「幼い遺体の検視つらかった」秋田県警の警察官、被災地の派遣を語る

 秋田県警は29日、東日本大震災で岩手、宮城、福島3県の被災地に派遣され、救出活動や遺体の捜索活動に加わった警察官の座談会を開いた。参加した10人は「幼い遺体の検視には涙が止まらなかった」などと語った。
 佐藤正司警部(52)は、ピンクのリュックサックを背負った3歳くらいの女児の遺体を検視し、リュックにたくさんの折り紙が入っているのをみて、涙が止まらなかったという。「やさしい母親が詰めたのだろうが、なぜ、その分早く逃げなかったのか-」と悔しさをにじませた。
 身元確認の際、DNA鑑定に関わった堀井久志警部補(54)は、行方不明の父親をさがすため、母親に手を引かれ、DNA採取に訪れた3歳くらいの男児を忘れない。採取が終わった後、ドアの前で、ちょこんと敬礼した姿を-。「何とかしてお父さんを見つけてやらないと」と思った。
 航空隊員として岩手、宮城の空からヘリで情報収集に当たった水ノ江拓治警部(52)は「大災害が起きたときは、妻に『連絡はしない。あとは任せる』と言ってある」と話す。被災地の空は、報道も含めて数十機のヘリが飛び交い、ニアミスの危険にもさらされた。
 被災者から逆に励まされることも多かった。佐々木悟警部補(40)は捜索や救助の活動中、余震のために高台に避難することもしばしば。
 一緒になった住民から「がんばってください」と、お菓子をもらった。「自分がいつ次に食べられるか分からない状態で、私にお菓子を差し出してくれる気持ちに、(感激して)とても言葉が出なかった」
 被災地派遣を通して、自分たちの存在意義を再認識した警察官たち。高橋直樹巡査部長(39)は、「警察官は、ふだんは感謝されることが少ないが、被災地では、混乱の中で毅然(きぜん)としてやっている警察官はまぶしく見えるのか、住民から感謝される存在だということを実感した」と話した。
 秋田県警が派遣した警察官・職員は同日現在でのべ79部隊725人にのぼる。

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