじわと上がっているものの、賃上げを上回るペースでモノの値段が急騰している。多くの人が生活水準を切り下げざるを得ない状況に追いやられているのである。
では、来月以降に状況が好転する見込みがあるかというと、さらに悪くなる可能性が高い。
●依然続く値上げラッシュ
各国と比較して、依然として緩和的な日本銀行の金融政策は、国内のインフレを加速化させるリスクがある。特に4月は年度が更新されるタイミングであり、企業にとっても価格改定に乗り出しやすい時期だ。小麦価格も4月以降、5%ほど政府売り渡し価格が値上げされる見込みであり、インフレによる実施賃金のさらなる低下は避けられないだろう。
ここに追い打ちとなるのが、介護保険や雇用保険といった社会保険料の増額だ。4月納付分の介護保険料率は1.64%から1.82%に引き上げられ、過去最高となる。00年度の0.6%からついに3倍となり、雇用保険料率も4月から0.2%増の1.55%となる。
健康保険も、東京をはじめとした一部の協会けんぽ支部が料率の引き上げを予定している。例えば、協会けんぽ東京支部では4月納付分から健康保険料率が10.00%になる見込みだ。前月比で0.2%程度高くなり、ついに2けたの大台に達する。
消費税のような、ある種分かりやすい税目は、1%引き上げるだけでも大騒ぎとなるが、給与から天引きされ、内容が分かりづらい社会保険料の増額は意外と騒ぎにならない。このような社会保険料は事業者が半分負担するため、見た目上は労働者の負担感も半分になる点も影響しているだろう。
とはいえ、事業者の負担が増えれば、結局は賃上げペースを緩める形で労働者側に皺寄せがくることにもつながりかねない。逸失し得る賃上げ幅を踏まえると、やはり社会保険料の増額は労働者が割を喰らう可能性が高いというべきだろう。
それ以外にイレギュラーなものとして今後注目なのは、岸田政権肝いりの「防衛増税」だ。実現すれば、法人税が4~4.5%ほど上乗せされる見込みで、ただでさえ資金繰りに悩む経営者に追加の税金がかかってしまう。岸田文雄首相は23年の年頭会見で「インフレ率を超える賃上げの実現」を経済界に訴えたが、賃上げというアクセルと増税というブレーキを同時に踏むような采配について、どれだけの経営者が納得できるかは疑問だろう。
●130万円の壁、物価連動にすべき?
最後に、賃上げについて企業視点だけではなく、労働市場の仕組みからも見てみたい。日本は賃上げが起こりにくいとされているが、その一因に「130万円の壁」がある。
「130万円の壁」とは、年収が130万円を超えると、所得税や社会保険料が課税されたり、扶養控除が受けられなかったりすることで、トータルの手取りが100万円程度まで落ち込む問題をいう。このことから、意図的に130万円以上は稼がないパートタイマーやアルバイトの人材が存在している。
これらのプレーヤーの影響は、企業の賃上げ圧力を緩やかにする方向へ働きやすいと考えられる。彼・彼女らにとっては時給が上がっても下がっても、トータルの収入上限130万円は変わらない。収入上限のない労働者と比べて、最低賃金近辺での求人に応募することへのハードルが低いのだ。最低賃金でも人が集まるのであれば、企業は積極的に賃上げを行わなくても労働力が確保できるようになってしまう。
130万円の壁は、物価変動を加味していない点でも大問題だ。年金のように物価上昇率に応じて自動的に調整される仕組みがない。政府や国会が改正法案を立案して審議を通しているが、改正には非常に時間がかかるだろう。
実質賃金の考え方を踏まえると、例えば年率10%のインフレが発生した場合、年収130万円の労働者は、それまでの生活水準を維持するために最低でも13万円、合計で143万円まで名目の所得を伸ばさなければならない。そのためには、数十万円以上の収入を増やす必要があり、負担感が強い。130万円の壁があるために、生活水準を切り下げざるを得ないのだ。
足元の状況を踏まえ、国会では一部議員から「壁」を超過した部分を一時的に穴埋め給付する提案も出てきている。しかし、ここ10年ほど毎年のように物価が上昇していることを踏まえると、パッチワーク的な施策ではなく、本質的な観点で物価と連動した合理的な施策への転換が求められてくるのではないだろうか。
(古田拓也 カンバンクラウドCEO)