話題にならなかった日中首脳会談
北京で開かれた日中首脳会談を受け、日本では「競争から協調へ」などと、日中関係が改善したと大々的に報じられた。安倍内閣は「日中新時代の到来」だと期待を高めるが、中国ではどうなのか。
会談直後、筆者は上海を訪れた。だが、日中の関係改善に対する期待の声を聞いたのは、後にも先にも安徽省出身の男性のこんなコメントだけだった。
「2011年の反日デモ以来、数年にわたって日本ブランドを買えない時代が続いた。僕はトヨタ車が好きだ。だから、中国と日本の関係が改善してよかったし、いつかはトヨタ車を買いたいと思っている」
筆者は上海市長寧区に住む数十年来の友人、徐さん宅を訪れた。日中首脳会談から間もない時期だったので、「このホットニュースこそが話題の中心になるはずだ」と期待をしての訪問だった。
「上海でも首脳会談のニュースは報道されていたでしょう?」と水を向けると、夫人(67歳)は「安倍首相が訪中したという報道はあったにはあったけど、少しだけだった」と答えた。そこに徐さんの夫(69歳)が入ってきて、「私はラジオ派だけど、ラジオでも扱いは少なかった気がする」と、その”印象の薄さ“を率直に語った。
そして徐夫人はさらにこう加えた。
「日中関係が良かろうと悪かろうと、あまり自分たちの生活には影響ないわね」
徐夫妻はもともと国営工場の労働者だった。苦しい時代もあったが、息子の出世と事業用不動産の収入もあり、近年、急激に羽振りが良くなった。ここ数年の趣味はクルーズ船での海外旅行だといい、今年はウラジオストクと台湾を訪れたという。
徐夫妻の初めての海外旅行は日本だった。
かつては、筆者に会うたびに日本の様子を聞きたがった。「日本人の“工作精神”(仕事に対する意識の高さ)はすごい」などと評価する一方で、「日本は最新商品を中国に紹介しないからずるい」などと本音をぶつけてくることもあった。そこにあるのは「日本」や「日本ブランド」への渇望だった。
しかし、久しぶりに会った徐夫妻の“日本熱”は完全に冷めていた。
次に筆者は、熱狂的な日本ファンである40代の女性石潔敏さん(仮名)を訪ねた。
ヨーロッパに住む親戚から「あなたも遊びにいらっしゃい」と誘われても、「私は日本の方がいい」とあっさり断る“筋金入り”の日本好きの女性だ。それがあまりにかたくななので、2012年の反日デモ直後は、親戚や友人から「日本好き」をたたかれてつらい思いもした。
日中の政治動向は、彼女にとっての最大の関心事であり続けてきたが、彼女もまた、今回の日中首脳会談には関心を示さなかった。きっと石さんなりの意見を述べてくれると期待して、「安倍首相が中国に来たでしょう?」と切り出してみたのだが、その会話はいとも簡単にこう遮られてしまった。
「それより、このアプリ見てよ。30分でどんな商品でも届けてくれるの。日本にこんなサービスある?」
中国のスマホアプリが提供するサービスはすでに日本を抜いたと認識する李さんは、さまざまなアプリを筆者に紹介してくれた。「中国の発展のスピードは本当に早いね…」と応えると、彼女は本当に満足そうな顔をした。
この日、「日中関係」が話題に上ることはついになかった。
“ランク落ち”する日中関係
翌日、筆者は王欣さん(仮名、28歳)と新天地のスターバックスでお茶をした。読書家で頭の切れる王さんに、筆者は「日本ではこんな調査結果が発表された」と切り出した。
それは、日本の言論NPOと中国国際出版集団が今年9月に行った、日中の両国民の互いの印象の世論調査である。
ちなみに、この調査によれば、中国人の日本に対する印象の改善は進み、日本の印象を「良い」とする人は42.2%で、2005年の調査開始以降、最も高い数値となり、他方、中国に「良くない」印象を持っている日本人は86.3%となった。
ところが、王さんはこれに興味を示すどころか、「まだそんな調査をやっているのか」と一笑に付してしまったのである。「互いにどんな感情を抱いているか」などというのは、90后世代(90年代生まれの世代)にとって何ら新鮮味のない話題のようだ。
日中関係というトピックスが、これほどまでに彼らの中で“ランク落ち”しているのは意外だった。否、すでに“ランク圏外”なのだろうか。上海に10年在住する60歳代の日本人男性・西岡稔さん(仮名)はこう語る。
「中国で安倍首相の訪中は、ほとんど報道されませんでした。むしろクローズアップされたのは、台湾での特急列車脱線事故でしたね。日本製車両であることをとにかく強調して、日本をやり込めるかのような意図的な報道を感じました。日中の友好ムード復活を喜んでいるのは、日本にいる日本人だけではないでしょうか」
だが、西岡さんは「これでも対日感情は良くなった方だ」と言い、こう続けた。
「日本に対する空気は、昨年の秋ごろからガラリと一変しました。それまで上海の中国人の間では、何かにつけて『中国が一番、日本はダメだ』と言われ続けてきました。私だけではなく、多くの日本人が、中国人と食事をするたびに苦い思いをしてきたのです。それが昨年秋以降、手のひらを返したように、彼らから日本を見下すそぶりが消えました。対米関係が日に日に悪化していく中で、国民に何らかの“号令”が出たのでしょう。その豹変(ひょうへん)ぶりは逆にゾッとするくらいです」
かつて上海で現地法人の代表を務め、今秋、実に6年ぶりに出張でこの地を訪れたという長島和夫さん(仮名、49歳)は「日本企業の間では、サービス業を中心に中国ビジネスブームが再燃する気配」だとしながら、「かつてとは違い、もはや今の中国人は日本人を何とも思っていないことは知っておくべきでしょう」と語っている。
一喜一憂している場合ではない
1992年に行われた天皇陛下の訪中は、天安門事件後の対中制裁で窮地に陥った中国がつかもうとした、包囲網打破のための糸口だったとされる。その後、引き潮にあった日本企業は対中進出に転じた。
今回の安倍首相の訪中も、米中関係に苦慮し、景気悪化にあえぐ中国が手繰り寄せた“急接近のシナリオ”ともいわれている。関係改善に中国の思惑が強く投影されていることは間違いない。
インバウンドに目を転じれば確かに日本ブランドは大人気で、調査結果は中国人の日本人への好印象を物語っている。
だが、そうであったとしても私たちは、中国において「日本や日本企業、日本人への関心は薄れている」という現実から目をそらすことはできない。“友好ムード”は有り難いが、生き馬の目を抜く中国ビジネスで“ムード”に翻弄されては足をすくわれることになる。
離れてはジワジワと近寄り、近寄ってはまた離れていく――。その繰り返しが「日中関係」の1つのパターンだとすれば、私たちはもっと冷静に日中関係を見通さなければならない。
もっといえば、中国の人々が「中国は日本を超えた」という認識をさらに強くしたとき、中国にとって日本は必要でなくなるはずだ。残念ではある。だが遅かれ早かれ、その日は必ずやってくるだろう。