いじめ問題の背後に「スクールカースト」と呼ばれる子ども社会があるという。クラス内の立ち位置を序列、階層化する傾向だ。九州北部の住宅街にある小学校。5年生の担任をしていた教員(40代)は、いじめをテーマにした授業後、ある女子児童が書いてきた感想文でその現実の一端を知った。「女子は1軍、2軍、3軍に分かれている」 (文中いずれも仮名)
感想文を書いたキョウコによると、1軍は流行に敏感でオシャレなグループ。まじめで勉強ができるのが2軍。いずれにも疎いのが3軍で、キョウコは3軍。1軍トップがアオイなのだという。
アオイは快活で、ファッションセンスも目を引く。そのクラスが始まった3年前の1学期、アオイが中心となったいじめが表面化した。
級友同士の「力関係」が形成されていく6月だった。
クラスには、鼻水をよくティッシュで拭くタケルがいた。「ばい菌」「食べ方が変」。いわれのない中傷を先導したのがアオイ。周りの女子も同調して掃除中、誰もタケルの机に触らない。
タケルは不登校になった。
いじめに気付いた担任は、いじめの4層構造(被害者、加害者、観衆、傍観者)を説明したうえで、被害者の苦しみやつらさ、加害と傍観の罪を諭した。
授業では、架空のこんな事例でも話し合った。
〈「カンニングをした」とうわさされたAが孤立。学級会でBが問題提起すると、今度はリーダー格のCが中心となり、Bが無視されるようになった〉
「どうしてBは無視されないといけないの?」。担任の問い掛けに、女子たちは互いの顔色をうかがい、なかなか意見を出さなかったが、1人の発言を機に発言が続いた。
「Cがリーダーなので、他の子は逆らえなくなっている」
「無視されると怖い」
「それって女子の遊びやん。いつもしてるやん」
「泣いているところを見ていると、面白いやん」
担任は放課後、「面白い」と発言したユイと話した。「からかうと反応が面白い」とユイは言う。担任が「自分がそうなったら?」と聞くと「そりゃ、つらいよ」。
この授業後、キョウコは感想文に「スクールカースト」の息苦しさをつづった。「まるで江戸時代の身分制だな」と担任は思う。勉強ができるユイは2軍なのだという。
でも実は、アオイも悩んでいた。障害のある姉に、母がかかりっきりになっていた。
「私の言うことを聞いてくれない」。アオイは友人同士のラインに「死にたい」と書き込み、授業中に刃物を手首に当てるしぐさも見せ、ドキッとさせる。
担任があらためて話を聞くと、泣きながら「私はいない方がいい」。アオイの状態を伝えると、母親は学校を訪れ、娘を喝した。「なんしようとか」。アオイの口癖は「お母さんは絶対に分かってくれない」。担任はやるせなかった。
子ども同士の人間関係、家庭の背景も絡み、顕在化するスクールカースト。それは大人が考える勉強や生活態度などではなく、全く別の物差しが支配するクラス階層だ。
しかもその位置は流動的で、ささいなことで上下する。担任には、人気投票で力関係が決まるアイドルグループの総選挙も投影されているようにも思える。
学年末、担任はアオイから手紙をもらった。「心配させてごめんね」と書いてあった。
アオイはいま、どうしているのだろう。自分に何ができ、何ができなかったのか…。そんなことを考えながら担任はいま、新たなクラスと向き合っている。
いじめ問題を研究する森田洋司・大阪市立大名誉教授が1986年に提唱した。被害者、加害者、聴衆、傍観者の外に、保護者や地域の存在があることも忘れてはならない。4層間の関係は固定されたものではなく、被害者が加害者になったり、いじめをはやし立てる聴衆が被害者に転じたり、その関係はちょっとしたことで入れ替わる。いじめ対策として、一番外側の傍観者を動かし、いじめ抑止につなげることが有効とされるが、容易ではない。