眠い。だるい。かったるい。会社に行きたくない――。そんな苦しみ悶えるような呻き声が、日本のいたるところから聞こえてきそうである。史上最長ともいわれた10連休が終わってしまったからだ。
株式会社アックスコンサルティングが、20代から60代の男女560名を対象に調査をしたところ、連休明けに「会社に行きたくない」と思ったことがあると回答したのは8割にも上った。しかもその中で最も多いのは、「連休に出かけたりしたため疲れているから」(30%)だという。
従来の連休でさえこうなのだから、史上最長10連休ならばなおさらだ。行楽地だ、Uターンラッシュだなんだと疲れきってヘトヘトで、重い体を引きずり暗い気分で満員電車に乗り込むという人が溢れかえっているのは容易に想像できよう。
つまり、日本の「連休」は、本来の意味の「休暇」ではなく、働く人たちの心と体を痛めつけるハードな「苦行」のようになっている、という厳しい現実があるのだ。では、なぜこんな皮肉なことになってしまうのかというと、この「連休」というものが、国が定めた「公休」が連なったものであることが大きい。
公休がゆえ、国民の大多数が一斉に休み、一斉に予約した宿に押しかけて、一斉に観光地に殺到する。こういう団体行動は、多くの人にとって会社や勤務先で行っている「日常」だ。
要するに、満員電車でもみくちゃにされていたのが、行楽地や高速道路でもみくちゃにされるのに変わっただけの話であって、いつもと同じ行動をしているだけなのだ。連休明けに疲れきっている人が多いのは、これが理由である。シチュエーションを変えて、いつもの団体行動をとらされているだけなので、心身を休めることができないのだ。
ただ、実は日本の「連休」が抱える問題はそれだけではない。国は今回のような10連休が働き方改革の一環だとか、国内産業の活性化につながるとか触れ回っているが、長い目で見るとまったくそんなことはなく、むしろ社会が抱える諸問題を悪化させてしまう。
日本の生産性は低空飛行
例えば、今回のような「大型連休」が増えれば、ただでさえ低い日本の生産性が低空飛行のままビタッと定着してしまう恐れがある。
「おかしな言いがかりをつけるな! 連休でしっかり休めば生産性もアップするだろ!」とお叱りの言葉がジャンジャン飛んできそうだが、そもそも生産性とは、労働が生み出す付加価値、とどのつまりは「賃金」が大きな影響を与えるものであって、連休が多い少ないはまったく関係ない。
実際、主要先進7カ国(G7)の中で労働生産性最下位の日本は、同じくG7の中でダントツで公休日が多い。つまり、一部の専門家が喧伝(けんでん)している「しっかり休んでリフレッシュすれば生産性もアップ理論」というのは、「歯を食いしばってがんばれば、いつかきっと結果が出る」と同じ精神論に過ぎないのである。
因果関係がないのなら、連休があったって問題ないだろと思う方もいるかもしれないが、そういうわけにはいかない。日本は公休日が世界でもダントツに多いせいで、生産性向上のためにも必要なあるものがダントツに少なくなってしまっているからだ。
勘のいい方はお分かりだろう、有給休暇である。
有給休暇国際比較調査を行っているエクスペディアによれば、日本人の有給取得率は50%で3年連続で最下位となっている。
よその国の人間よりも真面目だから。仕事に対する責任感が強いから。などなど、この結果を「日本人スゴい論」によって正当化することはいくらでもできるが、日本社会に「有給休暇」を取得できない空気がまん延していて、そのせいで労働者が生み出している価値も無駄に消え失せている、という現実だけは直視しなくてはいけない。自分たちが受け取るべき「代価」を放棄
本来、労働者の正当な権利であるはずの有給休暇を取らないことは、自分たちが受け取るべき「代価」を放棄しているということでもある。それがどれくらいの金になるのかを、第一生命経済研究所が試算している。
『2017年の正社員の有給休暇未消化分が給与額に換算して総額どの程度になるのかを試算したところ4兆円相当になることが分かった。正社員1人当たりでは 13万5千円程の有給休暇を取得できていない。過去10年近く有給取得率が5割前後で推移し、所定内給与が17年の試算に用いた数値と大差ないことなどを考えると毎年4兆円近くの有給が消滅してきたことになる』(マクロ経済分析レポート 2019年2月25日)
この「失われた4兆円」を労働者に正しく還元すれば、実質的には賃上げを行なったことと同じなので、生産性も上がっていく。そこで、有給休暇をどうにか消化させようと、さまざまな取り組みが行われているわけだが、先ほど紹介したデータからも分かるように、まったく効果が出ていない。なぜかというと、有給を取れ取れと叫びながら、それを阻む「連休」を国が増やしているからだ。
大企業ならば、人事や総務が目を光らせて取得率100%を目指すなんてこともできるが、中小では人手不足だ、みんなの迷惑を考えろという無言の圧力をかけられ難しい。
そこにダメ押しをかけているのが、「連休」だ。ここでたっぷり休めるんだから、そこに加えて有給休暇なんて休みすぎだろ、というようなムードが日本の労働現場を覆ってしまっているのだ。
「連休」を増やしてはいけない
だからこそ、「連休」を増やしてはいけない。むしろ、減らすべきだ。国が定めた公休が少なければ、自然と有給休暇を取得する心のハードルも低くなる。労働者の有給消化が常識となれば、日本人の休み方に多様性が生まれる。
職種によって繁忙期も違うので宿も取りやすい。観光地も空いているので、これまでのように行列に並んだり、渋滞でイライラしたりという時間のムダが削減できるので、もっと深い観光を満喫できるのだ。
国が決めた「国民一斉休暇ウィーク」で大混雑の中でヘロヘロになる休み方より、4兆円分の有給休暇を用いて個々が好きなタイミングで、好きなように過ごす休み方のほうが、生産性的にも、労働者のメンタルヘルス的にも遥かにメリットが多いのだ。
ということを言うと、必ずといっていいほど「連休で日本中が特需で盛り上がったじゃないか! 日本経済のためにも連休は必要だ!」とか主張する方がいるが、そのように国民を一斉に休ませて、一斉に消費活動をさせる、みたいな「統制経済」が通用したのは、人口が右肩上がりで増えていた時代くらいまでの話である。
国内観光客はこれから急速に減少していく。連休で生み出せる特需の効果もどんどん薄れていく。
そういう打ち上げ花火的な施策ではなく、その地域にしかない観光資源を生かして、1年を通して、国内外の観光客が継続的に訪れるようにしなくては、これからの日本の観光業は生き残ってはいけない。大分の別府など、外国人観光客が安定的に訪れている地を見れば、それは明らかだ。「みんなと同じでなくてはならない」という強迫観念
他国と比較して際立って低い賃金と有給休暇取得率、そして「KAROUSI」なんて不名誉な言葉を世界に知らしめた長時間労働やパワハラ。日本型組織が抱えるこれらの病理の根っこを探っていくとたいがい「みんなと同じでなくてはならない」という強迫観念へたどり着く。
これは何世代にわたって日本人に刷り込まれた思想なので、すぐには変えることはできないが、新しい時代を生きていくには、徐々にでも変えていかなければいけない。
そこでまずは、「連休」をズラして取得する「ズ連休」から始めてみてはどうか。
小中高生のいる人は家族そろって出かけるために連休を活用するのはしょうがないとしても、そうではない人はなるたけ連休中も休まない。その代わり4月から6月の3カ月間で、ゴールデンウィーク相当の連休が取得できるようにするのだ。
殺人的な満員電車を緩和しようと、鉄道会社が「ズレ勤」を推奨してもなかなかうまくいかないように、この「ズ連休」もすぐには定着しないだろう。
だが、それでもやってみる価値はある。戦時中から続く「みんなで働き、みんなで休む」という全体主義の呪いから抜け出すには、「連休」というものをあらためて見直す必要があるのだ。