「共謀罪で報道萎縮」は大ウソ、文春砲に勝てない新聞の泣き言だ

あの国連からも猛反対を受けた「共謀罪」。しかし、新聞やテレビ、通信社など大手マスコミが、この法律によって萎縮するかと言えば、答えはノーだ。こんな法律がなくとも、ハナから権力に萎縮しているのが日本の大手マスコミの大問題点である。(ノンフィクションライター 窪田順生)

共謀罪に猛反対する国連をシカトするのは悪か?

多くの関係者が注目したテロ等準備罪を新設する「組織犯罪処罰法改正案」(通称、共謀罪)の審議。激しい抵抗を見せる野党やマスコミだけではなく、「国連」からも反対の声が上がった。

12日、スイス・ジュネーブで開催中の国連・人権理事会で特別報告者のデービッド・ケイ氏が日本の言論と表現の自由を調査した結果を報告し、そのなかで以下のような「懸念」を呈した。

「当局者による直接・間接のメディアへの圧力、いくつかの歴史問題を議論する場の制限、国家安全保障を理由に情報へのアクセスに対する規制の増加を特に懸念している」(朝日新聞デジタル2017年6月13日)

先月末には同じく国連特別報告者のジョセフ・カナタチ氏(マルタ大教授)が、やはりテロ等準備罪で表現の自由が大きく損なわれるという「懸念」を、安倍晋三首相に書簡を送って伝えた、とメディアに公表している。

世界の平和と人権を守る国際機関が、これだけ馬鹿な真似をやめろと説得しているのにまったく耳を貸さないなんて、いよいよヒトラー安倍が戦争をおっぱじめようとしているのだと恐怖に震える方たちも多いかもしれないが、世界を見渡すと国連特別報告者の勧告をシカトしている国はわりと多い。

たとえば日本人も大好きなタイは、少し前にデービッド・ケイ氏から国王や王妃の侮辱を禁じる「不敬罪」が政治利用されていると指摘され、「民主国家には不敬罪の居場所はない」(朝日新聞2月9日)と刑法改正の勧告を受けた。

タイ人の友人知人がいる方ならばわかると思うが、かの国の王族への「親愛」は、日本における天皇・皇族に対するそれをはるかに上回る。「外野」の立場で見れば、ケイ氏の主張もわからんでもないが、タイ国的には到底受け入れられる勧告ではない。実際、あっさりスルーされた。

だからといって、日本もシカトをすべきなどと言いたいわけではない。ただ、「慰安婦」についての事実誤認が多く指摘されている「クマラスワミ報告」を例に出すまでもなく、これまでも「国連特別報告者」という人たちは、わりとよくダイナミックな「勘違い」を炸裂させている。

日本の報道の萎縮は今に始まったことではない

今回の共謀罪についても国連の言い分を丁寧に見て行くと、勘違いの匂いがプンプン漂っている。

なかでも最も眉唾なのが、ケイ氏やカナタチ氏が口を揃えて主張している「特定秘密保護法によって、日本の報道が萎縮している可能性がある」というやつだ。これは少し本気になって日本のマスコミについて分析を重ねれば、両者になんの因果関係もないことはすぐにわかる。

実は特定秘密保護法なんてのができる遥か以前から、日本の報道は萎縮しているからだ。

ご存じの方も多いと思うが、日本は世界一の「新聞大国」である。

読売新聞の1000万部は、旧ソ連のプラウダや中国の人民日報という社会主義国家の機関紙並みの普及率を誇る。さらに、朝日新聞や毎日新聞など、世界トップ10に入る「全国紙」が複数乱立している。

他の先進国では、新聞なんてのは多くても200万部程度、地域に根ざした50万部くらいの地方紙が圧倒的に多く、みな苦しい経営の中で、権力者の不正を追及している。そういう国の人が日本の新聞を見ると、こんなに資金力があるんだから、きっとガンガン権力の不正を暴いているんだなと考える。

だが、現実はそうではない。

象徴的なケースが、「新聞協会賞」だ。これは「新聞(通信・放送を含む)全体の信用と権威を高めるような活動」に贈られるものだが、そこには「政治」のスクープが極端に少なく、さらに「権力の不正を暴きました」と胸を張って言えるようなものになると、数えるほどしかない。

新聞協会賞が始まった1957年から見ても、2014年の朝日新聞社特別報道部の「『徳洲会から猪瀬直樹・前東京都知事への5000万円提供をめぐる一連のスクープ』と関連報道」、1993年の、やはり朝日新聞社会部の「『金丸氏側に5億円』と供述/東京佐川急便の渡辺元社長」をはじめとする金丸信自民党副総裁(当時)らの政界捜査をめぐる一連のスクープ、さらに89年の毎日新聞政治部による連載企画「政治とカネ」という3つくらいだ。

権力追及は雑誌の独壇場外国人も驚く日本の実情

「閣僚」への監視ということで見ると、もっとザルだ。

2000年代になってから閣僚の辞任を数えると、ざっと30件。そのなかで明らかな健康上の理由、および政局や政府の方針に逆らっての罷免などを除く「不祥事」による辞任は18件。その半数となる9件は『週刊文春』『週刊新潮』などの週刊誌のスクープが引き金になっている。

この傾向は近年にさらに顕著となっており、10年代に入ると、民主政権、自民政権通算で不祥事辞任閣僚は7人だが、そのうちの5人は「文春」「新潮」「ポスト」による報道で窮地に立たされている。

彼らの早刷りを手にして、会見で「これは事実か」とドヤ顔で糾弾するのが、新聞やテレビの「報道」ということになっているのだ。

なんて失礼なやつだ、と大手マスコミの方に叱られるかもしれないが、これは別に筆者だけがそう感じているわけではなく、ちょっと真面目に日本の報道状況を分析した方ならば誰でもこういう結論に至る。たとえば、米国のOpen Source Centerというメディア研究機関は、「政治や企業などほとんどのスキャンダルは新聞ではなく、週刊誌や月刊誌から公表されている」と驚きを交えてレポートしている。

プラウダや人民日報以上の購読者数を誇り、他の先進国の報道機関と比べ物にならないほど豊富な活動資金を有し、さらに番記者制度によって朝から晩まで権力者たちをベタマークしているにもかかわらず、日本の報道はずっと「萎縮」してきたのである。

むしろ、最近の方がまだ元気がある。思いっきり官僚の「食わせネタ」に乗っかった観があるが、森友学園や加計学園の火付け役は朝日新聞。ケイ氏らの懸念とは逆に、特定秘密保護法ができたことで、逆に「報道」らしい動きが現れてきたというのが現実なのだ。

政府による盗聴は当たり前でもアメリカの報道の自由は日本より上!?

この手の法律と報道の萎縮が関係ないというのは、他国の例を見ても明らかだ。

たとえば、スウェーデンがわかりやすい。

かの国は1969年にプレスオンブズマンという監視員制度をいち早く設けるなど「ジャーナリズム」に対する意識高い系の先駆けだ。公務員も「公共の利益」が大きければメディアにリークをすることが認められているなど、世界でもトップレベルの「報道の自由」が保証されている。

そんなスウェーデンで2009年に秘密保護法が制定された。「公共の利益」は認めつつも、国家の安全保障などに反する情報漏えいは許されなくなったのだ。

ケイ氏のロジックでいえば、報道が萎縮する「懸念」が一気に跳ね上がるはずだが、10年の「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」では9位とその影響は皆無だった。

また、ケイ氏の母国・アメリカは、ご存じのようにすさまじい監視社会であり、個人の携帯やらパソコンにいたるまですべてNSA(国家安全保障局)によって丸裸にされている、と元CIAのスノーデン氏が告発している。

当然、報道への「圧力」もハンパなく、国家機密へのアクセスには厳しい罰が与えられる。実際、13年には「ウィキリークス」に情報を流した陸軍上等兵が、禁錮35年の判決を受けた。

では、アメリカの報道の自由はどうかというと14年のランキングは46位。政府が盗聴をしているわけでもなく、自衛官が禁固刑を受けたなんて話もまったくない日本の59位よりも、遥かに報道の自由が保証されている、らしい。

これらの国を見てもわかるように、「報道の自由」と法規制や国家からの圧力に特に因果関係は見当たらない。ジャーナリストがバンバン処刑されるような国でなければ、「報道の自由」はむしろ権力側ではなく、報道をする側の覚悟や姿勢の問題なのだ。

新聞記者はなぜ取材源に「忖度」をするのか?

ならば、なぜ日本の報道は「萎縮」をしているのか。

実はその答えを、ケイ氏は昨年の訪日調査ですでに導き出している。日本にやってきて、ご本人いわく、さまざまな立場の報道に関わる人たちへの聞き取りをした後におこなった会見でこのように述べているのだ。

《記者クラブのシステムは廃止すべきだと思う。アクセスを制限するツールだ。記者クラブに加盟している人と記者クラブ外の人の両方に話を聞いて思うのは、(取材源へのアクセスを維持するために自分の論調を変えてしまう)「アクセス・ジャーナリズム」を助長しており、調査報道を弱体化させているということ。メディアの独立性にとって障害になっていると思う》(J-CASTニュース 2016年4月19日)

助長どころか、「アクセス・ジャーナリズム」こそが日本の報道における「王道」だというのは、官邸を取材源とする「読売新聞」と、前川前文科事務次官を取材源とする「朝日新聞」の論調がきれいに分かれたことが雄弁に物語っている。

情報源に依存して「忖度」をするというのは調査報道が必ず直面する構造的な問題だが、「文春砲」や「新潮砲」の場合はこのリスクを最小化できる。フリー記者という個人の人脈によって情報源にバラつきがあるほか、毎週異なるネタが報じられるという自由度から、そこまで「アクセス・ジャーナリズム」の影響を受けないのだ。

一方、新聞やテレビ、通信社の場合は「記者クラブ」という各社の利益調整をおこなう談合組織に頭までどっぷり浸かっているので、組織がまるっと情報源に依存する。ビタッと「アクセス・ジャーナリズム」が固定化してしまうのだ。

これこそが、規模や資金的には世界一ともいえる日本の新聞ジャーナリズムから、「文春砲」のような権力の不正を暴くスクープが出ない理由である。

アクセス・ジャーナリズムに浸る大手メディアは安倍総理を批判できない

そう聞くと、ひとつ疑問が浮かぶだろう。

なぜデービッド・ケイ氏は日本の報道萎縮が「記者クラブ」に元凶があるということに気づきながら、「共謀罪」やら特定秘密保護法やらを持ち出して、日本政府の批判に走ってしまったのか。

この背景を「産経新聞」は、ケイ氏のバックには国際的な人権団体がいて…みたいな「陰謀論」に持っていっている。そういう可能性も否めないが、個人的にはただ単に、ケイ氏の調査に協力した日本のジャーナリズム関係者が口を揃えて、「圧力を受けた」なんて被害者ヅラをしたからだと思っている。

大手マスコミが加計学園問題の本質である「日本獣医師会」や、麻生副総理ら文教族が名を連ねる「日本獣医師連盟」に対して切り込まないのは、自分たちの業界における「記者クラブ」問題とまったく同じからだ。

これまでも、この悪名高い談合システムを廃止せよという意見が出たが、そのたびに「記者クラブがないと、どこの馬の骨かわからないのが取材現場をめちゃくちゃにしてジャーナリズムの質が落ちる」と主張して強固に反対してきた。ケイ氏が問題視する放送法もまったく同じで、政治と官に働きかけて新規参入を阻むという意味では、やっていることは日本獣医師会とそれほど変わらない。

「文春砲」や「新潮砲」のようなスクープが出せないのは「記者クラブ」という既得権益に70年以上もしがみついてきて、「アクセス・ジャーナリズム」が骨の髄までしみついてしまったからだ。しかし、それが世間にバレたらマスコミの信頼は地に堕ちる。そこで「記者クラブ」から目をそらさせるため、報道を萎縮させているという「犯人」をつくりだして、被害者ヅラを始める。

そう、それこそが特定秘密保護法であり、「共謀罪」だ。

調査報告書がずいぶんと共産党の見解に近いんじゃないのと指摘されたケイ氏は、「共産党に知り合いはいない」と否定する一方で、「野党の人やマイノリティーの権利をどう守るかだ」と彼らとの距離の近さを匂わせた。

いろいろ面倒をかけた「お友達」にはどうしても甘い評価になる、というのはなにも安倍首相だけではなく、人間ならばしょうがない。それは、表現の自由の専門家を名乗るエラい学者先生だって変わらない。

世界は「アクセス・ジャーナリズム」という名の「忖度」に満ち溢れているということを、国連の特別報告者は教えてくれている。

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