1998年に日本テレビ系列で放映されていたバラエティ番組「進ぬ!電波少年」で「人は懸賞だけで生活していけるか」をテーマにした「電波少年的懸賞生活」のチャレンジャーとして登場し、一躍話題を集めた芸人のなすびが現在の活動、そして電波少年に出演していた当時の苦悩を明かした。
14年前、売れない芸人だったなすびは、「進ぬ!電波少年」のオーディション(内容はくじ引きだった)に合格。1年半に渡って放映された、「なすびの懸賞生活」でその名前と顔を全国に知らしめた。当時を振り返ったなすびは、「あの番組は、本当にガチでして。世間とは、完全に隔離された状態でした」と話す。
番組が終了し、1年半ぶりに外へ出た彼を待っていたのは、以前とは想像もできない世界だったという。「外に出た瞬間、大勢が、なすびだ、なすびだと指をさして集まってきて。日テレが雇ったサクラだと思っていました」と当時を振り返った。バラエティー番組からのオファーも相次ぎ、一躍売れっ子芸人となったものの、そのうちにある違和感が生まれたという。「裸でアホなことをやっていたんだからってプロデューサーも期待しますよね。でも、懸賞生活を終えた僕にはなんの武器もありませんでした。面白いこと一つ言えない自分の無力さに改めて気付きました」
周囲の期待とは裏腹に、何もできない自分。苦悩する日々を過ごすうち、渥美清に憧れていた高校生のころの自分を思い出したという。原点に立ち返ろうと、2001年に役者の道を目指すことを決意。偶然出場したマージャン番組で獲得した100万円を資金にプロデュース公演を立ち上げ、自身で脚本・演出を手がけた。「お客さんから、『笑いました』って声を掛けていただいたことがうれしくて。それからすっかり演劇にハマっています」という。
なすびは、現在4月18日から始まる水木英昭プロデュース、舞台「SAMURAI挽歌2012 ~房州幕末編~」に向けて、けいこ漬けの日々を送っている。本作の演出を手掛ける水木英昭氏は、「なすびさんはもちろん、みんなすごくキラキラしているでしょ。大きい劇団ではないけれど、エネルギーも芝居への愛情も全員負けていないと思います。彼らのキラキラした姿をたくさんの人に見てほしいです」と大粒の汗を流しながら、真剣な表情でけいこに取り組む役者たちに目を細めた。
「お酒もあまり飲みませんし、風呂なし1Kのアパートからは、上京以来一度も引っ越していないんです」というなすびは、「当時に比べると、負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれませんが、いま、本当に幸せです。最高に楽しいんです」と笑顔で語った。(編集部:森田真帆)
舞台「SAMURAI挽歌2012 ~房州幕末編~」は、4月18日より紀伊国屋ホールにて(新宿)公演