「若者の○○離れ」という老害芸

「最近の若い人は〇〇に行かない。〇〇を買わない。青春を謳歌(おうか)できていないなあ」と、価値観を押し付けてくる老害はどんな職場にもいる。

私は「若者の○○離れ」という言い回しが嫌いだ。なんて傲慢(ごうまん)な表現なのだろう。若者、かくあるべしという規範を押し付けているかのようだ。昭和の若者像をトレースすることを強いているかのようにも見える。クルマ離れ、バイク離れ、CD離れ、ビール離れ、恋愛離れ……。そのうち、肉離れなんかも出てきそうな勢いである。

この「若者の○○離れ」だが、単なるバズワードと化しており、実際は科学的、客観的な分析になっていないということもよくある話である。これらの誤解は下記のパターンにわけられる。

  • 若者の絶対数が減っていることを読み込んでいないケース
  • 若者に限らない現象であるケース
  • 代替する商品・サービスが拡大していることを読み込んでいないケース

これらの要因を無視して、あたかも志向やライフスタイル、価値観が変化しているかのように分析し、論じるのは罪である。さらには、若者を巡る経済環境の変化などを読み込まない場合は、もはや無理ゲーだ。消費の押し付けでしかない。

photo バズワードと化する「若者の○○離れ」

「○○離れ」は本当か

逆に「若者の○○離れ」と断じてしまうことによって、市場の変化を見誤るケースだってある。「若者のクルマ離れ」などがそうだ。普通に考えれば分かると思うが、日本は公共交通機関だけで通勤や通学が成立するエリアばかりではない。クルマに乗らざるを得ない若者が存在していることもまた事実だ。

もちろん、デートマニュアル本に出てきたようなモテるアイテムとして、クルマを買って乗り回す若者は減ったかもしれないが、そのクルマの楽しみ方は、カーシェアリングなどで拡大している。クルマから離れたわけではない。

やや余談だが、私は「就職氷河期世代」「ロスジェネ世代」とくくられるアラフォー男子なのだが、学生時代を送った90年代半ばは今思うと、バブルの残り香があった。デートマニュアル本には、大学生がクルマを乗り回している光景が記事に載っていた。確かに周りには、自宅生が中心ではあるものの、自分のクルマを持っている人がいた。

その後、私は社会に出て著者デビューし、そのデートマニュアル本の出版社から新書を出したことがあった。そのときお世話になった編集者の上司が、元デートマニュアル本の編集部員だった。食事に連れて行ってもらった際に、そのデートマニュアル本のファンだったことをアピールしたところ、「あれはあくまで広告企画で。いま思うと、若者がクルマを買うのは当時でも大変でしたよ。背伸びをしないと買えません」と告白された。そりゃ、そうだ。われわれは踊らされていたのである。

新しい楽しみ方が広がっている

「若者の○○離れ」という表現を手放して社会を見ると、見える世界が変わってくる。そこには、新しい楽しみ方が広がっているのだ。その最たる例の1つが、「若者の音楽離れ」である。

CDの販売枚数の減少から音楽離れが指摘されているが、実際には世界的にも音楽の楽しみ方は多様化している。例えば音楽ライブ。2015年の市場は3405億円で、07年の1450億円から倍以上に伸びている。また、YouTubeや定額配信サービスなどネットで音楽を楽しむ人も増えている。別に新譜だけではなく、旧譜を楽しむ時代にもなっている。要するに、最新CDの枚数を争う時代ではなくなっているのである。

photo 音楽ライブ市場は盛り上がっている

このように、「若者の○○離れ」の裏に、最近の若者はもっと青春を謳歌した方がいいのに的な老害の説教が跋扈(ばっこ)するわけだが、見方を変えると、以前は楽しみ方の選択肢が少なかったり、背伸びして消費していただけとも言える。そう考えると、逆に若者をディスる層がかわいそうに見えてきたりもする。

というわけで、メディアも「若者の○○離れ」なんて記事はもうやめといた方がいいんじゃないかと問題提起しておく。そんなものはバカ丸出しの老害芸なのである。

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