11月5日は「津波防災の日」です。東日本大震災発生後の2011年6月に制定された「津波対策の推進に関する法律」で定められ、さらに2015年には国連総会でも同日を「世界津波の日」と定めました。
この日に改めて注目したいのが神社の立地です。そこには津波防災の知恵が隠されているからです。
村人を救った「稲むらの火」
11月5日は「稲むらの火」という物語にちなんでいます。村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の襲来に気づきます。村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に火をつけました。それを火事と見て消火のため高台に集まった村人たちの眼下で津波は猛威をふるい、村人たちは津波から守られたという話です。
この話は、江戸時代後期の1854(嘉永7)年に発生した安政東海地震の際に村人を津波から救った和歌山県広川町の実業家、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)をモデルにしています。濱口が火をつけたのは高台に建つ神社近くの稲むらで、暗闇のなかで村人たちはその火を頼りに九死に一生を得たのです。その日が11月5日(旧暦)だったのです。
歴史の古い神社が津波に強い理由
仙台市若林区にある浪分神社。東日本大震災でも津波浸水を免れている そこで注目したいのが神社です。東北大学の災害科学国際研究所の所長、今村文彦教授が次のように指摘します。
「東日本大震災(2011年)のあとで神社本庁が行った調査によると、被災地にある数百年以上の歴史を持つ神社約100社のうち、直接的な被害を受けたのは2社にとどまりました。それは、神社がひとたび津波の大きな被害を受けると、より安全な被害を受けなかったところに移動して再建されたと考えられます。実際に東日本大震災でも、岩手・宮城・福島の各県で『神社に避難して助かった』という声を数多く聞きました」
神社は高台や浸水域の境界に建立されているため、緊急時の避難所としての役割を担います。
また、神社には大きな木々が鎮守(ちんじゅ)の森として残っていることが多く、それが津波の被害をおさえる効果をもたらしているのです。
お祭りは究極の防災訓練
今村教授が続けます。
「なぜ、お祭りでは重いお神輿(みこし)をかついで一定の経路を練り歩くのでしょうか。それは、お神輿を担ぐという行為が皆さんと協力(共助)しながら緊急の避難物資を運ぶ訓練になるからです。さらに、お神輿をかついで地域を何度も往復するのは、安全な場所である神社につながる経路(これは避難路になります)を、お祭りを通して住民に知ってもらうためです。お祭りは究極の防災訓練だったのです」
日本の沿岸部は古来から津波被害を受けてきました。地域の氏神(うじがみ)として住民を見守り続けてきた神社は、災害時の避難所として機能し、また「浪分(なみわけ)神社」のように、名称そのものが津波発生時の浸水境界域を示してきました。こうして地元の人に身近な津波防災の知恵を伝えてきたのです。
改めて近所の神社を見直してみませんか。