「地方創生」がダメになった理由

地方創生とは2014年9月に第二次安倍改造内閣が発足した時に掲げられた、東京への一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけるための政策をいう。

あれから3年の時が経過した。最初に地方創生担当大臣に石破茂さんが就任した頃は、メディアでは、ほぼ毎日のように地方創生の単語を見つけることができたし、地方創生に取り組む自治体や関係者の姿が頻々と報じられたものだ。

今やすっかり日陰者扱いの「地方創生」

ところが最近では地方創生というスローガンは、国会でもメディアでもあたかも忘れ去られてしまったかのような扱いとなり、いつのまにか「一億総活躍社会」にその名を変え、総選挙後は、「働き方改革」「生産性革命」へと猫の目のように政策が変わる中、地方創生は日陰者扱いになりつつあるというのが現状である。

ではなぜ地方創生というスローガンが表舞台から降ろされてしまったのだろうか。その答えは端的に言って「うまくいっていない」からだ。

東京への一極集中を改め、地方の人口減少を押しとどめ、国土の均衡ある発展を目指すという政策自体は何も目新しいものではない。かつて田中角栄が自らの著書「日本列島改造論」で唱えたのも、地方経済を豊かにするために全国に高速道路や新幹線を整備していこうというものだった。地方をなんとかしよう、もう一度輝きを取り戻そうという動きは、その後も何度も繰り返し唱えられてきたのに、掛け声倒れに終わってしまうのはなぜなのだろう。

豪華すぎる施設にまばらな人影

私も仕事柄、地方に出かけることが多い。それは講演や、地方でのプロジェクトのプロデュースといった仕事である。そしていつも感じることは、日本の地方は、私のような東京者が思っている以上に見た目は「豊か」であることだ。

先日もある地方都市にでかけて度肝を抜かれたのは、ものすごく立派な図書館や美術館、五輪が開けるのではと見紛うような豪華なスポーツ施設などが整備されていることだった。東京者からみてもなんとも羨ましいばかりの公共施設の数々である。

ところが、その立派な図書館の中を歩くと、とにかく人が数えるほどしかいない。スポーツ施設は立派ではあるけれども、中に入って見ることができるのは、ママさんバレーと高齢者のテニスといったところだ。こうした施設を持つことがいけない、とは言わないけれども、誰の目から見ても「オーバースペック」の建築物であることは間違いない。

国内のほとんどの地方都市は厳しい財政状況にあり、とてもこんなに立派な施設を建設する余裕はない。ところがこうした施設の財源の多くは地方交付税交付金や補助金などの「中央のおカネ」で賄われているのが現状だ。

地方都市の幹線道路は大手チェーン店ばかり

立派な施設がたくさんできているのは、言い換えるならば、それだけ中央からたくさんのおカネを頂戴できていることの証とも言えるのである。

また地方都市の幹線道路で車を走らせれば、そこで東京者の私の目に映るのは、大手チェーンの飲食店や物販店の看板ばかりである。これも私には中央の有名店をいかに引っ張ってこられるかを競っているようにしかみえない。

これだけのおカネを費やしても、地方都市の現状は人口減少と年齢構成の高齢化に歯止めをかけることができないでいる。

ある地方の観光協会のプレゼンで思わず声を失った

数年前、ある地方の観光協会からコンサルティングの依頼を受けた。その地方は平成初期までは高原別荘地として賑わい、夏は学生を中心としたテニスやハイキング、冬はスキーなどのスポーツ合宿で潤ってきたのだが、近年は観光客の急減に頭を悩ましていた。

私たちが出した企画提案は、その地のシンボル的な存在である美しい湖を題材に湖の周辺に木道を配置し、多くのフォトスポットを設けて自然に湖を一周してもらう。そして湖畔には健康と美容をテーマにした施設を用意して、湖を一周して渇いた喉と疲れた体を休めていただくような施設を設けるといったシンプルな内容のものだった。

もはや学生のスポーツ合宿には期待できない時代、単身者やカップル、高齢者などにも範囲を広げ、湖で過ごす時間を演出するというのが私たちの提案趣旨だった。

このプレゼンテーションには観光協会のみならず役場の方々や地元新聞社の取材など多くの参加者が来て、会場は熱気に包まれた。ところが私たちのプレゼンが終了して質問タイムに入った時、最初に手を挙げた旅館経営者の質問に私たちは声を失った。

「あんたら、東京から来たんだから、西武とか東急とか呼んでくれるんじゃないの?」

「とってもよい提案だと思うな。素晴らしい。で、質問なんだが、これはいったい誰がやるんだ?」

私たちからみれば、主役は地域の方々であるはずだったのだが、

「あんたら、東京から来たんだから、西武とか東急とか三井とか呼んでくれるんじゃないの? 誰がやるんだかわからないんじゃできるわけないだろが」

と畳みかけられる始末。

そしてそうした可能性がないと知ったとき、参加者たち全員の目が、会場の隅に腰掛けていた役場の担当者のほうに向けられたのだった。

「いや役場ではちょっと」

地方創生の現状は、その多くが地方の人たちにとっては「東京者が来て好き勝手に適当なことを言うだけ」「役所は東京に行っておカネを引っ張ってくるのが役目」、そして「うまくいかなかったときは提案したコンサルと役所がだめ」という、すべてが他人事で行われているというのが実態だ。

小遣い稼ぎの出鱈目コンサル、言い訳ばかり考えている役所

本来であれば、地元民に強烈な意思とビッグピクチャー(構想)があり、彼らのパッション(熱情)を感じ、これを企画実現するプロデューサー(別に東京者である必要はないが)がいて、最後に役所が応援する、というのが地方創生の図式であるはずだ。

地元民の強烈な意思と構想、熱情から始まるのが本来の図式のはずなのだが…… ©iStock.com © 文春オンライン 地元民の強烈な意思と構想、熱情から始まるのが本来の図式のはずなのだが………

ところが今のところ多くの地方創生の実態は、地元民にはアイデアもなく、やる気もない。コンサルは小遣い稼ぎのために出鱈目言って、できた後は東京に逃げて知らんぷりを決め込む。役所は中央からカネを引っ張ってきたことだけを自慢して、うまくいかなかったときの言い訳ばかりを考える。

こんな状態ではどんなに看板を挿げ替えたところで、地方は所詮東京の真似をするだけで衰退の道から逃れることはできないのだ。

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