このところ、日本における食の常識を揺るがす事態が頻発している。それぞれの出来事には個別の要因があるが、これらはすべて地下深くでつながっている。原因は弱体化した経済である可能性が高く、この部分を改善しなければ、根本的な問題解決は難しい。
もはやウナギは食べられない?
漁獲量の減少から価格の高騰が続いていたウナギがさらに値上がりしている。ウナギの稚魚であるシラスウナギの取引価格は2012年にキロあたり200万円以上に上昇したが、その後は下落。最近は100万円前後で取引されていた。
しかし今年(2018年)に入って価格は再び急上昇を開始し、2月には380万円まで上昇している。この価格帯での取引は前例がなく、ここまで高騰するとビジネスとして成り立たないとも言われる。これに伴って築地市場で取引されるウナギの価格も急騰しており、2月はキロあたり4762円と年末との比較で約1.7倍に値上がりしている。まさに価格はうなぎ登りの状況だ。
今回の値上がりは極端な不漁が原因とされているが、構造的な要因を指摘する声も多い。
実はウナギは、絶滅危惧種に指定されており、このままでは種として存続できるかの瀬戸際にある。極端な不漁が発生するのは、単なる漁獲量の上下変動ではなく、ウナギが本当にいなくなってしまう予兆という可能性も否定できない。
価格が異常に高騰しているのは、ウナギだけではない。生鮮野菜の価格も高騰しており、一時は庶民には簡単に手が出ない水準まで値上がりした。
2017年の10月時点におけるキャベツのキロあたり平均価格は150円、レタスは388円だった(農林水産省調べ、特売価格除く)。ところが、生鮮野菜の価格が急騰し、今年2月にはキャベツは455円、レタスは1048円までに上昇した。だが4月に入ると価格は突如、下落に転じ、キャベツは215円、レタスは367円まで下がった。
野菜の価格高騰も、直接の原因は天候不順とされている。昨年10月に上陸した台風21号の影響で不作になったことや、11月に寒波が到来したことで生産量が極端に減少。3月に入って気温が上昇したことで価格が再び下落に転じたとされている。この話はウソではないだろうが、どうも腑に落ちないと思った人は多いはずだ。
近年、何か不都合なことがあると天候がその理由として列挙されるケースが多いのだが、天候不順はいつの時代も存在していたはずであり、ここまでの価格高騰の理由にはなりにくい。天候要因に加えて、経済的な要因が加わって、異常な価格高騰が発生していると考えた方が自然である。
背景にあるのは構造的な消費の弱さ
筆者は、一連の現象の背景には構造的な消費の弱さがあると考えている。
日本は世界最大のウナギ消費国で、全体の7割を日本人が食べているとされる。日本には「土用丑の日」にウナギを食べる習慣があることから、ウナギを食べることは日本人の伝統だと思っている人が多い。だが、誰もが気軽にウナギを食べるようになったのは、つい最近のことである。
1990年代からスーパーなどで売られるウナギ格安パック商品が急増し、これが消費量の増大に拍車をかけた。以前は、街のウナギ屋さんで食べるケースが多く、価格も高いため、懐に余裕のある人しかウナギは食べていなかった。ウナギはちょっとした贅沢品であり、そうであるからこそ資源の浪費も抑制されていたのである。
一般的に高級品のマーケティングには2つの手法がある。もともと高い高級品をさらに高い値段で提供するやり方と、あえて安い価格設定を行い庶民的な値段で提供するやり方である。
バブル期のように経済が拡大している時には、前者を採用した方が有利になる。中間層も懐に余裕があるので、バカ高い商品でも年1回程度ならと奮発して購入する。だが、経済が縮小あるいは低迷している時にはこのマーケティング手法は通用しない。高級品を庶民的なイメージで売り出し、販売数量で稼ぐ方が有利になる。
スーパーで販売される格安ウナギが爆発的に伸びたのが、デフレ経済がスタートした1990年代からだというのは、おそらく偶然ではないだろう。構造的な消費の弱さがウナギの市場を急拡大させたが、結果的にこの動きは、資源の絶滅まで引き起こしつつある。
増税前の生活必需品買いだめが物語ること
野菜の高騰と下落にも似たようなメカニズムが働いている可能性がある。日本における野菜の消費量は年々低下しており、20年前との比較では15%も減少した。
一般的に市場規模が小さくなってくると、市場の価格形成機能が弱体化し、ボラティリティ(価格の変動)が大きくなる。野菜農家は数量の減少を価格で補う必要があるため、出荷時期などを調整して利益を最大化しようと試みるはずだ。場合によっては投機的な出荷を行うところも出てくるだろう。こうした状況に不作といった要因が加わると、一部で、極端な供給不足が発生し、価格の異常な高騰を招く可能性が出てくる。
市場弱体化による影響はそれだけではない。消費者心理を悪化させ、特定商品への集中や買い控えなど、購買行動のブレを大きくする作用もある。前回の消費増税時の混乱はこうした状況をよく表わしている。
2014年4月に消費税が5%から8%に増税されたが、この前後には、生活必需品を含む多数の商品において、駆け込み需要とみられる販売増と極端な反動減が観察された。
経済的に考えると、増税を前に生活必需品を買いだめすることにはほとんど意味がない。生活必需品は一生買い続けるものなので、消費増税前に多少、買い込んだところで、そこから得られるコスト削減効果はほぼゼロとなってしまうからである。
諸外国では増税を前にした生活必需品の買いだめという行為はあまり観察されておらず、日本でも1997年に行われた5%への消費増税の際には、ここまで極端な動きは見られなかった。今回の増税にあたって買いだめする人が店に殺到したということは、1円でも節約したい人が増えたことを物語っている。これは日本の消費が弱体化していることの裏返しと見てよい。
遺伝子組み換えに積極的な米独の裏側
食と経済は直接関係しないように見えることから、多くの人は見過ごしてしまいがちだが、食の問題を経済と切り離して考えることはできない。このところ一部消費者の間で問題視されている「種子法」(主要農作物種子法)廃止についても同様である。
あまり報道されていないが、日本の食糧管理制度を支える法律のひとつであった種子法が今年の3月末で廃止された。
戦後の日本は、食糧管理制度の下、主食であるコメや麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。種子法は農家に優良な種子を提供するために制定された法律で、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。食糧管理法はすで廃止されており、コメの減反(生産調整)制度もなくなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放することが種子法廃止の狙いである。
一部の消費者や専門家は、種子の分野を民間開放すると、安価な遺伝子組み換え作物の種子が大量に出回り、日本の食が脅かされると懸念している。確かに、市場を開放すればこうした新しい品種が入ってくる可能性は高くなる。だが、これは問題の本質とはいえない。
多くの消費者は、自身の口に入るものについてそれなりに高い関心を持っている。家計に余裕があれば、仮にこうした食品が流通しても、こぞって皆が購入するという事態にはならないだろう。業務用についても、価格よりも品質や情報の透明性が優先されるのであれば、企業側はこうした農作物は使わなくなる。
遺伝子組み換えの種子をグローバルに提供する企業としては、独バイエルや米モンサント(バイエルはモンサントの買収を表明)が有名だが、皮肉なことにドイツと米国は世界でも最大級のオーガニック市場を持つ国でもある。誤解を恐れずに言えば、米国とドイツは、積極的に遺伝子組み替え食品を世界に輸出して利益を上げ、自分たちはオーガニック食材を食べていることになる。厳しいようだが、これが国際社会の現実だ。
仮に日本国内で遺伝子組み換え食品の流入に規制を加えたとしても、似たような問題は他の分野で次々に発生し、もぐら叩きのような状態になることは容易に想像ができる。
遠回りに思えるかもしれないが、食の安全を確保するためには、強い経済が必要である。強固な経済基盤さえあれば、市場メカニズムを活用することで、消費者は結果的に身を守れる。食について議論する際には、こうした視点を欠かしてはならないだろう。