「仙台で培ったもの伝える」 手倉森監督、五輪代表監督に

J1仙台の手倉森誠監督が2016年リオデジャネイロ五輪を目指す男子のU-21(21歳以下)日本代表監督に就任することが10日、正式決定し、今季限りで仙台を退団することになった。会見した手倉森監督は「仙台で培ったものを代表チームに伝えていきたい」と意欲を語った。後任について白幡洋一社長は、手倉森監督が築いたサッカースタイルを継承できる人物を選んでいく考えを明らかにした。
 会見は午後7時過ぎから仙台市泉区のクラブハウスで行われた。スーツ姿で席に着いた手倉森監督は「Jリーグで監督をしている中で、いつかは代表でもという夢があった。まだ仙台のシーズンは残っており、しっかりと仕事をやり切りたい」と話した。
 日本サッカー協会からは2日に正式な要請があったという。「数日真剣に考えて、昨日(9日)受けることを原(博実強化担当技術)委員長に伝えた」と経緯を説明した。
 仙台での指揮は今季で6シーズン目になる。思い出に残る試合には「(2008年の)入れ替え戦の磐田戦と、東日本大震災後の川崎戦、(2012年の)復興元年の開幕戦となった鹿島戦」の三つを挙げた。
 白幡社長は後任監督について白紙としながら、「手倉森監督が築いてきた道をより発展させてくれる人を、強化部長と一緒になって探していきたい」と話した。
<仙台引き上げた手腕を高く評価>
 日本協会は手倉森監督の20年近い指導歴と、仙台をJ2からJ1上位に引き上げた実績を評価した。原博実強化担当技術委員長は「仙台で東日本大震災の後の大変な時期によくまとめた。Jリーグをよく知っていて、現場で長くやっている」と人選の理由を説明した。
 仙台には日本代表経験のある選手は少ないが、原委員長は赤嶺真吾、角田誠らの名前を挙げ「(他クラブで)うまく生かされなかったのが、仙台に行って中心選手としてやっている。いろいろな特長の選手を同じ方向に導ける」と選手の能力を最大限に引き出した手腕を高く買った。
 手倉森監督は記者会見で駄じゃれを交えるなど、ユーモアあふれる人柄も知られている。原委員長は「余裕もあるし、信念はぶれていない」と評価する。
◎一問一答 夢のような話/ノルマはメダル
 
 J1仙台の手倉森監督は、U-21男子日本代表監督に就任する意気込みを笑顔を交えながら語った。一問一答は次の通り。
 -監督就任をどのような思いで引き受けたのか。
 「代表の仕事は夢のような話。オファーが来た時は驚いたが、日本のためにトライしたいという気持ちに駆られた。仙台のチームに関わってきた人たちによって代表監督に押し上げられたという気持ちだ」
 -協会にはどんなことを期待されていると思うか。
 「協会はものすごく自分のことを調べており、『大切な世代をしっかり育ててほしい』と言われた。ロンドン五輪ではメダルを逃してみんな悔しい思いをした。リオでのノルマはメダルだと思っている」
 -代表でどのようなチームづくりをしたいか。
 「ベガルタで目指した堅守速攻は大崩れしないサッカー。そこがベースになると思う。日本は組織と規律にたけている。俊敏さを生かして機動力を高めていかないといけない。僕は口が立つが、今後はいかに目を利かせて選手を選べるかが鍵になる」
 -仙台の選手には伝えたのか。
 「今日伝えた。今後みんなとの時間が限られてくるので、いい仕事をしようと呼び掛けた。残りのリーグ戦と天皇杯で有終の美を飾りたい。(天皇杯決勝のある)1月1日までベガルタで仕事をするつもりだ。正式に発表された以上、下手な仕事はできない。勝って勝って勝ちまくる」
 -仙台のサポーターにはどんな思いがあるか。
 「震災後、東北の希望の光になろうと、おととし4位、昨年2位と躍進してきた。ことし『ビジョン』というスローガンを立てて、1年で去ることは心残りでもある。ユアスタでの仕事は本当にやりがいと張り合いがあった」
 「東北の力はベガルタで示した。今後外国との対戦となれば、日本の強さを世界に知らしめるようにやっていきたい。日本の力を世界で示す時が来た。代表でも東北の人を勇気付けたい」

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