「ロンドンブーツ1号2号」の今後と新会社設立の理由

今年6月に端を発した吉本興業の“闇営業騒動”。その中心人物となったのがお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮さん(47)でした。騒動発生から騒動を複雑化させたウソ、いきなりの会見、そして今の思い―。相方の田村淳さん(45)が「なんでも聞いてください」と、一連の騒動の舞台裏を初めて明かしました。

このウソは大変なことになる

 “闇営業”の記事が出ると聞いた時、すぐ亮に電話をしました。当然、相手が反社会勢力とは知らずにそういう場所に行ったんだろうなと。それは思った通りだったんですけど、お金のことを尋ねたら「もらっていない」と。

 瞬間的に思ったのは「こんな場に行って、もらってないってある?それは信じられない」ということでしたし、それを亮にも言いました。それでも「もらっていない」と。

 ただ、これはTwitterでも書いたんですけど、僕の知ってる亮はウソをつくヤツじゃない。そんな思いが根底にあったのと、僕が決定的に信じたのは「入江(慎也)に頼まれた」という言葉を亮に聞いたからだったんです。

 というのは「田村亮一座」という亮の劇団があって、立ち上げの時に人の入りがあまり良くなかったんです。それを入江が自分の人脈を使って、すごく助けてくれた。だから、いつか恩返しをしたいという思いがあって、その入江からの頼みだったから無償で行ったと。

 ま、それだったら、逆に亮の性格だったらありえるだろうと思って。恩返しが理由というのも亮らしいし、僕は全面的に信じたし、だからこそ擁護しようとも思ったんです。

 でも、その数日後に亮から電話がありました。東京のミッドタウンで買い物をしてる時だったんですけど「今晩、時間を取ってほしい」と。夜は仕事だったので、時間を取ることは無理だと言ったら、そのまま電話で話すことになって「実は、お金をもらっていた」と。

 こっちも「エーッ!?」となりましたけど、とにかく会社(吉本興業)にすぐ言えと。「世間にも公表すべきだし、このウソは大変なことになる。オレもガッカリだし失望した」と伝えました。

 「お前が言わないなら、オレが言う」と言ったら「自分の口で伝える」と答えたので見守ることにしたんです。

いきなりの会見

 そこから、いわゆる闇営業に行った人たちが話し合って会社に言うことになったんですけど、今に至るまで、基本的に毎日亮に連絡はしています。

 ただ、ある日、亮と突然連絡が取れなくなったんです。その日、僕は仕事で福岡だったんでマネージャーに「亮と連絡が取れなくなった」と伝えて、東京に戻る飛行機に乗った。その道中、結局、亮から連絡が来たんですけど、その内容は「これから会見を開く」。それがあの会見の日(今年7月20日)でした。

 「なんで、こんなことになったんだ?」と聞くと「会社に自分たちの正直な気持ちを言いたいと言っても、なかなか実現できない。なので、自分たちで会見をすることにしたんだ」と。

 世間に言うことには賛成だけど、その形がこの会見で正解なのか。まず相談してほしかった。僕が間に入って会社に言えたこともあると思う。もう全てが決まってからでは、何をどうすることもできないですから。

 でも、それと同時に、そこまで追い込まれていたのかと…。僕に相談することもできないくらいに。そこは、なんか、僕も苦しかったですね。

 だから、最終的には怒ったりせずに「もう会見は決まってるんだから、ありのまま伝えて来い」と。それによって、事態がどちらに転ぼうが、どういう形になろうが、“正直に言う”ということが達成できたら、それは支持する。

 言葉としては「すまん。ありがとう」というすごく短いものでしたけど、やっとそこで亮がホッとしたのが電話越しにも分かりました。ずっと張り詰めていたものが緩んだというか。

 ただ、自分の気持ちを理論立ててしゃべるのがあまりうまくないから、会見でちゃんと思いが伝えられるのか。何より、そこが心配でした。

 でもね、実際に見ると、単純に安心したんですよね。亮が自分の思いを言ってるのが分かったので。そして、あいつは会見で泣いてましたけど、あれは悔し涙だろうし、申し訳ないという涙だろうし、あとは恥ずかしいという涙だろうし…。その姿を含め、僕が知ってる亮に戻ったんだなと。

吉本への信頼を失った空気

 家にもたびたび行きました。奥さんとも話したかったし、亮の子どもも心配だったし。一日にしてダンナの状況がガラッと変わったわけですから、奥さんにしても、それを受け止めるのは苦しかったと思いますし。

 亮の家にね、ソファがあるんです。そのソファって、僕も亮の奥さんに「このソファは100年座っても形が崩れない」と勧められて自分の家用に買ったソファなんですけど、そのソファを見て、奥さんが笑いながら言うんです。「最近、ズーッとこのソファに(亮が)座ってるから、型崩れしちゃって」と。奥さんも頑張ってくれてるなぁと…。

 そんな時の亮は、申し訳ないという気持ちはもちろんあるけど、自分の家の中だし、嫁の目もあるし、なんとも言えない顔をしてました。この先どうなるんだろう。そして、迷惑をかけた人にも会えてない。そんな不安もしっかりと見て取れました。

 そして、何より、その頃は“吉本に対して信頼を失ったという空気”がしっかりとありました。言わば、切腹を命じられたけど「やっぱ、切腹しなくていいわ」となっちゃったんで。そこは気持ちの持って行き方が難しかったんだと思うんです。

 でも、現場で支えてくれる社員も吉本だし、相方の僕も吉本だし。吉本全体を信頼できなくなるというのは違うと僕は思ったんです。そもそも、亮のウソが原因で会社も対応に追われてこういう形になったわけだから。

 それに対して「淳が言ってることは分かる。お世話になってる吉本だから、憎いわけじゃない。ただ、自分としては今までみたいには吉本と付き合えない」と言ってました。正直な思いだったと思います。

 ウソをついた負い目。勝手に会見した負い目。ただ、言いたいのに言わせてもらえなかった思いもある。ただ、吉本にしても言わせなかったのは、亮たちを守ろうとしていたことでもある。

 これは双方いろいろな思いが複雑に絡み合った状況になってるなと。一つずつもつれた神経をほどいて繋げていく手術というか、そういうことをやっていかないダメなんだろうなと感じました。

「病院に行こう」

 あと、会見後、気持ちのアップダウンがあまりにも激しくなってたんです。それを見て、僕は「病院に行こう」と言いました。「オレは医者じゃないからそこのジャッジできないし、これは診てもらうしかない」と。

 病院に行くと「適応障害」と診断されました。そこで本人も初めて「あ、そうなんだ」と気づくというか、意識をしたんです。それが会見から2週間くらい経った時でした。

 そこで、提案をしたんです。いったん、家族とも、仕事とも、東京とも離れて、旅に行ってこいよと。仲の良い後輩を連れてでもいいし、どこか行ったことがない場所を見てきたらいいんじゃないかと伝えたんです。

 結局、一人でしばらく屋久島に行くことになって、1週間ほど向こうにいました。そういう精神状態だったので変な流れになると良くないので“お酒は飲まない”という約束を一つだけ決めて。その間は僕もあえて連絡はしませんでした。

 そういう日々が少しずつ、亮の気持ちを柔らかくするというか、電話の声、話の内容、家に行った時の顔色、目の動き…。そういったものが良い方に変わっていきました。

新会社設立

 その中で唯一、僕が亮に確認してきたことがありました。それは「今後、芸能界で仕事をしたいかどうか」。

 この質問は、かなり初期というか「こんなこと、今のタイミングで聞くのも違うかな」という時期から、あえて聞いてきました。というのは、どこかで「もうやりたくない」となれば、すぐに解放してあげようと。それは、引退という形で。

 常に最新の気持ちを確認しておきたかったので、今に至るまで何回も「この仕事をしたい?」と聞いてきました。同じことばかり尋ねられたら、どこかで答えるのも面倒くさくなってくるものなんでしょうけど、この質問にだけは毎回気持ち良く「やりたい」と返事をしてくるんです。だったら、こちらも何か動こうと。

 そこで僕が考えたのは、僕が代表となって「株式会社LONDONBOOTS」を立ち上げることでした。亮がもう一度この仕事ができるようになった時のために。

 もちろん、この時点で復帰後の話をするのは早計だし、実際、復帰なんていつになるのか分からない。そもそも復帰できるのかも分からない。その状況は重々承知ながら、あえて今、このタイミングで会社を立ち上げる。その意味があると僕は思っているんです。

 まず、会社を作った理由から説明させてもらいますと、もし、また仕事ができるようになったとしても、これまで僕が話してきた感覚からすると、亮がいきなり吉本のど真ん中に戻って、吉本と向き合うのはしんどいだろうなと。

 だから、まず亮が「株式会社LONDONBOOTS」に入る。そして「株式会社LONDONBOOTS」と吉本が専属エージェント契約を結ぶ。

 専属エージェント契約というのは、基本的に吉本から「こんな仕事の依頼がありましたよ」という連絡が「株式会社LONDONBOOTS」に来る。それをこちらが受けたら、吉本に「お仕事の窓口になってくれてありがとうございます」という手数料を支払う。そういう仕組みなんです。

 「株式会社LONDONBOOTS」と吉本の専属エージェント契約ならば、仕事上の関係性というか、両者の間にしっかりと“橋”はかかっているけど、専属マネジメント契約ほど完全に吉本の中に入るのではない。橋によって吉本と繋がっているけれど、外に居を構えている。吉本と繋がりながらも、この距離感が亮には必要だと思ったんです。

 だから、まずは亮がこの仕事をやっていく気持ちがあるということ。そして、僕が会社を立ち上げること。そこに亮が入ること。そこの確認をして、11月11日に会社を立ち上げました。

 この形をやってみて、亮がもっと直接的に吉本と向き合えるような状況になったら、専属マネジメント契約にしてもいいし、専属エージェント契約すらイヤだとなれば、それを解除すればいい。

 ただ、あくまでも騒動を大きくしたきっかけはウソであって、それで吉本も右往左往したのは事実なんだから、そこの関係をきちんと直してから再スタートする。「それがオレはスジだと思うし、必要なことだと思う」と話して、この形をとることにしました。

今、会社を立ち上げる意味

 とはいえ、この橋は謹慎が明けて、もう一回、亮がお仕事をいただける状況になって初めて稼働するもの。今で言うと、橋はあるけど、ずっと“通行止め”みたいなものです。さらに言うと、もしかしたら、この橋は使われることがないまま終わるかもしれません。

 それでも今のうちに橋を建設しておく。「何を今の段階で、そんなことやってるんだ」という声も当然あると思います。でも、今かけておく意味がある。僕はそう思って作りました。

 まずは、亮に対して「会社を作るということは、お前にも責任が生まれるんだよ」というのを示して気持ちを鼓舞すること。

 そして、亮の家族に対してもというか…。「大丈夫!パパは少しずつでも動いていってるからね!」というメッセージもあります。

 さらに、これこそ早計と言われるかもしれませんけど、番組のスタッフへのメッセージでもあります。「いつになるか分かりませんけど、もしお声をかけていただける日が来たら、動く準備だけはしっかり進めています」と。こんなことはウソをついても仕方がないので、そこも確実にあります。そんないろいろな意味があって「株式会社LONDONBOOTS」を今、立ち上げようと思ったんです。

 ま、こんなことを言うのもアレなんですけど、亮の家に行く時は、僕一人じゃなくて、極力、スタッフさんと一緒に行ってたんです。というのは、亮の家族が「パパってこうなっても、誰も心配して来てくれないんだね」となるのがイヤだったんで。

 あとね、やっぱり亮がずっと苦しかったのは、普段、子どもたちに「ウソをつくな」と言ってるのに、あんなに大きくウソをついた姿を見せたこと。

 だから、亮が次に子どもたちにできるのは、ついちゃいけないウソをついたけど、ちゃんと謝って、反省して、次に繋げる。その背中を見せることなんで、その意味でも、批判を受けたとしても、今作るのがいいんだろうなって思ったんです。

 亮の現状で言うと、高齢者の方が詐欺被害に遭わないようにという活動を引き続きしています。自分で先方にアポを取って、だいたい週に2~3回くらいボランティアで啓蒙活動をやっています。「こいつ、こんなに知識があったんだ」と僕もびっくりするくらい、詐欺に詳しくなってますもん(笑)。

 本当に真っすぐなんですよ。いい意味でも悪い意味でも。無骨な猪武者みたいに。僕みたいに策略的に生きる人じゃないから(笑)。今、一緒に仕事をしなくなって、そこを強く感じます。

 「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)という番組でもね、ヒリヒリするようなドッキリを仕掛けている時でも、亮がいるといないで全然違うんです。ホントにね、特に何もしゃべらず、ただニコニコ見てるだけなんですけど(笑)、亮が中和剤というか。僕一人でやると「鬼のようなキャラクターが指示を出して人を追い詰めていく」という感じになりかねない。

 だから、僕が一人の時は知らず知らずの間に、鬼キャラに少しブレーキをかけてしまうし、少し優しくなる。これって本来の企画からすると良くないんです。それは分かっていたつもりだったんですけど、改めて「やっぱり、亮がその役割をしてくれていたんだなぁ」と感じています。

 亮がこの記事を読んだらですか?「ホンマに、淳はいろいろ考えてるなぁ」と言うと思います。この予想はね、きっと当たってると思いますよ(笑)。

 それがあいつ流の照れ隠しで、その中に「ありがとう」みたいなのが含まれているんです。素直に「いろいろ考えてくれて、ありがとう」とは絶対に言わないと思う。でも、僕にはそれで伝わる。その言葉があれば、十分だと思っています。

(撮影・倉増崇史)

■田村淳(たむら・あつし)

1973年12月4日生まれ。山口県出身。93年、田村亮とお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」を結成。94年に「銀座7丁目劇場」のオーディションに合格し、吉本興業に所属する。テレビ朝日「ロンドンハーツ」などに出演中。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

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