「SNS」でお宝情報を手に入れる人、デマに踊らされる人

■帰宅難民の明暗を分けたのは
 大量の情報が流れるネット全盛の社会で「情弱」というレッテルを貼られると、その人はひどく傷つく。情弱とは情報弱者の略。パソコンやスマートフォン(スマホ)のようなインターネットに接続できる情報機器をうまく利用できずに情報から取り残されたり、利用できても取捨選択できずに偽情報に翻弄されてしまう人を指す蔑称だからだ。東日本大震災直後の東京都心を例に取れば、帰宅困難になったもののスマホやケータイを活用してツイッターやミクシィなどのSNS経由で避難所情報を得て寒さや空腹をしのいだ人は情報強者、ひたすら歩き続けることしかできなかった人は情報弱者になる。
 ではツイッターができる人が情報強者なのだろうか。現在も続いている福島第一原発事故ではツイッター上に正しい情報に交じって、さまざまな流言やデマが流れた。評論家の荻上チキ氏がまとめた『検証 東日本大震災の流言・デマ』には、「海苔、海藻に含まれるヨードを十分にとっておくと、放射能が身体に吸収されずに排出されます」というようなまことしやかな流言の例が載っている。海苔や海藻のレベルであれば健康被害は出にくいだろうが、なかには「うがい薬を飲むといい」といった危険な情報まで流れた。
 ツイッターを活用していると自負する情報強者ほど、そのような流言に惑わされやすくなるが、そこで踏ん張って情報の取捨選択ができた人は情報強者の中の強者、実際に海苔や海藻の買い溜めに走った人は情報強者の中の弱者になる。まるで勝ち抜き戦をやっているようだ。
■情弱人生から脱出する3カ条
 ここまで読んで自分は情報弱者だとため息をついた人は、ネットの状況に詳しい慶應義塾大学教授の中村伊知哉氏の言葉が励ましになる。
 「スマホやタブレット端末が急速に浸透しつつある今は情報過渡期、インターネット出現以来、15年ぶりぐらいのメディアの大変革による騒ぎなんです。でも情報の受け手からすると、情報の取得先の間口が広がりテレビ・ラジオ・新聞・雑誌だけでなくなったということにすぎない。だからすべての機器を使いこなせなくても、パソコンでもスマホでもどれか1つ使えればよく、将来的には地デジテレビでも何とかなると思います。それより情報弱者という言葉に過度に焦らないことが必要ですね」そこで情報強者を目指さなくても、情報弱者にならない工夫をすればいい。中村氏は3つの方法をあげている。
 (1)プロに頼る
 誰もが情報の発信者になったことで多様化と同時に情報の洪水が起こっている。呑み込まれないためには、マスメディアや政府関係機関のように情報を集めスクリーニングして発信する「情報のプロ」にアンテナを向ける。自分が信用している有識者でもいい。
 (2)あえて絞る
 自分が本当に欲しい情報、関心のある情報に限定してアンテナを張る。いろいろ追いかけると情報が雪崩れ込んで不安になるので、自分でまずきっちりしたフィルターを持ってみる。
 (3)気にしない
 損得で考えると情報強者になると得することがあるが、情報強者にならなくてもそれほど損することはない。損をしなければいいと構えて、今の段階では強者弱者であることをあえて気にしない。
 中村氏自身はツイッターでは、マスメディアや官庁のような公的な発信源や信頼できる有識者を含め500人ほどをフォローしているという。その中には国内外で流れた情報をフィルタリングして再び流すキュレーターの役割を果たすジャーナリスト・佐々木俊尚さんのような人も含まれている。人選の方法は「新聞や雑誌の記事などを読んで、この人は信頼できるという人を探すところから始める」という。プロの編集者のフィルターがかかっているという信頼感があるからだ。
 それだけの人数がいると、例えば原発情報では原発推進の立場の発言もあれば脱原発、反原発の発言もある。偏った情報に踊らされないためにさまざまな立場の意見を「偏らずに全部見られるように心掛けている」という。ただ「あまりにもフォロー人数が多いと同じ内容の情報で画面が埋まってしまうので、フォローする情報源を時々絞り込んだり入れ替えています」。
 このような方法でまずは脱情報弱者を目指そう。
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「SNS」でお宝情報を手に入れる人、デマに踊らされる人
ツイッターのデマはこう見破ろう
■安易にリツイートしない自制心
 情報強者を自任する人も油断はできない。情報を鵜呑みにしたり、情報を垂れ流していなかったかを検証し、真の情報強者を目指さなければならない。
 東日本大震災は私たちに数々の教訓をもたらしたが、流言・デマのような危険な情報から身を守るという視点では「玉石混交だった情報のうち何が玉だったのか、何が石だったのかという整理作業を自分なりにすることが第一のステップになる」と先述の荻上氏は言う。
 信頼できるソースに基づいて発信されている情報か、そのソースの提示も含めて丁寧な積み重ねのプロセスを経て導かれた結論か。こうした「論理の美しさ」は最大の見極めのポイントだ。
 例えば、海苔や海藻を食べろと医者が言っていたというのなら、その医者は誰なのか。政府が隠している事実というふれこみなら、それをどうやって知ったのか。そのように検証していくと玉と石の区別がつくようになる。完全に分けることは無理でも、玉の中に石が交じる確率は低くなるだろう。
 さらに、「140字の中にソースを示すURLが含まれた情報かどうか」「間違った情報を発信してしまった場合には、きちんと訂正記事を出しているか」も大きな手がかりになる。
 そのような方法で間違った情報に基づいて判断する確率を「数%でも下げることができれば、それによる混乱や不安、救命のためのチャンスロスを減らすことができるかもしれません」。
 関東大震災から私たちは安全な避難の仕方を学んだ。阪神淡路大震災からはボランティア支援の方法を学んだ。それらが起こった時期に比べて格段に複雑な情報化社会の中で起こった東日本大震災からは情報共有に関するスキーム、流言・デマ対策に対するスキームを学ぶことが必要になる。
 しかし仮にスキームが身についたとしても被災直後は情報の需要が情報の供給を上回り、誰もが飢餓状態になる。それが流言やデマを生む素地になる。そこで荻上氏は「政府や自治体、メディアがタイムラグなく透明な情報を公開して、情報の需給ギャップを供給側が埋める努力をするべき」と指摘する。
 その一方で個人としては流言・デマを完全に防ぐことは不可能と心得て、それが善意からであっても安易にリツイートしない自制心が求められる。「間違った情報は、だいたい30分くらい待つと、他のユーザーから訂正が入ることが多い」(中村氏)というから、一呼吸おいてみるのもいいだろう。また、情報を発信するときはソースを示すなど、誰でも情報を検証できるような手がかりを示すことも必要だ。
 情報弱者であることに負い目を抱く必要はない。「メディア大変革による騒ぎ」が収まれば誰もが何らかの情報機器を扱えるようになり、情報が得られないというレベルの「情報弱者はいなくなる」(中村氏)からだ。その代わり、誰もが情報を扱うようになると、情報発信の責任の重さに思いが至らず、みんなが誤った情報を垂れ流す「情報加害者」になるリスクも高くなる。
 「単に騙されない人のことを情報強者というわけではなく、正しい情報を発信するというノーブレス・オブリージュ(強者の義務)を果たすことのできる人が真の情報強者」(荻上氏)であるという自覚が求められる時代に、私たちは生きている。
ジャーナリスト 山本信幸=文 写真=PIXTA

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