『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の快進撃が止まりません。映画は2020年10月16日に公開されると、わずか10日後には興行収入が100億円を突破。これまで宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が持つ25日という興行収入100億円最速突破記録を19年振りに更新しました。
その後も勢いが衰えず、公開から45日後の11月30日には興行収入が275億円を超え、歴代2位の『タイタニック』を抜き去って、第1位の「千と千尋の神隠し」の308億円をも射程距離圏内に捉えています。
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、なぜここまで爆発的なヒットを記録したのでしょうか? マーケティング戦略における「イノベーター理論」の視点から、経営コンサルティング企業の代表を務める安部徹也が分析していきます。
新製品の爆発的なヒットの鍵を握る「イノベーター理論」とは?
イノベーター理論とは、アメリカのスタンフォード大学で教鞭をとったエベレット・M・ロジャース教授が提唱した新製品の普及の過程を体系的に整理した理論です。
ロジャース教授によれば、新製品が市場に投入されるとまずは「イノベーター(革新者)」と呼ばれる最先端技術など新しいものに非常に高い関心を示す層が消費を始めます。消費者のおよそ2.5%がこの「イノベーター」層に該当します。
続いて消費を始めるのが「アーリーアダプター(初期採用者)」と呼ばれる層です。「アーリーアダプター」は消費者の13.5%を占め、「イノベーター」ほどではありませんが、新しい商品に対する情報感度の高い消費者層です。
実際の消費の場面ではテレビなどのメディアやSNSなどを活用した“オピニオンリーダー”や“インフルエンサー”として、消費の拡大に多大な貢献を果たす消費者層ともいえるでしょう。
それから商品が徐々に流行してくると消費を始める消費者層が「アーリーマジョリティ(前期追随者)」と呼ばれるグループになります。特徴としては、これまでになかった新たな商品に対しては購入に比較的慎重な態度を示しますが、「流行に乗り遅れたくない」という気持ちから平均よりも早く消費を始めます。
この「アーリーマジョリティ」は消費者全体の34%を占めるために、このグループにまで新製品が浸透してくると爆発的なヒットの兆しが見られるようになります。
次に消費を始めるのが「レイトマジョリティ(後期追随者)」と呼ばれる層です。この「レイトマジョリティ」の特徴は、新製品に対して懐疑的であり、時間をかけて新製品の評判などを慎重に吟味し、大多数の高評価を確認したうえで自分に必要とあらばようやく購入に踏み切ります。
「レイトマジョリティ」は消費者層の34%を占めますが、大多数の消費者につられて消費を始めるために「フォロワーズ」とも呼ばれています。
そして最も遅く消費を始めるのが「ラガード(遅滞者)」と呼ばれる層です。この「ラガード」は最も保守的な消費者層であり、新製品が伝統的、文化的になるまで購入に至らないとされています。中には最後まで新製品を受け入れない頑固な消費者も存在します。この「ラガード」は消費者全体の16%を占めています。
画期的な新製品を爆発的なヒットに導くためには、これら5つの特徴ある消費者層に対して順番に効果的なアプローチを行わなければならないということになります。
イノベーター理論の視点から『劇場版「鬼滅の刃」無間列車編』の爆発的なヒットのからくりを読み解く
さて、それでは『劇場版「鬼滅の刃」無間列車編』はどのようなマーケティング戦略を駆使してわずかな期間で日本歴代1位に迫る爆発的なヒットを記録したのでしょうか? その変遷を辿っていきましょう。
『鬼滅の刃』は2016年2月に週刊少年ジャンプで連載をスタートさせます。コミックスの第1巻は2016年6月に発売されましたが、2018年6月までコミックス計11巻の累計発行部数は250万部程度でした。
大正時代の人喰い鬼が巣食う世界で、主人公の炭売りの少年・竈門 炭治郎(かまど たんじろう)が、人喰い鬼に家族を惨殺され、唯一生き残ったが鬼にされてしまった妹の禰豆子(ねずこ)※を人間に戻すため、鬼を討つ旅に出るストーリーは、「イノベーター」や「アーリーアダプター」の心は捉えていたものの、爆発的なヒットの鍵を握る「アーリーマジョリティ」にはまだまだ届いていなかったのです。※禰豆子の禰は「ネに爾」が正式表記
そこで「アーリーマジョリティ」にアプローチするために取った方法が、アニメ化でした。2019年4月からアニメの放送が開始。実際に見てみると分かりますが、『鬼滅の刃』は、戦闘シーンなどアニメ化されることによりその魅力が飛躍的に高まります。しかもアニメ制作に携わったのは美しい映像制作に定評があるufotable(ユーフォーテーブル)。
ufotableが織り成すアニメの世界観にマッチする幻想的な映像で、視聴者は『鬼滅の刃』のアニメを見始めるとその世界観に一瞬で惹き込まれます。このアニメは2019年9月まで全26話が放送されましたが、この放送終了時にはコミックス累計発行部数は1200万部に到達。この段階で着実に「アーリーマジョリティ」が消費の輪に加わったといえるでしょう。
さらに『鬼滅の刃』ブームを加速させるために一役買ったのが、Netflixなどの定額動画配信サービスです。通常テレビ放送のアニメは見逃してしまえば再放送まで見ることができません。一方、定額動画配信サービスでは、自分の都合のいい時間にアニメを視聴することができます。
新型コロナウイルス感染症の拡大で定額動画配信サービスの契約が急速に伸びる中、「追加料金がかからなければ世間で噂になっているアニメを見てみよう」と興味を持つ人が増え、そのまま「鬼滅の刃」の虜になった人達も多いことでしょう。
消費者を購入に走らせるためには、気持ちが高まったタイミングで商品を提供する必要があります。アニメが評判になっているものの、すぐに見ることができなければ、購入に対する熱もいずれ冷めてしまいます。そこで、定額動画配信サービスがその熱の橋渡しを行い、『鬼滅の刃』熱が冷めない間にコミックスなどの購入行動につなげていくことができたといえるでしょう。
結果として、この『鬼滅の刃』のアニメ化以降、コミックスの売り上げはうなぎのぼりとなり、2020年10月には遂に累計1億部の発行部数を超えることになるのです。
「アーリーマジョリティ」から「レイトマジョリティ」へと熱が伝わった最大の要因とは?
今回の『劇場版「鬼滅の刃」無間列車編』の記録的なヒットは、「レイトマジョリティ」へのアプローチにも成功した結果といえるでしょう。その一番の要因は多大なるメディアへの露出です。
『劇場版「鬼滅の刃」無間列車編』は、わずか10日間で異例の興行収入100億円を突破すると、テレビを始め、インターネット、新聞、雑誌、SNSなどありとあらゆるメディアでその偉業が取り上げられ、恐らくほぼ全員の消費者が何らかの形で『鬼滅の刃』の情報に触れることになります。
加えて数多くの芸能人や著名人が『鬼滅の刃』のコスプレを行いSNSで拡散していくことも『鬼滅の刃』に対する興味を飛躍的に高めることに一役買っているといっても決して過言ではないでしょう。
この『鬼滅の刃』の偉業は、これまでのアニメ化やコミックスの売り上げなどのベースに加え、新型コロナウイルス感染症の拡大で大型作品の上映がなく、空前絶後の上映スクリーン数を実現できたこと、コロナの影響で外出する機会も少なくなり自粛が緩和されたタイミングで上映できたこと、またテレビアニメの終了(テレビアニメの最終話は劇場版への期待を持たせる形で終了しています)や週刊少年ジャンプの連載終了で多くの“鬼滅の刃ロス”を感じるファンを取り込めたことなど、さまざまな特殊要因も重なって達成できたことだと思います。
ただ、多くのメディアに露出することによって噂が噂を呼び、『鬼滅の刃』熱は「アーリーマジョリティ」から「レイトマジョリティ」に確実に伝わってさらに熱を帯びてきたといえるでしょう。
『劇場版「鬼滅の刃」無間列車編』が歴代1位を獲得し、記録をさらに伸ばす鍵となるのは?
『鬼滅の刃』の特徴として、戦闘シーンは子どもたちが遊びで真似をして夢中になる要素もありますし、主人公の炭治郎の家族愛や敵の鬼が人喰い鬼になるまでの悲しいストーリーなど20代以上の男女の共感を得る要素もあります。
また、大正時代の世界観は、いわば時代劇ともいえ、高齢者がお孫さんとの会話のきっかけとして見やすい環境も整っています。このように幅広い層にアプローチできる作品だからこそ、ここまでのヒットを記録したということもできます。
今後、興行収入歴代1位を達成し、どこまで記録を伸ばすかは、「イノベーター」や「アーリーアダプター」などのコアなファンのリピート回数を増やし、「アーリーマジョリティ」や「レイトマジョリティ」に的確にアプローチして映画館に足を運んでもらうかにかかっています。
もし、『鬼滅の刃』が今後ロングセラーを記録し、日本の伝統的、文化的な作品と認められれば、遂には「ラガード」をも動かして、とてつもない記録を打ち立てることができるといえるのではないでしょうか。