「政治的公平の放送法条文撤廃」を検討
「政治的公平の放送法条文撤廃」という報道が、2018年3月15日に、共同通信からあった。この報道はあまり多く報道されないために、知らない人が多いのかもしれない。多くの放送局にとっては、もしこの法律改定が行われれば、大きな問題なのだが、テレビ報道が激変するかという緊急事態なのにニュースで伝えないテレビ各局 にも書かれているように、テレビではあまり取り上げられていないように感じる。
この「政治的公平の放送法条文撤廃」には、賛否両論あるだろう。また、テレビの報道が現在「政治的公平」なのかも、私自身よくわからない。しかし、「政治的公平の放送法条文撤廃」された場合、民間放送の報道番組にCMを入れている企業は、明らかにさまざまな判断とリスクを負うことになるだろう。ここでは、「政治的公平の放送法条文撤廃」された場合の、テレビCMが直面する課題について考える。
「政治的公平の放送法条文撤廃」すると、テレビの報道は、どう変わる
まずは、政治的公平の放送法条文撤廃した後の、テレビの報道はどう変わるのだろうか?例えば、ある報道番組ではAという政党の活動を積極的に評価し、政党Aと対立する政党の活動については消極的な評価をする。客観的事実に加えて、その政党の活動にたいして、意見を付け加えて報道することが可能になる。
私たち報道に接する側からすれば、いくつかの報道に接することで、多様な意見があることを理解できるのかもしれない。そして、この報道番組は、ある政党よりだとか、放送局の基本的な政治理念などを感じるのかもしれない。ところで、その番組に広告を投入している、広告主のことを、私たちはどう感じるのだろうか?広告主は番組の内容には、不介入である。しかし、どの番組に広告を入れるかを決めているのでは、広告主である。テレビを見ている視聴者は、このような報道の偏りも理解して、広告主は番組に宣伝を入れていると感じるのではないだろうか。
広告投入の基本は、その番組を聞いていいる人、見ている人を理解して投入
広告主は、テレビの広告を視聴率だけで判断して、広告を出すことを決めているわけではない。どんな視聴者が、その番組を見ているのかも、広告を出す時に参考にする。一般には、番組を見ている視聴者の性別や年齢などから、どの番組に広告を入れるか考えている。報道番組についても、見ていてる視聴者を予測して広告を入れるのである。その報道番組が、政治的に偏った報道を行うようになった場合、その偏った報道を見る人を、想像しながら広告を入れることになるのだろうか。果たしてそのようなことができるのだろうか?
広告主は「政治的に中立か」
広告主はある商品やサービスをマーケティングする時に、どのようなお客様が対象になるかを議論してきた。性別、年齢、家族構成や、時には趣味や嗜好まで定義をしてマーケティングしてきた。そのお客様のターゲットの定義に、政治信条などは入ってこなかった。しかし、もし「政治的公平の放送法条文撤廃」がされた場合には、政治的信条も議論されるだろうか。
まず、広告主が起きる現象はパニックだ。多くの日本の企業では、会社の会議で、政治の話をすることはタブー視されているからだ。従って、お客様の政治信条などを理解したり、または定義するような会議内容は避けられるだろう。結果、各テレビ局の報道番組の考えたかについて、問い合わせる広告主が出るだろう。「今後も政治的に公正な報道をおこないますか?」と。ここで、すべての局が、テレビ報道が中立だと答えれば、広告主のパニックは一度収まり、今までと同じように、報道番組に広告を出すだろう。
しかし、いくつかの放送局は、報道はその時、その時の情勢によって行われる理由から、明確には回答しない可能性もある。その場合は、広告主は、その報道番組に広告を出すことを敬遠することになるのではないだろうか?
「政治的公平の放送法条文撤廃」しても、テレビの報道は変わらないのではないだろうか?
ここまで考えてくると、大きな一つの疑問が発生する。「政治的公平の放送法条文撤廃」されたとき、「テレビ局の報道番組は、今と変わらず、政治的公平を保つのではないのでは」という疑問だ。民間の多くの放送局は、広告により多くの収入を得ている。したがって、広告主が広告を出さないことを、大きなリスクと考えるのではないだろうか。結果、テレビの報道は、今まで通り、「政治的公平さを保つ」ことになると考える。