【新型肺炎】安倍政権の「水際作戦失敗」は、日本のインテリジェンスの敗北だ

新型肺炎の発生・流行を見ていると、その拡大とともに米国と中国はさながら“細菌戦”を実施しているような感がある。

 “細菌戦”とは、細菌兵器(生物兵器)を使用して、敵の戦闘力や生産力を弱める戦争のことだ。とはいえ私は、今回の新型コロナウイルスが「人為的に発生されたものである」と主張したいわけではない。そうした話の真偽や妥当性はともかく、新型肺炎に対する米中の対応は、“細菌戦”という観点から分析できるのだ。

習近平は新型肺炎の脅威をいつ認識したのか?

 そもそも中国当局は、新型肺炎の発生をいつ頃認知したのであろうか。中国では、個人信用情報の「国家管理化」が急速に完成度を高めている。「天網」と命名された、監視カメラのデジタル映像から個人を自動的に識別するためのソフトウエア技術は、2020年には中国全土を100%カバーできるといわれる。

 このように個人情報を把握できる中国共産党が、武漢市で原因不明の肺炎が発生していることを早い段階で認知できないはずはない。中国の検索サイトでは「2019年12月8日に武漢市は原因不明のウイルス性肺炎に感染した患者を初めて確認した。その後も原因不明の肺炎の症例は増えている」とする中国メディアの報道が確認できる。ところが、中国当局がWHO中国事務所に病例を報告したのは12月31日である。

 疑問は、中国共産党支配を揺るがす可能性を秘める新型肺炎発生・感染拡大の情報が、実際は遅滞なく習近平氏に伝わっていたのか、ということだ。ここでは二つのケースが考えられる。

(1)武漢市幹部が保身のために、中央に報告するのを遅らせた
(2)武漢市から報告があったが、党中央がその重大性に気づくのが遅れた

「早い段階で対応していた」は嘘かもしれない

 筆者は、次の理由から(2)の可能性が高いのではないかと考えている。

 中国共産党の理論誌「求是」は、習近平国家主席が1月7日の政治局常務委員会(最高指導部)の会議で「新型肺炎への対応を要求していた」と伝えた。しかし、これは“虚偽”の可能性が高い。なぜなら、習氏が初めて感染防止に関する重要指示を公表したのは1月20日だったからだ。

 では、習氏が嘘をついてまで、「より早い段階で対応していた」と強調するのはなぜか。それは、党指導部への批判をかわすためだろう。

 また、習近平指導部は1月24日~30日の春節を前に、新型肺炎に関連して重大な決断を迫られていたはずだ。すなわち、春節の大移動(延べ30億人)を禁止するか否かである。彼らはこの問題をどう考えたのであろうか。1月24日の春節開始までの主な流れは次の通りだ。

・最初の患者が報告される(2019年12月8日)
・中国当局がWHO中国事務所に病例を報告(12月31日)
・感染源となった華南海鮮市場が閉鎖(2020年1月1日)
・中国当局がWHOに「病因不明の肺炎患者、全部で44人」と報告(1月3日)
・中国当局が新型コロナウイルスのDNAシークエンス情報を発表(1月11~12日)

習近平が“あえて大移動を禁止しなかった”可能性も

 ここで重要なのは、1月12日の時点では「医療従事者の感染はなく、ヒトからヒトへの感染の明らかな証拠はない」と報告していたことだ。この報告は、明らかに脅威を低く見積もっている。20日には習近平国家主席が肺炎感染の拡大防止徹底を指示したものの、14億人の雪崩のような春節大移動をストップさせるだけの重大な脅威情報(公表)は見当たらない。

 私は長年、陸上自衛隊でインテリジェンスの世界に身を置いてきた。その立場から見ると、このときから習近平指導部が「新型肺炎の重大な脅威」を認識していた可能性も、決して捨てきれないと思っている。仮にそうだとすれば、新型肺炎の危険性を知りながらも、なぜ彼らは春節の大移動を禁止しなかったのか、との疑問が浮かぶはずだ。だが、次に示す、恐ろしくも合理的なシナリオを想定すれば、それは簡単に説明がついてしまう。

 もし、14億人が楽しみにしている春節の大移動を「ストップ」と命じたなら、人民は習近平指導部に激高するだろう。それは政権を揺るがす不測の事態になるかもしれない。一方、中国人民を国内に留めておけば、世界に対する新型肺炎の感染拡散は抑制できる。だが、そうなれば中国だけが埋没する(国力を失う)ことになり、米国と覇権を争う上では不利だ。

 人民の大移動を認めれば、新型肺炎は世界中に拡散することになるが、それは結果として、米国にも「一太刀浴びせる」ことになるのではないか……。

 習近平指導部が、ここまではっきりとした意図を持って、「春節の大移動を禁止しない」と判断したかどうかはわからない。だが、多かれ少なかれ、こうしたシミュレーションが彼らの脳内を駆け巡った可能性は十分考えられる。

国連は使い勝手の良い「道具」に過ぎない

 また中国は、米国と覇権争いをするうえで国連は使い勝手の良い「道具」と見做しているはずだ。1971年10月、台湾と入れ替わって国連の常任理事国として国際社会に登場した中国は、総会における多数派工作や、巨額を投じた国際労働機関(ILO)、国際連合食糧農業機関(FAO)、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)などの専門機関の取り込みを営々と続けてきた。

 今回の新型肺炎の発生においては、中国はその工作の成果を、WHOという舞台で見せつけた。テドロスWHO事務局長の、中国の意向を忖度する姿勢は異常とも言える程だった。1月28日にテドロス事務局長と会談した際、習氏は新型肺炎について「WHOと国際社会の客観的で公正、冷静、理性的な評価を信じる」と、緊急事態宣言を出さないよう、恫喝に近い圧力をかけた。中国は、卓越したインテリジェンスにより、テドロス事務局長の個人的な弱みについても詳細に把握しているはずだ。

 一方の米国は、コロナウイルスをシャットアウトして自国に入れないこと、すなわち水際作戦の実施を徹底した。アメリカ国務省は、1月30日、WHOによる「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を受ける形で、「渡航中止」の対象を中国全土に広げ、自国民に中国訪問を控えるよう呼びかけた。

 中国外務省は「悪い手本であり、本当に思いやりがない」などと非難したが、本音は「アメリカは手ごわい」と思ったはずだ。“細菌戦”を仕掛けた中国に対し、米国は素早く防御策を講じた、と私は見ている。

安倍政権の対応は手ぬるかった

 しかし、日本では新型肺炎の上陸を阻止する水際作戦が失敗し、コロナウイルスがスレッシュホールド(敷居=国境)を突破したようで、いよいよ国内での“戦い”を迫られる事態になりつつある。

 安倍政権は中国との関係を重視するあまり、新型肺炎拡大への対応が手ぬるく、後手後手の感がある。「新型肺炎阻止」と「日中関係の改善」という二つの問題の優先順位を間違えたのではないだろうか。

 なにより日本政府には、戦略家(ストラテジスト)がいないのが最大の不幸である。もとを正せば、敗戦により、軍事文化(戦略、戦術、インテリジェンス、リーダシップなど)が排除・拒否され、旧軍人の後を継ぐ自衛官を活用しなかったことに一因があると私は見ている。

制服自衛官の活用が必要不可欠ではないのか

 今の安倍政権も、自衛官(現役・OBともに)を要職から遠ざけ、警察・外務・経済官僚を重用している。警察を重用するのは、政治家の保身を図る目的からだろう。トランプ米大統領が検察当局に働きかけ、自陣営の選挙顧問を務めたロジャー・ストーン被告を擁護する構図に似ている。

 確かに官僚は行政事務能力の点では優れているだろうが、戦争やパンデミックのような国家単位での大規模な危機管理は不得手である。なぜなら、そのような教育や訓練を全く受けていないからだ。

 日本は戦後一貫して制服自衛官を排斥・冷遇してきたが、中国・韓国・北朝鮮情勢の深刻化やパンデミック・自然災害のような事態に対処するためには、制服自衛官の活用が必要不可欠ではないのか。今後の課題として、ぜひ検討していただきたい。

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