「働いたら損をする」仕組みが生活保護制度を歪めている

生活保護の原則は「本人が持てる能力その他は活用することを要件として、最低生活に足りない費用は穴埋めする」ということだ。働ける状態ならば働くことを求められる。では翻って、生活保護は受給者の就労をより容易にしていると言えるのだろうか。

生活保護制度が抱える「働いたら損」の仕組み

今回は、生活保護と「働くこと」の関係について、そもそも制度が働きやすいものになっているかどうかからチェックしてみよう。

生活保護法の第4条には「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」とある。「生活保護は怠け者にまでお金をあげる制度」「生活保護があるから甘えて働かなくなる」という意見は根強いし、そう見られても仕方のない実態は一部・少数といえども存在する。しかし最初から、「働ける人は働く」が前提とされている上、就労に向けての助言・指導も行われる。「税金で安心して怠けていられる制度」というわけではない。  では、生活保護で暮らしている人々が就労し始めたら、暮らし向きはどうなるのだろうか。生活保護で暮らしている人が就労収入を得た場合、そのとき手元に残る収入を比べてみよう。なお就労収入からは、予め社会保険料・所得税・労働組合費・通勤費の実費交通費が差し引かれる。

単身者の場合、1万5999円までは「就労収入-必要経費=手元に残る収入」となるのだが、それ以上の収入を得ると「収入認定」が行われ、4000円多く稼ぐごとに400円だけ手取りが増える計算となっている。稼げば稼ぐほど、就労によって得た収入のうち自分のものにならない分(収入認定される分)は大きくなってゆき、たとえば10万円の就労収入を得た場合には7万6400円、15万円の就労収入を得た場合には12万1600円にも達する。

一見、「それだけ稼げるなら生活保護から脱却すればいいじゃないか。簡単に脱却できそうじゃないか」ということになりそうだが、高額の医療費を必要とする家族がいるケースなど、これだけの就労収入があっても生活保護から脱却できない場合はある。

では、家族が同居し、力を合わせて働けば、働ける人数が増えた分だけ、暮らし向きは楽になるのだろうか。「2人で働いても1人分しか収入が増えない」ということはないものの、働ける世帯員が増えて稼げば稼ぐほど、その世帯は「稼いだら損」になっていく。

これで「就労促進」と言っても……というのが私の正直な感慨だが、読者の皆さんはどうだろうか。なお、この「手元に残る収入」は、生活保護用語では「基礎控除」と呼ばれ、就労したことに対するインセンティブではない。「就労に伴って増える費用の分くらいは穴埋めします」という趣旨だ。

働いても最低生活しか送れない生活保護基準は「ガラスの天井」

このように、就労意欲を阻害するかのような仕組みとなっている理由の1つは、生活保護が保障するのは、あくまでも「健康で文化的な最低限度の生活」、すなわち最低生活であるからだ。生活保護のもとで就労して収入を得ることで、最低生活以上の生活が可能になることは、原則的に「まずい」とされているのである。このため、生活保護基準を超える収入は収入認定され、1万5000円を超えると、ほとんどが自分のものにならない。

収入認定の場面で手元に残るいくばくかの金額も、働いたことに対するインセンティブというわけではない。この金額(基礎控除)は、勤労に伴う必要経費として認められているだけなのだ。

むろん、生活保護で「1億円のタワーマンションが買えた」「新品の高級外車が買えた」となると、「何のための生活保護?」ということにもなるだろう。しかし、「働いたら損」という状況を放置したまま「就労促進を」と言っている現状は、あまりにも問題がありすぎるのではないだろうか。しかも、現状の生活保護基準は、もはや「健康で文化的な最低限度の生活」を保障できているわけではない。

とにもかくにも、現状の生活保護制度が、収入面で就労促進的になっていないことは間違いない。この状況を変えるためには、何が必要だろうか。

まずは、「生活保護なんだから、働いても『最低限度の生活』でいてくれないと許せない」、言いかえれば「生活保護を受ける以上は、生活保護なりの生活しか許さない」、もっと端的に言えば「差別させてくれなきゃ困る」という思いを、世間が捨てること。

さらに、「生活保護で普通の基本的な生活ができる、働いたらもっと可能性が増える」という制度が良いと考え、そのことを制度の形に表わしていくこと。これらが、私には、難しいけれども最も確実な解決方法に見える。

「就労モチベーション下がりまくり」働きたい若者がボヤく矛盾

生活保護の収入認定の現状、「働いても生活保護以上の生活は許さない」という仕組み、結果として「働いたら損」となっている状況は、実際に就労の意味を疑わせ、あるいは必要なのに生活保護から無理に脱却する状況をつくっている。

シングルマザーである病気の母親のケアをしながら定時制高校に通い、アルバイトで1ヵ月あたり8万円の収入を得ている10代女性は、「就労意欲下がりまくりですよ」とボヤく。彼女が8万円稼いでも、一家が使える現金は2万1600円しか増えない。

また連載第23回で紹介したアサコさん一家は、夫妻と高校生~就学前の5児を合わせた一家7名が生活保護で暮らしていたが、高校生となった長女がアルバイト収入を得るようになり、収入認定され、ほとんどが我がものにならないことに激しい不満を抱いたため、一家で生活保護を辞退することとなった。

生活保護制度は、生活保護基準という「最低限度」を保障する仕組みである。保護が必要かどうか、どれだけ必要であるかは、収入と生活保護基準の比較によって判断される(資産はないことが前提)。しかし、生活保護基準は、生活保護のもとでの生活の「最高限度」ともなってしまう。どうしてもこのような制度設計でなくてはならないのか、このことが弊害を生み出していないかどうかは、「自分がもしも生活保護で暮らすことになったら」という前提で、「我がこと」として考えるべきではないだろうか。

一方で解消しなくてはならないのは、生活保護基準が現在あまりにも低すぎることだ。そもそも生活保護基準が低すぎるため、就労によるメリットに若干の手当をしたところで「働いたら損」となる状況は変わらない。また、連動して定められる最低賃金も低く抑えられ、「生活保護の方がマシ」という低賃金・不安定雇用労働者の悲鳴を生み出している。

生活保護のもとでは、就労による本人のメリットがあまりにも少ない。このことは、不正受給の背景にもなっている。

やや古いが、総務省が2014年に公表した『生活保護に関する実態調査 結果報告書』に、2008年年度~2012年度の不正受給に関する詳細な分析がある。

「働いたら損」の気持ちが不正受給の温床の1つに

総務省の『生活保護に関する実態調査 結果報告書』のPDFファイルで63ページの表「不正の内容別不正受給件数の推移」を見ると、件数での第1位と第2位は「稼働収入の無申告」「稼働収入の過少申告」で、いずれの年も全体の50~65%を占めている。なお「パチンコで勝ったのに収入申告していない」は、「その他」に含まれているものと考えられるが、表にある6種類の区分のいずれにも当てはまらない「その他」は、全部合わせて10~15%程度である。

「制度に問題があるから不正受給は仕方がない」と言う気はない。しかし、就労意欲がある人もない人も、良心的な人もそうでない人も、ありとあらゆる個人の違いを「生活保護だから」に押し込めて制度を設計すること・運用することの非人間性が、不正受給も含めて様々な問題を生んでいる。そのように考えるべきではないだろうか。

では、何らかの事情で生活保護を必要とするようになり、働ける範囲で働こうと決意した人々には、どのような就労が可能なのだろうか。

まず、生活保護を必要とする状況に陥る人は、小学校中途からの不登校・経済的理由による進学の困難・障害・病気・高齢など、様々なハンディキャップを背負っていることが多い。このため、生活保護を一気に脱却できるほどの就労は、特に子どものいる世帯では困難なことが多い。単身者で「可能な場合がある」という感じだ。

それでも本人が努力し、周囲の支援もあり、就労が可能になったとしよう。就労収入に対して「収入認定」があり、ひとことで言えば「生活保護よりマシな暮らしは許さない」「働いたら損」となっていることは冒頭で述べた。

この上に、就労することそのものに対しても、様々なハンデが設けられている。もちろん、当初は「就労阻害」という意図で設けられたものではなかったのだろう。しかし現在の運用を『生活保護手帳別冊問答集 2016』で見てみると、「これで……就労促進?」という記述が並ぶ。

たとえば、「問8-18 収入を得るための必要経費の判断」という項目には、外交員の手土産・商店の歳暮・保育児送迎のための交通費の3つが挙げられており、これらを必要経費と認めてよいかどうかに関する解説がある。

外交員の手土産・商店の歳暮については、「成績をあげ、収入の増加をもたらす手段として」の必要性も考えられるが、限度や効果の測定が困難なため、必要経費として「一般的には認められない」となっている。

生命保険外交員の卓上カレンダーについては、「必要と認められるものであり、他の外交員との均衡を失しないものである」場合に限り、必要最低限度の実費を認めてよい、ということだ。ここでいう「均衡」とは、いったい何なのだろうか。

保育児の送迎については、「必要」「真にやむを得ない事情」があれば、最小限度の実費を認めてよいということだ。「残業で遅くなったのでタクシーで」は認められない、ということである。

この他、単身赴任や出稼ぎの場合の帰省に対しては、「就労に伴う必要経費」とは認められるものの、「真に必要な最小限度の回数にとどめるべきである」とされている。子どもに対して親であること、親に対して子であることを、生活保護が制約しているかのようだ。

なお、11月も後半に差しかかろうとする現在は忘年会シーズンの直前だが、忘年会の費用は基礎控除に含まれるとされているため、必要経費とは認められない。生活保護のもとで働いている場合、15万円の収入があっても2万8000円しか認められない「基礎控除」からのやりくりで、最低でも5000円程度の忘年会費を捻出せざるを得ない。就労すればしたで、最低限度の「おつきあい」に苦労することになる。

これでは生活保護から抜け出せないあまりにも「最低限度」が多すぎる

以上、生活保護のもとで就労した場合、どのような就労が可能か、どのような生活が可能になるかを、急ぎ足で紹介した。

最低限度以下の生活から、就労へとジャンプするために必要な何かを用意することは、どのような生活保護世帯にとっても容易なことではないだろう。それでも就労へのハードルを越え、就労を開始したら、就労に関しても「最低限度」であることを求められる。  これでは、就労による生活保護からの脱却を、わざわざ困難にしているようなものではないだろうか。もしかすると、2013年以降の生活保護制度に関する動きは、「働いても、どういう努力をしても、生活保護のままでいるしかない」という人々と、生涯にわたって生活保護と無縁な人々と、その中間で「生活保護の世界に一生押し込まれていたくなかったら、せいぜいあがけ」と言われているも同然の人々をつくるために、あったのかもしれないが。

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