【ジャニーズ性加害問題】34年前、北公次氏の告発が新聞・テレビに完全無視された真相背景に田原俊彦問題と村西とおる監督

9月2日放送の「報道特集」(TBS)は、ジャニーズ事務所が設置した再発防止特別チームがジャニー喜多川氏(1931~2019)による性加害を事実と認定したことを取り上げた。番組では、最初にこの問題を告発した元所属タレントでフォーリーブスのメンバーだった北公次氏(1949~2012)の著作や告白映像も紹介。彼の真摯な訴えには鬼気迫るものがあった。だが当時、彼の告発がテレビや新聞で取り上げられることはなかった。それには、どのような背景があったのか――。 【写真を見る】34年前、「ジャニー氏の性加害」を告発した北公次氏が“現場”となった合宿所を訪れる様子  ***

 特別チームは8月29日、ジャニー喜多川氏が1950年代から2010年代半ばまで、デビュー前の10代を中心とする多数の少年たちに、長期間にわたり広範に性加害を繰り返していた事実が認められたと報告した。その人数については、「少なくとも数百名という被害者の数は、不自然な数ではない」と結論づけた。  その実態を最初に告発したのが、35年前の1988年11月に出版された、北公次氏による「光GENJIへ・元フォーリーブス北公次の禁断の半生記」(データハウス)だった。 「報道特集」では、告発本は35万部も売れたにもかかわらず、《当時、新聞やテレビではほとんど取り上げられることはなかった》と解説した。そして、翌年9月に発売されたビデオ「映像版『光GENJIへ』」も紹介。そこには本人による性被害の告白が残されていた。 北:この人のことを、ジャニーの言うことをきかないと、デビューできないと思っていましたから。一番やっぱし、ジャニーに考えてもらいたいことは、メリーにも考えてもらいたいことは、20年間、まだ同じことを繰り返しているってこと。 ――そして、感極まった北氏は、涙を浮かべつつ叫ぶ。 北:だから、騙すのはよくねえッつんだよ! 子供だけじゃなくて親までも騙してさ。俺の告発なかったらどうなる? やめろよ、もう。もう繰り返しはやめろよ!   さらに、告発本を取り上げなかった新聞やテレビに対しても、彼は不満を訴えた。芸能記者は言う。

事実のセンサクは野暮

「『光GENJIへ』は確かにテレビや新聞では報じられませんでしたが、雑誌ではその衝撃的な内容を取り上げました。自身が所属したフォーリーブスや郷ひろみ、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)、少年隊、光GENJIといったトップアイドルを育ててきたジャニーズ事務所の社長が、所属する若手タレントにデビューをほのめかしながら行為を強要する様子が、あまりに露骨に表現されていましたからね」(芸能記者)  熱心に北のインタビューなどを掲載していたのは、祥伝社の女性週刊誌「微笑」(96年廃刊)くらいだった。なぜ告発本を出したのかについて、北はこう語っていた。 《覚悟みたいなものは、あるんですよね。ここで自分を一度、完全にふっ切ってしまおうみたいな……。/自分としては、落ちるところまで落ちた……と思いますしね。これ以上、失うものはもう何もない。残っているのは生命くらいのものって感じなんですよ。ええ、遺書ももう書いてありますしね》(「微笑」88年12月17日号)  しかし、それから約10年後にジャニー喜多川氏の性加害問題に関するキャンペーン報道を行った「週刊文春」でさえ、当時の記事のタイトルは「元フォーリーブスの告発本に見る“薔薇族”的部分」(88年12月1日号)である。そして、記事の最後はこうまとめられている。 《“美少年の宝塚”だと思えば、事実をセンサクするのは野暮というものか》

昭和末期のタイミング

「当時はまだ、同性愛自体を取り上げるのは『薔薇族』のような専門誌のみで、一般誌はもちろん新聞やテレビでも扱うことがタブー視されていることがありました。テレビ局の忖度もあったかもしれませんが、88年といえば昭和の最末期であり、年末には天皇陛下のご病状が毎日トップニュースで伝えられていました。そんな状況で、この問題を取り上げにくかった事情もあると思います。それもあって、すぐに雑誌での取り上げ方も変わっていきました」(前出の芸能記者) 「週刊読売」88年12月4日号は「ジャニーズ事務所の内幕を暴露した北公次告白本の品格」のタイトルで、版元のデータハウスについて触れている。 《出版前から、この本のスキャンダラスな内容の一部が噂として流れ、業界やファンの関心を集めた。/「光GENJIへ」の版元はデータハウス。三年前の長門裕之の「洋子へ」、去年の「松坂慶子物語」など、暴露本で物議を醸したことのある、ちょっとあぶないノリが売り物の出版社である》  記事はデータハウス社長の鵜野義嗣氏の言葉で締めくくられる。 《ところで、本書のタイトルだが、なぜ「光GENJIへ」なのか。/鵜野社長はこう言う。/「人目を引くでしょ。光GENJIのファンも間違えて買うかもしれないし」/言ってみれば、そのレベルの本なのである》  ジャニー喜多川氏のスキャンダルであるにもかかわらず、冷めた目で報じている記事が多いのには、ほかにも理由があった。 「『報道特集』で映像版が流れた際、画面の左上に《制作・著作 村西とおる事務所》とあったのに気づきましたか? 実を言うと、あの村西とおるさんが、一連の仕掛人だったのです。ですからほとんどの雑誌は、当初からその点に触れる記事が多かった」(同前)  では、なぜ村西氏は、このような本を出版するに至ったのか。

ありがとう! トシちゃん

「彼が監督したビデオが発端でした。88年3月に発売された作品の中で、出演したセクシー女優が『私はトシちゃんと寝たことがある』と発言したことにマスコミが飛びつき、大きな話題になったんです」(同前) 「トシちゃんの追っかけだった」と話すこの女優のインタビュー記事は大いに報じられた。 《四月初頭から、週刊ポスト、平凡パンチ、アサヒ芸能、フォーカス、フラッシュ、ビデオ・ザ・ワールドといった各雑誌に彼女の告発が一斉に取り上げられたのであったが、田原俊彦をかかえるジャニーズ事務所はもちろん黙ってはいなかった。(中略)こうした一連のトシちゃん騒動のなかでジャニーズ事務所が一番苦々しく思ったのは、週刊ポストであった。女性セブンをはじめとして小学館発行の雑誌はジャニーズ事務所所属タレントに依存する度合いが高い。その小学館から発行されている週刊ポストが、たとえTなる仮名とはいえ、所属タレントのスキャンダルを流すことはジャニーズ事務所から言わせれば明らかに“違法行為”であったに違いない》(「噂の眞相」88年6月号)  村西氏はこの機を逃すなとばかりに、同じ女優を使った第2弾のビデオ「ありがとう! トシちゃん」を製作し、4月5日に発売するつもりだった。 「ところがこの日、ジャニーズ事務所の要請により、小学館で当事者同士の話し合いが持たれました。ジャニーズ事務所からはジャニー喜多川氏の姉で副社長だったメリー喜多川氏、現社長の藤島ジュリー景子氏などの幹部、さらに田原本人まで現れた。メリー氏は村西監督と当該の女優に対して、『田原は絶対にその女としていない!』と言い続けたそうです」(同前)

北公次を探し出した

 写真週刊誌「FOCUS」88年4月15日号では、小学館から出てくる村西氏と女優、そして田原を撮影している。 《左の2枚の写真は、週刊誌の版元で行われた「直接対決」を終え、帰途につく当事者たち。御対面の場には、トシちゃんのファンクラブの女の子数人も「首実検」のため登場、「この子は追っかけなんかじゃないよ」と決めつけ、トシちゃんも「初対面だね」と発言したとか。これに対し村西側は、自信タップリに、「訴えなさい。裁判になれば、ちゃんと証拠を出してやる」と応酬。結局、2時間近くに及んだ話し合いは。決裂した模様である。/このあおりで、「ありがとう! トシちゃん」は、5日発売が延期になった》  村西氏は「週刊大衆」2019年9月16日号で当時を振り返っている。 《その後、レギュラー出演していた「11PM」(日本テレビ系)で、「監督、今度はどういう作品を出すんですか」と聞かれて、『ありがとう! トシちゃん』のポスターを出した。そしたら、ディレクターが2人クビになっちゃった。/だから頭にきちゃって、弔い合戦するために「ジャニーズ事務所情報探偵局」という看板を出して、ジャニーズの裏情報を集めた。元フォーリーブスの北公次を探し出して、東京に連れてきた。北公次の名義で『光GENJIへ』という暴露本を出したら、これが百何十部も売れたんです》 「百何十部というのは、その後も北公次名義で出版した『光GENJIへ・再び』、『光GENJIへ3・みんなで考えようジャニーズ問題』、『光GENJIへ・最後の警告』、『さらば!! 光GENJIへ』、『光GENJIファンから北公次へ』の合計でしょう。これら6冊がわずか1年のうちに出版されました。1冊目を出版した際に遺書まで書いて臨んだと言っていた割には次々と続編が刊行されたことで、“売名行為”、“お金のため”と言われてしまったのも仕方がありませんでしたね」(同前)  こんな経緯、いや思惑があったため、テレビや新聞も取り上げにくかったに違いない。それが今、突然大きく取り上げられるようになった。 「特別委員会から“メディアの沈黙”が結果的に被害を拡大させたと指摘されました。とはいえ、こうした経緯に触れないというのも、それもまた一方的な報道だと思います。むしろこうした裏事情も報じたほうが、ジャニーズのやり方を理解しやすいのかもしれません」(同前)

デイリー新潮編集部

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