東京オリンピックに出場している中国選手にかかるプレッシャーが、かつてなく強まっている。金メダルに届かなければ、どんな成績であれ、ネット上の国家主義者から非愛国的な選手とみなされ非難の的になる。BBCのワイイー・イップ記者が報告する。
卓球混合ダブルスのペアは7月26日、涙ながらに謝罪した。理由は銀メダルを獲得したことだった。
劉詩雯選手は「私がチームを失望させたと感じています(中略)皆さん、ごめんなさい」と言って頭を下げた。目には涙があふれていた。
ペアを組んだ許昕選手も「国中がこの決勝を楽しみにしていました。中国チーム全体がこの結果を受け入れられないと思います」と言い添えた。
中国の独壇場だったはずの卓球の決勝で日本に敗れたことで、ネットは激しく炎上した。
SNS大手ウェイボー(微博)では、一部の過激なユーザーが混合ダブルスのペアを攻撃、「国家を敗北させた」とののしった。
審判が日本の水谷隼選手と伊藤美誠選手のペアに偏っていたとする根拠のない書き込みもあった。
国家主義的熱狂が全土を覆い続ける中、オリンピックのメダル獲得数は、単なるスポーツの栄光にとどまらない現象と化している。
専門家はこの現象について、「超国家主義者にとって、オリンピックでメダルを取れないことは『非愛国者』に等しい」とBBCに解説した。
「そうした人たちにとって、オリンピックのメダル獲得数は、国家の威信、ひいては国家の尊厳をリアルタイムで集計しているに等しい」。そう語るのは、オランダ・ライデンアジアセンターのフローリアン・シュナイダー所長だ。
「この文脈においては、外国人との試合で敗れた人物は、国家をおとしめ、さらには国家を裏切ったことになる」
卓球混合ダブルスの敗北は特に、中国が激動の歴史を共有する日本が相手だったことから、受け入れ難かった。
日本は1931年、中国北部の満州を占領し、その6年後に始まった戦争で何百万人もの中国人が死亡した。この歴史をめぐって両国間では今も対立が続く。
つまり中国の国家主義者にとって、この試合は単なるスポーツイベントではなく、「中国と日本のにらみ合い」だったとったとシュナイダー氏は解説する。
ウェイボーではこの試合中を通して反日感情が渦巻き、ユーザーは水谷選手と伊藤選手をあらゆる言葉で罵倒した。
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しかしこれは日本や卓球に限った現象ではない。
バドミントンの男子ダブルス決勝で台湾に敗れた李俊慧選手と劉雨辰選手のペアもネット上で狙い撃ちされた。
ウェイボーには「おまえたち起きてなかったのか? 何の努力もしなかったな。クズ!」という書き込みもあった。
台湾と中国の間ではここ数年で緊張が高まっている。
中国が台湾を自国の一部とみなしているのに対し、台湾人の多くは国家としての独立を望んでいる。
バッシングされた選手はほかにもいる。射撃の楊倩選手は東京オリンピックで初の金メダルを獲得したにもかかわらず、非難の的になった。
炎上を招いたのはナイキのシューズのコレクションを披露した古いウェイボーの投稿だった。
ナイキは強制労働をめぐる懸念を理由に、新疆ウイグル自治区のコットンの使用を中止すると表明。これを理由に中国でボイコット運動が巻き起こった。
楊選手の投稿には「中国人選手として、なぜナイキのシューズを集めなければならないのか。ナイキに対するボイコットの先頭に立つべきではないのか?」というコメントが書き込まれた。
楊選手はその後、この投稿を削除した。
楊選手のチームメートの王璐瑶選手も、女子10メートルエアライフルで決勝に進出できなかったことで標的にされた。
「我々は国の弱さを代表させるためだけにあんたを送り込んだのか?」というコメントもあった。
地元メディアによると、王選手を非難する投稿があまりにも殺到したため、ウェイボーはユーザー33人ほどのアカウントを停止した。
「小粉紅」
激しい競争が展開されるオリンピックの性質上、どんな形の敗北に対しても人々が興奮する現象は、中国に限ったことではない。
シンガポールでは競泳のスター、ジョセフ・スクーリング選手が7月29日の男子100メートルバタフライで王座を守ることができず、激しい非難の的になった。
バッシングのあまりのひどさに、ハリマ・ヤコブ大統領を含む複数の政府高官がスクーリング選手への支持を訴えている。
しかし中国のネット炎上ぶりは、はるかに激しい。これは単に人口が多く、ネット慣れしたユーザーが多いためだけではない。
「いわゆる小粉紅、つまり強い愛国感情をもつ若者は、オンラインで不釣り合いに発言力が大きい」。米アイオワ州立大学の政治科学専門家、ジョナサン・ハシド氏はそう指摘する。
「この声が増幅される一因には、国家に対する正規の批判がますます受け入れられなくなっている事情がある」
世界的な影響力の増大に伴い、中国の国家主義はここ数年で急激に台頭し、国際社会からの批判は中国の発展を妨げようとする行為とみなされる。
今回のオリンピック開幕を控えた7月1日、中国共産党は創立100周年を迎え、習近平国家主席が演説を行って、中国はもう決して外国勢からの「いじめ」を受けないと力説した。
シュナイダー氏は「当局が国家主義を時事問題を理解するための正しい方法と位置づけ、市民は世界の中の中国の役割について筋道を通す必要がある時に、その枠組みを持ち出すようになった」と解説する。
「中国国民は、国家の成功が重要だと言われてきた。今、中国人選手は東京でその成功を収めなければならない」
ただしシュナイダー氏などの専門家は、そうした怒りをぶつける国家主義者が中国人の大多数を占めているわけではなさそうだと指摘する。
ハシド氏は言う。「もし最も声高な愛国主義者の声だけが一貫して許されているとすれば、その声が実際の数字をはるかにしのぐ割合でオンラインの論議を独占することができたとしても、驚きはない」
ウェイボーでは罵倒の声が噴出する一方で、中国代表選手に対する支持も広がり、炎上に対して「筋が通らない」と批判する声もある。
国営メディアも国民に、もっと「理性をわきまえるよう」呼びかけた。
新華社通信は「画面の前の皆さんが、金メダルに対する理性的な見解、そして勝利と敗北に対する理性的な見解を確立し、オリンピック精神を楽しんでくれることを望みます」とコメントした。
これについて専門家は、中国にとってさえも、国家主義が行き過ぎた場合の「危険」がどこにあるかを表していると指摘する。
「中国はオンライン国家主義を自分たちの目的のために利用しようとしている。だが今回のようなイベントは、中国国民がいったん炎上すると、国家がそうした感情を制御するのが非常に難しくなることを表している」とハシド氏は話す。
「国家主義的感情を利用するのはトラに乗るようなものだ。いったん乗ってしまえば操ることは困難で、降りるのは難しい」