「日本が世界と勝負できる」意外な分野 フランスより10年先を行っている日本の技術とは

少子高齢化、人口減、所得減……何もかもが“三流国”に落ちぶれてしまった令和・日本。ところが「日の当たらない場所」では次なるステージに歴史は入っていると思想家・武道家の内田樹氏は断言する。「貧乏慣れ」した「落ち目の国」で今、何が起きているのか。内田氏の最新刊『夜明け前(は一番暗い)』から一部編集のうえ紹介する。

内田樹氏(写真:朝日新聞社提供)© AERA dot. 提供

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■知人の結婚披露宴ではっと胸を衝かれた

 日本の現状がかなり悲惨なものであることは間違いありません。国際社会におけるプレゼンスも、経済力も、文化的発信力も、明らかに低下しつつある。これはどんな指標を見ても明らかです。でも、これがシステムの全面的な壊死なのかというと、そうでもないような気がします。Jetpack for WordPress

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「日の当たる場所」はかなり悲惨な状況ですけれども、「日の当たらない場所」ではもう新しい活動が始まっているように思えるからです。すでに歴史は「次のステージ」に入っている。でも、「日の当たる場所」にいる人たち(昔風に言うと「エスタブリッシュメント」ですね)は、その潮目の変化にまだ気づいていない。それを感じたのは少し前に、知人の結婚披露宴に呼ばれた時のことです。

 知人の結婚相手はパン作りの若い女性でした。その関係で、披露宴で僕のすわったテーブルは新婦の「パンの師匠」と、同門の若いパン職人たちでした。その人たちの話がとても面白かった。みなさん同じ師匠について修業したあとにヨーロッパで修業を重ねてから、日本にもどって各地でパン屋を開業している方々です。細かい技術的なことは僕にはわかりませんけれど、彼らがあっさりと「日本のパンは世界一ですから」と言い切った時に、はっと胸を衝かれる思いがしました。

「いま、フランスのパン職人たちが必死に工夫しているのは、僕らがすでに10年前にやったことです。日本のパンは10年のアドバンテージがある」そう言ってにっこり笑いました。こういうタイプの言明を聴いたのは、ずいぶん久しぶりのことです。

 1960年代から80年代まではたしかに、「僕らの仕事が世界一ですから」とまるで「今日は天気がいいですね」くらいのカジュアルな口調で語る人たちにしばしば遭遇しました。ほんとうにそうだったんです。商社でも、メーカーでも、メディアでも、大学でも、エンターテインメントでも、「気がついたら、僕たちがしていることが世界標準になったみたいですね」という話をよく耳にしました。 たしかに、そうでなければ敗戦から短期間に世界第2位の経済大国に急成長するというようなことは起こるはずがありませんから。

 寂しい話ですが、そういうことがほぼまったくなくなって30年近く経ちました。ですから、今の40歳以下の人たちは、「日本人がさまざまな分野で世界をリードしていた時代」というものをリアルには想像できないと思います。そんなことを年上の人が言っても「年寄りの愚痴(ぐち)」にしか思えないとしても不思議はありません。でも、国運というのは「上がったり、下がったり」するものなんです。古希を過ぎてまで長生きするとそのことがよく分かります。

■お金があり過ぎて買うものがなくなった

 僕は敗戦の5年後の生まれです。中学に入るくらいまでは「戦争に敗(ま)けてたいへん貧しくなった国の国民」というのが自己認識の初期設定でした。子どもの頃に母親に何か買ってくれとねだるとほぼ必ず「ダメ」と言われました。「どうして」と訊くと、「貧乏だから」と母が答え、「どうして貧乏なの」とさらに訊くと「戦争に敗けたから」と言われて、それで問答は終了しました。そういうのが1960年代の初めくらいまで続きました。

 でも、それから空気が変わった。何となく「このままゆくと世界標準にキャッチアップできるんじゃないか」という無根拠な楽観が社会に漂い始めた。

 伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』は1965年の本です。『北京の55日』や『ロード・ジム』に出演した国際派俳優がそのヨーロッパでの生活を記したエッセイです。この本で僕たち敗戦国の少年は「ジャギュア」の運転作法や「アル・デンテ」の茹(ゆ)で方を、『再び女たちよ!』(1972年)で「ルイ・ヴィトン」という鞄(かばん)の存在を知りましたが、それはもうそれほど遠いものではなく、「あとちょっとしたら、僕たちにも手が届きそう」なものとして伊丹さんは僕たちに提示してくれた。そして、実際にその数年後に僕は赤坂のパスタ屋で、「ボロネーゼをアル・デンテで」とか注文していたのでした。

 1980年代終わり頃バブルの全盛期には、日本人はお金があり過ぎて、買うものがなくなり、とうとうマンハッタンの摩天楼や、ハリウッドの映画会社や、フランスのシャトーや、イタリアのワイナリーまで買うようになりました。「こんな無意味な蕩尽(とうじん)をしていると、そのうち罰(ばち)が当たるぞ」と僕は思っていましたが、やっぱり予想通りになりました。図に乗ってはいけません。

■長く生きてきて確信を持って言えること

 罰が当たって30年、日本は少子化・高齢化という人口動態上の負荷もあって、「落ち目の国」になりました。今の日本の指導層の方々には悪いけれど「落ち目の国に最適化して、貧乏慣れした」人たちです。だから、彼らはもう日本をもう一度なんとかするという気はありません。もう日本に先はないんだけれど、公共的リソースはまだまだ豊かにある。だから、公権力を私的目的のために運用し、公共財を私財に付け替えている分には、当分いい思いができる。そういう自己利益優先の人たちばかりで政治や経済やメディアがいまは仕切られています。

「貧乏慣れ」した人たちというのは「日本が貧乏であることから現に受益している人たち」です。ですから、彼らは現状が大きく変わることを望んでいません。このまま日本がどんどん貧乏になり、国民が暗く、無力になり、新しいことが何も起きない社会であることの方が個人的には望ましいという人たちが今の日本ではシステムを設計し、運営している。

 でも、僕はこんなことがいつまでも続くとは思いません。だって「落ち目の国」という環境に最適化して、「貧乏慣れ」することで受益している人の数は日を追って減っているわけですから。圧倒的多数の人たちは「もうちょっとましな国」になって欲しいと願っている。そして、<多くの人が強く願うことは実現する>。これは長く生きてきて僕が確信を持って言えることの一つです。問題は「多く」と「強く」という副詞のレベルにあります。原理の問題ではなくて、程度の問題です。

 かつて敗戦の瓦礫(がれき)から立ち上がったように、また手持ちのわずかなリソースを使い回して、もう一度「僕らがやってること、とりあえず世界の最先端ですから」というような台詞がさらっと口から出るような時代に出会いたいと僕は思っています。それは決してそれほど難しいことじゃない。

 もちろんAIとか創薬とか宇宙開発とか、そういう「やたら金がかかり、当たるとどかんと金が儲かる」領域では無理でしょうけれども、食文化とかエンターテインメントとか芸術とか学術のような、日本に十分な蓄積があり、かつ「新しいこと」を始めるのに、多額の初期投資とか、「えらい人たちへの根回し」とかが要らない分野でしたら、すでにそういう言葉が口元に出かかっているという人たちはいるはずです。

 僕らがそれを知らないのは、既成のメディアが「貧乏慣れ」して、ほんとうの意味での「ニューズ」に対する感度が鈍っているからだと僕は思います。みなさんも、一緒に「強く願って」くださいね。

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