東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の鮮魚店などが運営する共同商業施設「気仙沼さかなの駅」が15日に営業を終了、11年の歴史に幕を下ろした。感謝と別れを告げようと客が次々に訪れた。
午前8時半の開店と同時に常連客らが来店。「ありがとう」「新天地でもよろしく」と、顔なじみの店員らと言葉を交わしながら魚や野菜を買い求めた。
毎日のように通ったというパート従業員吉田とよみさん(74)は「ここに来れば肉も野菜も何でもそろった。震災直後の大変な時からお世話になったので、感謝したい」と話した。
閉店時刻の午後4時には全スタッフが入り口前に集合し、「11年間ありがとうございました」と記したパネルや横断幕を掲げた。客からは拍手が送られた。
さかなの駅は2011年12月、被災した企業9社が設立した「気仙沼さかなの駅株式会社」が運営主体となってオープン。復興を後押しするカメイ(仙台市)の配慮で、同社の所有施設を借りて営業した。
手頃な価格で被災した市民らの胃袋を支えたが、近年はコロナ禍で客足が減少。老朽化した施設の修繕も難しく、昨夏に閉業を決めた。店舗は入れ替わり、最終的に7店が営業していた。閉業後も6店は市内の別の場所で営業を続ける。
「復興の力になれたなら誇り」支援者との縁つなぐ場にも
「気仙沼の元気はさかなから」の合言葉で親しまれた気仙沼さかなの駅は、東日本大震災で被災した店主が再び立ち上がる希望の場でもあった。
開業当時、市内はまだ再建できない店が多かった。さかなの駅協同組合長を務める鮮魚店「平塚商店」の平塚一信社長(70)は「店も客も苦しかったが、おいしいものを食べれば笑顔になれる。良い魚を提供しようという使命感で必死だった」と振り返る。
多彩なイベントや独自商品の開発などで施設を盛り上げてきたさかなの駅の尾形誠専務(67)は「館内を巡り店員と談笑を楽しむ客も多かった。散り散りになるのは残念だが、少しでも復興の力になれたとすれば誇らしい」と目を細めた。
復興支援を機に遠方から何度も訪れた客もおり、さかなの駅は被災地で生まれた縁をつなぐ役割も果たした。
埼玉県熊谷市は震災直後から自治会が募った義援金を気仙沼市に送り、有志が気仙沼で歌舞伎を開催するなど復興を支援。さかなの駅は2013年8月から月に1度、熊谷市の住民交流施設に店内映像をオンラインで生配信し、住民が注文した商品を翌日に届ける販売事業を続けてきた。
熊谷市の歯科医重竹淳一さん(67)は「毎月、気仙沼の地酒や刺し身を家族で囲むのが楽しみだった。現地では店主の気丈さに元気をもらった。閉業は寂しいが、今後も各店とのつながりを大事にしたい」と話した。