江戸時代、奥州街道の宿場町だった宮城県富谷市で盛んに生産されていた「富谷茶」の復活を目指すプロジェクトが動きだした。2020年の「富谷宿」開宿400年に向けた取り組みで、市内に残る茶畑で摘んだ茶葉を商品化、茶どころとしての魅力を発信する。
プロジェクトは国の支援事業を活用し、市シルバー人材センターが事業主体となって実施。市と商工会の協力を得て、半世紀近く本格的な栽培が途絶える富谷茶の再興を図る。
23日、富谷市富谷清水沢の茶畑でプロジェクト初の茶摘みがあり、富谷中の3年生やセンター会員ら約100人が鮮やかな緑の葉を丁寧に摘んだ。収穫は約7キロに上り、早速、地区の会館で蒸しや乾燥の簡易加工を施した。
富谷は江戸時代から茶の名産地として知られ、大正末期までは約30軒の生産農家があったが、全国の茶どころに押されて衰退。地元にあった旅館「気仙屋」が唯一、栽培と製茶を続けたが、1970年ごろにはやめてしまったという。
今回摘んだのは、住民が自家用に管理してきた気仙屋の茶畑約50平方メートル。生産拡大に向けて新たに隣の約150平方メートルを耕し、6月中旬に苗木を植える。
指導役の茶舗「大竹園」(仙台市太白区)の大竹英次専務(37)は「お茶づくりが軌道に乗り、地域で日常的に愛されるお茶に育ってほしい」と期待する。できた茶は、秋ごろにも開かれる街道まつりで来場者に振る舞う予定という。
センターの亀郁雄事務局長(61)は「会員一丸となって地域の活性化につなげたい」と強調。若生裕俊市長は「新たな産業を創出できるよう市を挙げて取り組む」と意欲を語った。
富谷茶は2000年以降にも、住民主導で復活を目指す動きがあった。当時中心的に関わった高田愿(すなお)さん(82)は「大々的な取り組みになり喜ばしい。できたお茶を味わってみたい」と感慨深げに話す。