「富谷茶」復活、技術で加速 日本製紙グループ会社、市と協定

江戸時代、茶の名産地として知られた富谷市内に残る「富谷茶」の原木を、最新技術で再生・増殖させる取り組みが本格化する。富谷茶復活プロジェクトを進める市が20日、技術支援する日本製紙グループの日本紙通商(東京)と協力協定を締結。商品化に向け、連携して富谷茶の生産に乗り出す。

 日本紙通商が2018年6~12月に実証実験を行い、富谷市内の茶畑で採取した原木の枝200本程度から苗木100本(高さ約15~20センチ)を育てることに成功。今年6月ごろ、新たに苗木1000本の生産に着手することになった。1年余りでの生育が見込まれ、20年7月に茶畑への移植を予定している。
 苗木生産には日本製紙が開発した「容器内挿し木技術」を用いた。高濃度の二酸化炭素と水、光で植物の光合成能力を高め、挿し木による増殖を行う独自手法。製紙原料のユーカリなど植物100品種以上での利用実績を基に実現させた。
 富谷茶復活プロジェクトは、奥州街道の宿場町「富谷宿」の開宿から400年を迎える20年に向け18年にスタート。18年7月には埼玉、静岡両県から調達した苗木計1000本を市内3カ所に植えた。
 今回の事業は江戸時代から続くとみられる在来種を活用する点で、真の富谷茶復活に向けた試みとなる。
 市役所であった協定締結式で、若生裕俊市長は「歴史を伝える富谷茶復活の大きな力になる。紙パックのお茶飲料として商品化し、スイーツ素材の活用にもつなげたい」と意欲を語った。
 日本紙通商の佐藤信一社長は「地域貢献の一環として当社の技術が復活の一助になれば幸い」と話した。同社は移植後の茶畑管理にも携わり、継続して復活プロジェクトを支援する。

[富谷茶]江戸時代から生産され、当時は京都にも出荷されたと伝わる。奥州街道の各宿場を題材にした奥道中歌では「国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡」と詠まれた。大正末期までは30戸ほどの栽培農家があったが、次第に衰退。1970年ごろに全て廃業した。

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