昭和30~50年代に郊外へ相次いで移転した大学の都心回帰が進んでいる。少子化の影響で経営課題を抱える大学にとって、利便性が向上する都心回帰は学生獲得競争の「勝利の方程式」だが、課題があるのも事実。とくに大学に去られた地方は地域経済の活気が失われることになり、自治体関係者は頭を痛めている。
■東京理科、明治、同志社、立命館…続々都心へ
大妻女子大では現在、文学部と家政学部の1年生が狭山台キャンパス(埼玉県狭山市)で学んでいるが、来春から全学生を東京都千代田区の千代田キャンパスへ移転する。さらに、平成28年以降にも、比較文化学部や社会情報学部の学生らを多摩キャンパス(東京都多摩市)から千代田キャンパスへ移す計画を進めている。
大妻女子大の伊藤朋恭副学長は「学生目線に立った場合、都心の方がインターンシップや就職活動などが圧倒的に有利となる。さらに学生生活の面でも、キャンパスが都心と郊外の2カ所に分散している場合、郊外キャンパスの学生が不公平を抱きがちになる傾向もある」と説明する。
こうした郊外から都心へのキャンパス移転は大妻女子大だけにとどまらない。昨年には明治大が東京都中野区に、拓殖大が文京区にそれぞれキャンパスを整備。東京理科大は28年、埼玉県久喜市の経営学部を新宿区の神楽坂キャンパスに移転する。近畿や東海地方でも同様だ。同志社大や南山大、立命館大などが郊外から都市部へとキャンパス機能を移転したり、移転の計画を進めている。
■都市から郊外、再び都市へ
大学キャンパスの郊外移転が進んだのは高度成長期だ。都市部で1500平方メートル以上の床面積を持つ工場や大学の新設や増設を禁止する「工場等制限法」が昭和34年に首都圏で、39年に近畿圏で相次いで制定された。当時は大学進学率が3割を超えるなど大学生の数も急増。各大学は増える学生の受け入れのため、大規模キャンパスを郊外に次々と開設していった。
それから40年以上がたち、大学を取り巻く社会情勢は劇的に変化。今度は逆に少子化の波が押し寄せ、各大学は学生確保に追われるようになり、都心へ回帰し始めた。
平成14年に規制緩和の一環で工場等制限法の制限条項が撤廃されたことも、追い風となった。しかも工場の国外移転や小中学校の統廃合などで都市部に空き地が出現。それまで都市型キャンパスは、高層タワー型の校舎を建設するなど限られた敷地の有効活用が求められたが、用地取得が容易になったことで、この時期をきっかけにキャンパスの都心回帰が本格化する。
■東洋大の成功…大学経営「勝利の方程式」に
東洋大は17年、埼玉県朝霞市の朝霞キャンパスから、文系5学部の学生を東京都文京区の白山キャンパスへ移し、都心で4年間履修できるようにした。その結果、東洋大は志願者数を前年度比9%も伸ばすことに成功した。
大学志願者数の推移を調査しているリクルート進学総研によると、東洋大に続いて都心回帰に舵を切った共立女子大、東京家政大、立正大、国士舘大でも、移転により志願者が増加する傾向が確認されている。
都心回帰は、大学経営にとっての「勝利の方程式」といえる。
リクルート進学総研の小林浩所長は「利便性を好む学生側の嗜好(しこう)の変化や、保護者側の経済的な苦しさなど社会構造の変化を受け、大学の経営戦略が試される時代となった」と指摘する。その上で、「都心回帰はまだ途中で、今後も続くだろう」と予想した。
■少子化で押し寄せる「2018年問題」
日本は30(2018)年以降、18歳人口の減少期を迎える。リクルート進学総研の試算では、その後、37(2025)年までの8年間で、大学進学者は5万人減となり、定員規模500人の大学100校(進学率5割の場合)ほどが経営難に陥るとされている。
また、大学の都心回帰により、地域経済に与える深刻なマイナス影響も懸念されている。
大学の郊外移転は、郊外の自治体に活気をもたらしてきた。学生らは地元商店などの消費者にもなる一方、アルバイトなどで地域経済を押し上げる効果もあった。
愛知県瀬戸市では、19年に名古屋学院大の一部学部が名古屋市へ移転。南山大学も29年にかけて、名古屋市へと移転することになっている。市によると、これまで学生らが地元商店街と協力して行っていたまちづくり活動などが、最近はほとんどみられないという。
瀬戸市の担当者は「下宿生がいなくなるなどの面で影響はなかったとはいえない。だが、大学側の都心回帰は時代の必然的な流れと考えている」と話した。