「日本人のタワマン離れ」自治体や富裕層の価値観にも揺らぎ

都市部を中心に林立するタワーマンションだが、ここにきて開発や建設に待ったをかけるような動きも出始めている。かつてはタワマンの上層階に住むことが富裕層の証だったが、住民側の意識も徐々に変わりつつある。6月17日に『限界のタワーマンション』(集英社新書)を上梓した住宅ジャーナリストの榊淳司氏が、揺らぐ“タワマン信仰”をレポートする。

 * * *
 20階以上の超高層集合住宅であるタワーマンションが、本格的に増え始めたのは2000年以降である。1997年頃からの建築基準法改正が、大きく寄与したと考えられる。

 タワマンは、建てれば売れた。今もその構図は基本的に変わらない。だから、マンションデベロッパーはタワマンが建てられる場所であれば、迷わず開発してきた。住民の意識としても、タワマンの上層階住戸を購入して移り住み、地上遥かな高見から見下ろす景観は、成功者へのご褒美だったのだ。

 ところが、ここ数年でそういった価値観がやや揺らぎ始めた。いくつかの出来事を紹介してみたい。

 2017年6月、イギリスはロンドン西部、ノース・ケンジントン地区にある築43年のタワマン「グレンフェル・タワー(24階建全127戸)」で火災が発生した。この火事での死者・行方不明者は79名と報道されている。

 この映像は日本のテレビでも盛んに放映されたので、記憶にある人も多いはずだ。報道番組などでは専門家が招かれて様々な質問に答えていた。最も多かった質問は「日本でも同じような火災が発生しますか?」という類のものだった。結論から言えば、日本の建築基準法を守っているタワマンでは、ああいった火災の広がり方はしないはずだ。

 そんなことよりも、もう少し目を向けて欲しかったことがある。それは、あのロンドンのタワマンは低所得者が住むエリアにある低所得者向けの住宅だったことだ。日本でいえばさしずめ公営住宅のようなもの。

 イギリスではもっとも高貴な存在であるチャールズ皇太子は、超高層建築がたいそうお嫌いなようで、そのことを度々発言することで知られている。

 翻って日本はどうか。2018年8月、大阪府の富田林署に強制性交未遂容疑で留置されていた30歳の男が逃走した。この男は48日後に山口県で逮捕されるまで逃走を続けて、世間を大いに騒がせた。

 じつはこの男、過去に受刑者として刑務所にいたことがあり、その頃に「成功して大阪のタワーマンションに住みたい」と語っていたと伝えられた。この男にとっての成功の証もタワマンであったようだ。

 私は仕事柄、タワマンに住んでいる人と話すことが多い。また、何代にもわたる富裕層の方から不動産取引につての相談を承ることもある。

 拙著『限界のタワーマンション』にも書いたが、特に湾岸のタワーマンション居住者は、ニューカマーのプチ成功者が多い。つまり大学入学もしくは就職で東京にやってきて、IT系企業や外資系金融機関などに職を得てそれなりに成功した方々。彼らが成功の証としてタワマンを購入して住んでいるのだ。

 ニューカマーだけあって、街並みなどにはあまりこだわりがない。私のような京都生まれの人間から見ると荒漠とした風景に見えてしまう湾岸エリアの街並みにもまったく違和感を抱かないのだろう。これは東アジア系の外国人にも共通する感覚だ。

 一方、何代も前から富裕層として家系をつないできたような方は、湾岸のタワマンなどは話題にすらしない価値観をお持ちの場合が多い。まして自分が住むことなどまるで考えられないという感覚だ。

 タワマンというものは、近くから見ていて美しい造形とは言い難い。むしろ圧迫感や威圧感を人の心に生じる建造物ではなかろうか。ところが、多くの日本人はタワマンも含めた超高層の建築物を違和感なく受け容れる傾向にある。

 ヨーロッパの街では新興のビジネスエリアには超高層のビルが建てられているが、中世以来の旧市街ではほとんど超高層建築が見られない。つまり、超高層建築を必要悪と見做しているのだ。

 日本人にはそういう感覚が薄い。京都市や鎌倉市、軽井沢町、金沢市など一部の自治体を除いて、今まで無防備にタワマンや超高層建築を受け容れてきた。その結果、美しい街並みが導かれたのだろうか。

 ただ兵庫県神戸市はようやく、タワマンがもつ造形としての醜悪さに気付いたように思える。

 2019年6月、神戸市が街の中心部である三宮での住宅建設を禁止したうえ、その周辺の新神戸や元町、JR神戸駅近辺でも高層のタワマン建設を原則規制する方針を固めた、と報道された。久元喜造市長は以前からタワマンに懐疑的な発言を繰り返していた。今回も「神戸を大阪のベッドタウンにはしたくない」という意向を示している。

 私は住宅に関するジャーナリズム活動を始めて約10年になる。最初の頃、タワマンに関する懐疑的な発言を行う同業者はほとんどいなかった。世間の大部分はタワマンに関して肯定的だと感じた。しかし、最近はやや変化を感じる。神戸市の例もあるように、タワマンに対する拒否感さえ表現される事例を多く見かけるようになった。

 5月30日に放映されたNHK「クローズアップ現代」では、タワマンの大規模修繕工事には多額の費用がかかることを不安視していた。拙著でも詳しく指摘したが、タワマンは建築構造上15年に1度程度の割合で、外壁の修繕工事を行う必要がある。それをしなければ雨漏りが多発する可能性があるのだ。

 ところがタワマンの第1回目の大規模修繕工事には1住戸あたり約200万円の費用がかかる。第2回目では、推定で300万円程度必要だろう。「推定」というのは、2回目の大規模修繕工事を行った事例を私は知らないからだ。

 つまり、タワマンという建築構造物について我々日本人は、壮大なスケールで耐久実験をしているようなものなのだ。それを区分所有という形態で何十年も維持して住み続けることができるのか──今以てよく分からないし、不安は膨らむばかりだ。

 タワマンを「売れるから」という理由だけで闇雲に作り続けてよいものか。このあたりで立ち止まって熟考すべきではないだろうか。

タイトルとURLをコピーしました