「三十貨店」では魅力がなくて当然でしょう

松岡 その発想自体がとんでもない間違いです。だって、消費者のニーズを無視していますから。
 現実の街を見てください。かつて新宿三越南館だったところには、何がありますか? 大塚家具の大型店です。同じく池袋三越の跡には、ヤマダ電機が入居しています。その向かいにあるのは、ビックカメラです。ほら、百貨店のあった場所には、家具も家電もカメラも売っているじゃないですか? しかも堂々の本拠地です。
―― あ、確かにそうだ。じゃあ、1980~90年代、百貨店が採っていた衣料アパレル分野への特化、という戦略自体が間違いだったと。
松岡 そうです。百貨店は、その名の通り、駅前立地の「百貨」店であるべきだった。当時、多くの流通コンサルタントたちが「自分たちの得意分野である衣料アパレルに特化したほうが、流通戦争で生き残れますよ」という甘言をささやいていましたが、その甘言に乗ったのもいけませんでしたね。
コアコンピタンスを取り違えた
―― ちょっとここで、話を整理しましょう。まず、今の百貨店不況の原因は、衣料アパレル不況にある。なぜなら衣料アパレル分野の消費はバブル時の半分まで落ちてしまったから。そして衣料アパレル不況に直撃されるようになったのは、百貨店が「百貨」を捨てて高級衣料専門店化して、売り上げを衣料アパレル分野に頼るようになったから。
 こうやって整理すると松岡さんのおっしゃる通り、「百貨」を捨てたのは間違いですね。でも、なぜ百貨店は、「百貨」であることを捨てて、衣料アパレル頼りになってしまったんですか?
松岡 それは百貨店自身が、自分たちの業態が何であるのか、自分たちのコアコンピタンスが何であるのかを完全に取り違えてしまったからです。
 では、百貨店とはどんな業態か。何が他の小売りと徹底的に異なり、何がコアコンピタンスなのか。答えを先に言っちゃいますね。
 百貨店とは、「都市部の駅前」に立地する、「多様な消費=百貨」に応える小売業態。以上です。
――都市部の駅前? 1990年代には郊外百貨店がずいぶんできたはずですが。
松岡 ほとんど討ち死にしているはずですよ。日本でも有数の優良消費者が住む東急田園都市線の郊外、港北ニュータウンに1998年にできた港北東急百貨店はわずか8年で改装を余儀なくされて、港北東急として専門店ビルとなり、ホームセンターやユニクロや大塚家具が入りました。東京最初の大型郊外住宅地、多摩ニュータウンにできた柚木そごうも1992年に登場したのち、2年ほどで閉店に追い込まれています。
 百貨店は、日用品を購入するGMSやホームセンターとは顧客層や顧客のニーズが異なります。百貨店の場合、都市部の駅前立地というのが、業態の一部なのです。百貨店の世界では数少ない勝ち組と呼ばれる伊勢丹だって、本当に堅調だったのは新宿本店など限られています。あれだけ消費者の多い吉祥寺ですら、苦戦を強いられることになりました。
―― でも、一方で、新宿や池袋のような大都市の駅前でも、三越は店を閉じましたよね。
松岡 こちらはもう1つの業態である「百貨」を捨てた、ということで説明がつきます。まず、池袋と新宿の三越新館はあきらかに規模が小さかった。ゆえに衣料専門店のような装いでした。
 新宿と池袋は、それぞれ日本を代表する百貨店激戦区です。池袋には駅に西武と東武の旗艦店が直結し、新宿には伊勢丹の本店、高島屋、小田急、京王がしのぎを削っています。衣料一本やりで勝てるわけがありません。
 その跡地には先ほど述べましたように、大塚家具とヤマダ電機の本店が入居しています。家具と家電は、1970年代までの百貨店にとっても重要な商品でした。家具や家電が駅前で売れなくなったのではない。百貨店自身が自分たちの業態を見誤ったから、経営が悪化したのです。
(つづく)

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