■ブルガリアは石炭火力発電を2038年まで延長 脱炭素化に向かって邁進する欧州連合(EU)は、温室効果ガスを多く排出するとして、石炭火力発電の廃止を声高に主張している。 【図表】ブルガリアの電源構成(2021年) そのEUで、石炭火力発電の延命を模索する国が出てきた。それは南東欧の小国、ブルガリアである。同国の人口は700万足らず、一人当たりの所得水準も11400ユーロ(180万円)程度と、EUの最貧国の1つだ。 南東欧諸国のニュースサイトであるSeeNewsなどが報じたところによれば、ブルガリアのニコライ・デンコフ首相が率いる連立政権は、国内の石炭火力発電所の運転期間を2038年まで延長すると決定した模様だ。従来、ブルガリア政府は2038年までに石炭火力発電を段階的に廃止する方針だったが、それを撤回したことになる。 さらにデンコフ政権は、石炭火力発電の廃止の期限を明示せず、2038年以降もその利用を継続する余地を残した。ブルガリア政府は9月28日、鉱業地帯などの脱炭素化を支援するために設けられた「公正な移行基金」から資金の配分を受けるための計画書をEUに対して提出したが、そこにも廃止の期限は明記されなかったようだ。 ■脱炭素を推し進めるEUは容認できるのか 注目されるのがEUの対応である。EUの執行部局である欧州委員会が年内にブルガリアの計画を承認すれば、ブルガリアは「公正な移行基金」から、対象となっている国内の3州の脱炭素化を促すための資金を得ることができる。 それ以上に注目されるのが、ブルガリアによる脱炭素化戦略の修正を、欧州委員会が容認するかどうかという点だ。 EUは英国とともに、脱炭素化の旗手として石炭火力発電の早期廃止を世界に呼び掛けた経緯がある。石炭火力は依然として重要な電源である途上国にも、EUはその早期廃止を国際公約にさせようとした。 にもかかわらず、そのEUの構成国であるブルガリアが石炭火力の早期廃止目標を後退させることを、欧州委員会が容認できるのだろうか。 ■労働者の反発を無視できないデンコフ政権 ブルガリア政府が石炭火力の延長に踏み切った最大の理由は、石炭火力の廃止で失業する労働者の反発を受けたためである。 そもそもブルガリア政府は、3つの炭鉱と石炭火力発電所の閉鎖で失業する労働者に対して最大15万レバ(約1200万円)の給付金を支給するとともに、産業転換のための国有企業を設立する予定だったという。 しかし、こうした政府の方針に反発する鉱山労働者や電力労働者たちが、9月末に高速道路や幹線道路を封鎖するといった抗議活動に打って出た。
当初、鉱山労働者や電力労働者たちは、石炭火力発電の廃止後の雇用継続を訴えていたが、その後、石炭火力発電の廃止そのものを撤回するようにその要求を変えるようになったようだ。 デンコフ政権がこの問題にナイーブになる理由は、ブルガリアの政治不安にある。ブルガリアは今年4月に総選挙を実施したが、第1党でも全240議席中69議席の獲得にとどまるなど、政権運営が不安定である。 第2党出身ながら6月に就任したデンコフ首相は、9カ月後に第1党出身のマリヤ・ガブリエル副首相に交代する条件となっている。 ■EUからの資金より、10月末の統一地方選 そのブルガリアは、10月末に統一地方選を控えている。炭鉱労働者や電力労働者の強い反発が影響を与えるかたちで与党連合が惨敗すれば、ブルガリアの政治不安がさらに高まる事態となる。 こうした事態を回避するために、デンコフ政権は炭鉱労働者や電力労働者に配慮をせざるを得なくなり、石炭火力発電の延命を決定したようだ。 そもそもブルガリアは、EUの「公正な移行基金」から得る資金でこうした鉱山労働者屋電力労働者に対する失業給付や雇用保障を賄おうとした。 したがって、欧州委員会がブルガリアの計画を承認しなければ、EUからの資金配分が見込めないため、ブルガリアの石炭火力発電の廃止に向けた動きそのものがストップすることになりかねない。 ■国内の3割を石炭火力が担う現実 ここでユーロスタットのデータよりブルガリアの最新2021年時点の電源構成を確認すると、その36%を石炭火力が占めていた(図表1)。 また国内消費量に占める国内生産量(自給率)も89.5%と極めて高く、そもそも石炭は、ブルガリア経済を支える安定したエネルギーである。これをわずか20年足らずで全廃することは、かなり野心的な目標だ。 もともとブルガリア政府は、石炭火力発電に代わる新たな電源として、原子力発電に活路を見出していた。現在ブルガリアには原発が1カ所(コズロドイ発電所の5号機と6号機)しか存在せず、ブルガリア政府は今年1月の『新エネルギー戦略』で、コズロドイ発電所と計画中のベレネ発電所に原発を2基ずつ建設する計画を示している。 ブルガリアは米国の協力の下で新たな原発を建設する予定である。しかしそれには、相応の時間がかかる。それに、再エネ発電の普及にも時間がかかる。そもそも、EUは脱炭素化やデジタル化の推進を打ち出し加盟各国を鼓舞し続けているが、有限なヒトモノカネといった資源をそうした領域の推進だけに割り当てるわけにはいかないだろう。
■急激な「脱石炭化」は社会的摩擦を生み出す さらに、ブルガリアの事例が物語ることは、人為的な産業転換が大きな社会的摩擦を伴うということである。 日本のみならず、かつて炭鉱を有した国々は閉山の経験を有している。しかしそうした炭鉱の閉山は、主に経済性の低下を理由とした回避しがたい流れであった。つまり、廉価な輸入炭や天然ガス、原子力などが登場した結果である。 しかし、途上国を中心とする多くの国々にとって、輸出に不向きな褐炭に代表される石炭は、引き続き利用価値の高いエネルギー源である。 その近代化や効率化などで温室効果ガスの排出を抑制するならともかく、そうした取り組みもなしにいきなりその利用自体を止めさせようとする今のEUのスタンスは、摩擦を生んで当然といえよう。 ■石炭発電をやめられない中・東欧諸国 ではこのブルガリアと欧州委員会の摩擦は、どう決着をみるのだろうか。 妥協慣れしているヨーロッパのことであるから、いわゆる「公正な移行基金」からの資金配分を減額すると同時に、とりあえず石炭火力発電の2038年までの運転延長に関しては容認し、以降の稼働延長の可能性には触れないかたちで、事態の決着を図るのではないか。 欧州委員会としても、波風を荒立てたくないのが本音だろう。ブルガリアと同様の問題は、他の中東欧諸国にも共通するものだ。 例えばチェコやポーランド、ルーマニア、スロベニアなどの国々は石炭火力発電への依存度が高く、将来的には原発への電源の移行を模索している。つまりブルガリアと同様の反発が生じる恐れがある国々である。 欧州委員会が強い対応に出ても、また弱い対応に出ても、他の中東欧諸国を刺激してしまう恐れがある。一方で、欧州委員会が率いるEUは石炭火力発電の早期の廃止を世界に訴えかけた経緯があるため、石炭火力発電の延長には慎重にならざるを得ない。そのため両者は、できるだけ双方の顔を立てつつ、あいまいな決着を図るものと見込まれる。 ■EUの脱炭素化目標は修正せざるを得ない 次なる注目点は、欧州委員会がどの時点で脱炭素化目標の修正に踏み切るかということだ。 ブルガリアのみならず、各国の有権者は欧州委員会が描く脱炭素化路線に対して着実に不信感を募らせている。そのため、欧州委員長の次期体制に大きな影響をおよぼす2024年の欧州議会選が一つのターニングポイントになるのかもしれない。 それでも、欧州委員会が2050年の炭素中立の実現そのものを翻すまでには、まだまだ距離があるだろう。当面は中間目標の下方修正といったかたちで、辻褄を合わせようとするのではないか。 (寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です) ———- 土田 陽介(つちだ・ようすけ) 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。 ———-