人の声が音としては聞こえるのに、言葉として認識できない。そんな症状に苦しむ人たちがいる。「聴覚情報処理障害(APD)」。特ににぎやかな場所での聞き取りが難しいが、一般的な聴力検査に異常はなく見過ごされやすい。注意力など認知機能の先天的な偏りが原因とみられており、ストレスなどで後天的に発症することも。根本的な治療法はなく、社会生活を円滑に送るには周囲の協力が不可欠だが認知度は低く、患者らは「まず障害のことを知ってほしい」と訴えている。(藤井沙織)
指示理解できず
大阪市の高校2年、三谷知香さん(17)=仮名=は、小学生のときから声が聞き取りにくいと感じていた。深く気にせず過ごしていたが、飲食店のアルバイトを始めて状況が一変。指示が理解できず、作業を間違えて何度も怒られた。「なんで自分だけ聞こえへんの?」。追い詰められるほどに症状は悪化。友人の話を何度も聞き返すのも、笑ってやり過ごすのも嫌で、自分を責め続けた。インターネットの情報でAPDにたどり着き、昨年に大学病院を受診。「同じ境遇の人が他にもいると知り、気が楽になった」と話す。 © 産経新聞社 「聞き取れない」障害知って 音は聞こえても認識困難
一方、大阪府内の自営業、後藤進一さん(37)=仮名=は大人になって聞き取りづらさを感じるようになった。30歳の頃、居酒屋や電車内で友人の話がほとんど聞こえなくなり個人病院へ。聴力検査で異常はなかったが、紹介してもらった大学病院でAPDの診断を受けた。「不眠や過眠の繰り返しでストレスや疲れをためていたのかもしれない」と振り返る。
学校以外で顕在化
APDには、雑音の中で話が聞き取れない▽話しかけられても気づけない▽複数人が同時に話すと理解できない-などの症状がある。だが音自体は聞こえるため、健康診断などで行う聴力検査では分からない。近年発見された障害のため明確な診断基準はなく、現在は雑音下で聞き取ったり、同時に複数の言葉を聞き取ったりする検査などで総合的に判断される。
ただ、APDを診断できる病院は全国に数カ所しかない。その一つ、大阪市立大医学部付属病院(同市阿倍野区)には、APDを疑われる患者が週に1~2人は来院する。耳鼻咽喉科の医師、阪本浩一氏によると、患者には発達障害など先天的な認知機能の偏りがあるケースが多いという。人の話を聞くには、他の音の中から声を聞きわける注意力や内容を覚えておく記憶力が必要だが、発達障害やその傾向があるとそれらの力が弱く、体調不良の場合はより悪化するという。
だが、患者が受診するのは「アルバイト先や就職先で困りごとが顕在化してからが多い」(阪本氏)。学校では授業で教員の話が聞き取れなくても、黒板や教科書でしのげるためだ。一方、後天的な場合は脳損傷の後遺症やストレスなどが原因で、誰にでも発症の可能性がある。
周囲の協力が重要
根本的な治療法がないため、患者は症状とうまく付き合っていく必要がある。APD研究の第一人者で国際医療福祉大の小渕千絵教授は「まず自分の障害の特性を知り、対策を立てることが重要」と指摘する。たとえば話すときはテレビを消すなど雑音を減らす工夫をする。また一対一で話してもらったり、メールで指示してもらったりと、「周囲に協力を求めることも大切」と小渕教授。困りごとが減れば気持ちが安定し、症状も軽減するという。
三谷さんも学校で先生や友人に症状を伝え、座席を一番前にしてもらうなど協力を得ているという。ただ最近新たな困りごとが発生した。コロナ禍でマスクの着用が求められるようになったため「相手の声がくぐもるだけでなく、口元を見て話している内容を推測していたので、分かりにくくなってしまった」と話す。
後藤さんも規則正しい生活を心がけることで症状が緩和したが、BGMが流れる店内など聞き取りづらい場面はある。障害について説明するのはハードルが高く、「APDが広く知られるようになれば伝えやすい。聞こえにくい人がいることを頭の片隅に入れておいてほしい」と訴える。