「憧れの世田谷」に取り残された、高齢者たちの残酷な現実 実は、日本の未来の姿がここにある

東京23区で最も高齢化が進んでいるのは北区だ。2010年、15年の調査でいずれも第1位となっているものの、両年の高齢化率の差から求められる「高齢化進展度」は1.8ポイントで、わが国の平均(3.6ポイント)と比べると、高齢化の進行はまだ緩やかなほうである。

ところが、若い活力がみなぎる東京23区のなかに、高齢化進展度が国の平均に迫る3.3ポイントを示す区がある。世田谷区だ。2010年まで、同区の高齢化率は23区中20位前後で推移していたが、15年に11位へと急上昇した。

「憧れ」のなかで見落とされていたもの

リクルート住まいカンパニーの「みんなが選んだ住みたい街ランキング(関東版)」によれば、2017年の「住みたい行政区市」のトップは港区。世田谷区は第2位に名を連ねている。16年も同順位だったが、15年以前はずっと世田谷区が1位だった。

世田谷には「憧れ」という言葉がよく似合う。平均所得水準は、都心3区(千代田、中央、港)と文京、渋谷、目黒に次ぐ7位。持ち家比率は葛飾、台東、荒川、足立の各区に次いで5位。核家族(夫婦のみ、夫婦と未婚の子、ひとり親と未婚の子の世帯)の持ち家比率に限ると2位。東部や下町に比べてはるかに地価が高いことを併せて考えると、資産面で東京のトップクラスに君臨する。

少し古いデータになるが、2010年の国勢調査による世田谷区の大卒者の割合は、都心3区と文京区に次ぐ5位。男性に限ると中央区を抜いて4位となる。

専ら管理業務にあたる会社役員、ベンチャー企業のトップなど専門技術的な仕事を行う会社役員、大企業の部長職など専ら管理業務にあたる正社員を「エスタブリッシュメント3職種」と呼ぶと、その合計割合は所得水準と同じ顔ぶれに続く7位にのぼる。ひと言でまとめるなら、世田谷区は、高所得(高資産)、高学歴、高職種を兼ね備えた「三高のまち」と言える。

家族で賑わう世田谷区のショッピングモール photo by gettyimages

加えて世田谷区は、専業主婦の割合が23区中2位と高い。いまでこそ隔世の感があるが、一世代前まで、専業主婦がいる家族は憧れのライフスタイルだった。

高度経済成長期に上京してきた団塊の世代は、男なら世田谷に家を持つことを、女なら世田谷で専業主婦になることを夢み、選ばれた人たちだけがその望みをかなえることができた。そしていま、彼ら彼女らの高齢化と歩を合わせるように、この老舗の高級住宅地で新たな問題が芽生え始めている。

「世田谷病」は生活習慣病

前回記事で報告したように、高齢者の就業率が高い区には、会社役員や自営業主など定年がない仕事に就いている人が多い区が並ぶ。ところが世田谷区は、定年がない人の割合が8位とかなり高いのに、高齢者の就業率は17位と低い。

また同じ記事で、高齢になっても働き続けようとするまちと、早々と引退しようとするまちが、環境によって分かれてくることも指摘した。一義的には、定年のある人が多いか少ないかによってその環境が決まってくるのだが、世田谷区では定年のある人がさほど多くないにもかかわらず、余生への引退が進んでいる。

世田谷区の高齢者に働こうとする意欲が低いことは、高齢になっても正社員で働く人(おそらくそのほとんどが再就職だろう)の割合が22位、シルバー人材センターへの登録率が23区最低という数字にも表れている。現役時代は高学歴を背景に会社役員などの高職種に就き、高所得を得ていた人たちが、「いまさら人に使われる身になれるか」とつぶやく声が聞こえてきそうではないか。

老人クラブへの加入率が22位と低いのも同じ文脈で理解できる。

筆者の友人の父親は、大企業の重職を務めた人だった。定年してから家に引きこもりがちになった父親に対し、近所に囲碁を楽しむ高齢者の集まりがあることを耳にした友人は、「一度行ってみてはどうか」と勧めたそうだ。ところが、すかさず返ってきた言葉は「あんな奴らと碁が打てるか!」だったという。「三高」のプライドが、老後の生活をガンジガラメにしてしまった象徴的な逸話と言えないだろうか。

かつての栄光を捨てることができない結果が生み出す、一種の「生活習慣病」。私はそれを「世田谷病」と名づけることにした。

世田谷インテリは「老いが早い」

プライドを保ち、妥協せずに生き続けることは、なるほどひとつの人生美学かも知れない。しかし、刺激に欠けた生活は、高齢者の頭と身体を確実に蝕んでいく。その果てに向き合わざるを得ない未来は暗く重い。

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上の【図表】に示したとおり、要介護・要支援認定者の割合も、重篤な要介護状態にある要介護3以上の認定者の割合も、世田谷区は23区で一番高い。高齢者の「老い」が進んでいるという事実は、「世田谷病」が着実に広がり始めていることを物語っている。

その一方で、世田谷区は入所型高齢者福祉施設の定員充足率(高齢者数に対する施設定員数の割合)が21位、特別養護老人ホームの定員充足率は23区で最低のレベルにある。唯一の救いは、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が多いこと。居住面積あたりの集積密度は有料老人ホームが23区最高、サ高住も3位である。

資産にゆとりがあるのなら、これらは有力な選択肢となる。ただし、そのキャパシティはざっと見積もって5000人分くらいだ。世田谷区には20万人近い高齢者がいるから、世田谷に住むことができた人たちのなかでも、さらに選び抜かれた人でないと、おいそれとは恩恵に浴せない計算になる。

高所得・高学歴・高職種をきわめた「世田谷インテリ」たちは、インテリなるがゆえに、本人が望まない、予想もしなかった家族への負担を強いる人生の終末期を迎えているのである。

プライドの先に潜む末路

いつ来るかもしれない孤独死の恐怖を抱える高齢者のひとり暮らし。その対極となる姿と言えるのは「3世代同居」だろう。政府も「少子化社会対策大綱」に盛り込んで推奨している。同居に問題がないわけではないが、やはり羨ましい老後の形である。23区で3世代同居の高齢者が多いのは、江戸川区、葛飾区、足立区などの東部地区。ひとり暮らしのお年寄りは当然少ない。

一方、世田谷区は、3世代同居の高齢者の割合もひとり暮らしの高齢者の割合も23区中最低。世田谷を除く22区では、3世代同居が多いとひとり暮らしの高齢者が少なくなり、ひとり暮らしの高齢者が多いと3世代同居が少なくなる傾向にあるのに、世田谷区だけは特異なデータが出ている。

3世帯同居もひとり暮らしも少ない世田谷区で一番多いのは、夫婦2人で暮らす高齢者の割合である。子供が巣立ったあとも、ずっと夫婦2人で暮らし続ける姿からは、孤高なプライドが垣間見える。そうした世帯で、配偶者が亡くなったときにいろいろな問題が起きることは容易に想像がつくだろう。

ところが世田谷区では、配偶者と死別してひとり暮らしをしている高齢者の数は、他の区とさほど変わらない。それなのに、高齢者全体に占めるひとり暮らしの割合が23区で最も低いというのはどういうことなのだろうか。

答えは単純で、配偶者と死別した高齢者自体が少ないのである。その割合は港区に次いで下から2番目。男性では一番低い。もちろん、奇跡的に夫婦とも長生きしているということではない。配偶者を失った高齢者たちは「憧れの世田谷ライフ」を手放し、子どもが住むまち(あるいはその近く)へと移っていくのである。

世田谷病はやがて東京病、日本病となる

世田谷区の商店街にて photo by gettyimages

遅すぎる引っ越しが、老いに最後のダメージをもたらすことについて、前々回の記事にこう書いた。

「ようやく動き出すのは、配偶者が亡くなったときだ。しかし、一人になった親を近くに呼び寄せた途端に身も心も一気に弱ってしまったという話は、枚挙にいとまがない。見知らぬ土地に引っ越せば、子どもや孫が近くに住んでいるという安心感は得られても、それまで営々と築いてきた人間関係は断ち切られてしまう。そんな劇的な環境変化に対応するには、歳を取りすぎなのだ」

世田谷ライフを謳歌した果てに訪れるのは、そんな悲しい末路である。

東京は、地方に比べると平均所得も学歴も高い。さらに言えば、日本全体がずっと豊かになり、高学歴になった。かつて日本のなかで世田谷区が占めていた地位は、いま世界のなかで日本が占める地位と見ることもできるだろう。そう考えると、世田谷病はやがて「東京病」へと拡散していき、さらに「日本病」となって蔓延していくのかもしれない。

くり返すが、世田谷病は風土病ではなく「生活習慣病」なのだ。だから行政には解決できない。負の連鎖を断ち切ることができるのは、そう、あなた自身しかいないのである。

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