ちょっと前までブームだったのに、なぜ「高級食パン」への風当たりは強いのか

「高級食パン」のブームが終わるらしい。

 「嵜本(さきもと)」「乃が美」の二匹目のドジョウを狙おうと、全国に「高級食パン専門店」が乱立したことで「なんか新鮮味ないよね」と消費者の熱が冷め、オープンしてわずか半年で閉店というケースも増えているそうだ。さらに、ウクライナ危機による小麦価格の急騰がトドメを刺して、18年ごろから続くブームが終焉(しゅうえん)を迎える……と最近さまざまなメデイアが盛んに報じているのだ。

 そういう記事を読んでいて、ちょっと気になることがある。同じく「空前の大ブーム」から「閉店ラッシュ」という道を歩んだタピオカやパンケーキという「先人」たちと比べると、世間の風当たりがなんだかちょっぴり強いように思うのだ。

 例えば、ネットやSNSには高級食パンは「ぼったくり」「砂糖を入れて甘くしているだけで菓子パンと変わらない」なんて感じで否定的な声が多い。2021年5月28日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、有吉弘行さんとマツコ・デラックスさんが高級食パンの柔らかさが「ちょっと苦手」「バターと砂糖いっぱい入り過ぎ」などと話題にしたことを受けて、SNSでアンチが「一回買えばいい」「どこがおいしいのか分からない」などと大盛り上がりしたこともあった。

 テレビのニュースやバラエティ番組で、毎週のように激安スーパーや激安グルメを紹介しては、「企業努力がスゴい!」と称賛する「安いニッポン」において、食パン2斤で1000円前後する高価格帯に強烈なアレルギーがあるというのは容易に想像できるが、それにしたって叩かれすぎの印象は否めない。

 ワインやナチュラルチーズなども、スーパーで売っているような庶民的な価格の製品とは0がひとつ違う高級品もあるが、それらはちゃんと市民権を得ている。普段は500円のワインを飲んでいる人も、高級ワインを「ぼったくり」などとディスったりしないのだ。

 にもかかわらず、なぜ「高級食パン」に対しては、ここまで強い迎い風が吹いているのか。ひとつ考えられるのは、「変な名前のパン屋」が悪目立ちしてしまった可能性だ。

●「変な名前のパン屋」が悪目立ち

 近年の高級食パンブームでは、「考えた人すごいわ」(東京都清瀬市ほか)、「生とサザンと完熟ボディ」(神奈川県茅ケ崎市)、「夜にパオーン」(静岡県袋井市)など、個性的な名の店も注目を集めた。皆さんも市街地や国道沿いに突如現れた、謎の言葉が看板に大きく掲げられた高級食パン専門店を見かけたことがあるのではないか。

 ちなみに、これはパン屋の開業支援をされているベーカリープロデューサー、岸本拓也氏の“仕掛け”である。岸本氏が代表を務めるジャパンベーカリーマーケティング社の公式Twitterによれば、「日本各地・ アジア・オセアニアに350店舗以上のパン屋さんをプロデュース」しているという。

 さて、このような「変な名前のパン屋」の良いところは、やはり目立つことで、SNSやクチコミでも大きな話題となり宣伝費がいらないことだ。が、それは閉店した場合も目立ちやすいということだ。注目を集めていただけに落差も大きく、「目立ったことで行列とかもできていたけど、潰れたってことは食パン自体は大したことなかったってことだよな」という“看板倒れイメージ”が広がってしまうリスクもある。

 デイリー新潮の『ふわふわで甘い「高級食パン」ブームに翳り 半年と持たず閉店する店舗も』(1月24日)によれば、これらの「変な名前のパン屋」は21年だけでも15店を超える店舗が閉店しており、うち9店は開業から1年と経たずに店を閉めているという。

 これだけ閉店が目立つようになってくると、「やっぱりね」「売れてないんだな」というネガな反応も増えていく。22年1月初旬に投稿された「変な名前の高級食パン店がバタバタ潰れていて気持ちがホッコリしています」というツイートも大きな話題になった。

 つまり、「変な名前」によって得ることができた話題性や「面白い!」という好意的なクチコミという好循環が、ブームが下火になったことでそのまま「逆回転」しているのだ。

●日本人が大切にしてきた暗黙のルール

 この悪目立ちに加えて、「高級食パン」に対する世間の風当たりの強さには、もうひとつ大きな原因があるのではないかと個人的には考えている。

 それは「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」という日本社会の暗黙のルールだ。これが発動しているので、一般的な食パンの5倍近い高価格を「ぼったくり」だと感じてしまう。多くの人が「高級食パン」に対してうっすら感じている、言葉でうまく説明することができない嫌悪感のもとになっているのではないか。

 と聞くと、「日本人の主食はパンじゃなくて米ですよ、そんな常識も知らないんですか」というツッコミが入るかもしれないが、総務省統計局の家計調査によると、14年から21年まで8年連続で、1世帯当たりのパンの支出額が、米の支出額を上回っている。

 実はデータ的には、日本人の主食はずいぶん前に米からパンにとって代わっているのだ。

 なぜこうなるのかというと、日本人の3割を占める高齢者が米食からパン食に進んでいることが大きい。ご高齢の親などがいる人は分かるだろうが、実はシニアほどよくパンを食べている実態がある。先ほどの家計調査をみると、最も食パンを購入している単身世帯では、34歳以下よりも60歳以上の高齢者のほうがかなり多いのだ。

 さて、このような日本の現状を踏まえて、国民の「主食」であるパンが高額で売られたら、庶民がどんな反応になるだろうか。ヤマザキパンやパスコの良心的な価格の食パンの5倍もする高額なものが扱われ、しかもその店には「夜にパオーン」なんて意味不明な言葉がデカデカと掲げられているのだ。

 イラッとする人があらわれるのも、しょうがないのではないか。中には、「他の真面目なパン屋と比べて、そこまで劇的に味が変わるわけじゃないのに、ずいぶんとふっかけるじゃないか」なんて感じで「ぼったくり」という感想を抱く人も出てくるだろう。

 つまり、高級食パンへの強い風当たりは、「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」という日本人が大切にしてきた暗黙のルールに対して、ケンカを売るような構図になってしまったでことが大きいのではないか。

●高級米も「大苦戦」

 なぜ筆者がそのように考えるのかというと、実はこれまで日本人の主食だった「米」に関しても、同じような現象が見て取れるからだ。

 世間が「高級食パンブーム」にわく少し前の16年ごろから、「高級米ブーム」が起きていたことはあまり知られていない。この時期、高級ブランド米の代名詞であるコシヒカリに肩を並べる「高級米」が続々と世に送り出されているのだ。その代表が17年に登場した際に、最高級魚沼産コシヒカリに近い、5キロ3200〜3500円の値をつけた「新之助」だ。

 この「高級米ブーム」も「高級食パンブーム」と同様、大きな話題となって一部の裕福な人たちから「毎日食べたい」と熱烈な支持を受けた。が、一方で一部の庶民からは高級食パン同様にネガティブな反応が見られた。「試しに一度買ってみたけどまずい」「高すぎる」とボロカスに叩く人も出た。

 そして、こちらも高級食パンブーム同様、徐々に苦戦していく。『ブランド米が乱立、「いきなり超高級」で背水の陣』(日本経済新聞 2017年10月26日)という記事にはこんな苦境がレポートされている。

 『ブランド米が乱立するなか、数年前に出たある銘柄について「なかなか売れなくて困る」と打ち明ける小売店や卸が少なくない。都内の複数のスーパーでこの銘柄の精米日を確かめてみると、1カ月たっている袋もあった。しかし、袋の裏側には「精米から2週間程度が鮮度の目安」などと書いてある』

 このように人気はかんばしくなかったが、スーパーや小売店はブランド米を撤去もできず値下げもできない。記事中に登場した大手コメ卸幹部によれば、「県や代理店からブランド力を維持してほしいとの要請が強い」そうで、「我慢比べ」の状態だという。

 つまり、米の生産量が大きく落ち込む中で、自治体が生産者の生き残りを目指して、付加価値向上を目指したわけだが、結局「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」という日本社会の暗黙のルールの前に「大苦戦」をしていたというわけである。

 「高級食パン」という新たなジャンルで付加価値の向上を目指したものの、結局「高すぎる」「ぼったくりだ」と閉店続出に追い込まれている今のパン業界と同じことが起きていたのだ。

●高級米も「安いニッポン」に屈した

 「高級米」と同じ道をたどっているとすると、「高級食パン」の未来は決して明るくない。「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」という消費者の無言の圧力を受けて、じわじわ値下げに追い込まれていくからだ。

 日本経済新聞社の調査では、最高級の新潟魚沼産コシヒカリの卸値(1俵=約60キロあたり)は1994年に3万6000円台まで上がってからはじわじわと落ち込んで、2015年ごろになるとなんと94年と比べて4割ほど安い2万2000円台まで低下している。ちなみに、この動きは「失われた30年」で激安になった日本人の賃金ともリンクをしている。

 いずれにせよ、「最高級」と言われるコシヒカリでさえ、ここまで分かりやすく「安いニッポン」に屈しているのだ。「高すぎる」と叩かれて閉店が相次ぐ「高級食パン」も軽く軍門に下ってしまうだろう。

 という話をすると決まって、「小泉改革が悪い」「円安のせい」「アベノミクスが元凶」「消費税をなくせばすぐに解決」と外的要因に持っていく人たちがいる。まったくの無関係ではないが、「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というこの暗黙のルールに関しては、そういう最近の表面的な話の結果ではなく、戦前から続く日本人の「信仰」のようなものだ。

 よくパンの話になると、「戦後に米国の占領期に給食で出されたことで国民に普及しました」みたいな説明をすることがあるが、実はこれは真っ赤なうそで、戦前から既にパンは日本人にとって欠かせないものとなっていた。

 新聞やラジオでは、自宅でおいしいパンのつくり方が連載され、腕の悪いパン屋が増えると、『近頃の食パンはなぜ不味い?』(読売新聞 1935年12月6日)なんて真剣に討論された。だから、戦争に突入すると、「われわれ勤め人は最近街頭に全然パンが無いので困つている」(同紙1941年2月27日)という文句を投書するサラリーマンも多くいた。

●戦前、パンは「準・主食」

 戦前の日本で、食パンは今のように「主食」ではなかったが、「米の代用品」という地位を確立していた。言うなれば、「準・主食」だったのである。というわけで、当然これまで申し上げてきた「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というルールもしっかり適用される。

 例えば、満州事変が起きる1年前の1930年7月、「お次はパン値下げ 米の代用品が餘りに高いと警視庁が動き出す」(読売新聞 1930年7月17日)という記事が分かりやすい。

 『小市民にとつては米の代用食とも謂ふべきパンの値段が他の日用品と較べて篦棒に高いことを発見し、今度はパンの値下げを行はしむべく之が具体策に付き慎重研究を進めてゐる』

 当時、警視庁が原料などから割り出した適正な価格は「一斤八銭」。これで売っても「十分利益はある」とパン屋に値下げを強く要求したわけだが、記事中に登場する「某パン店」は「私のところでも一斤十八銭のを一斤十四銭に下げました。しかし八銭はヒド過ぎますなァ」とため息をついている。

 「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というルールがこの時代もしっかりと健在だったことがうかがえよう。「高級食パン」に対して「高すぎる」「ぼったくり」とディスる人が多いのは、景気が悪いとか、アベノミクスがどうしたとかと全く関係がなく、われわれ日本人の伝統的な価値観に基づく当たり前の反応ということなのだ。

 これまで本連載で繰り返し述べてきたが、「安いニッポン」の根本的な原因は、中小零細企業を税金で手厚く保護をして、「とにかく倒産をさせない」という日本独特の産業構造によるところが大きい。個人よりも法人の生活保障を優先してきた結果、「賃上げは悪」を常識とする「労働者を犠牲に中小企業が延命していく」という世界でも珍しい独特な経済モデルが定着してしまった。

●高級食パン側から見捨てられる日

 これを解決するには、産業構造の転換を促す、継続的な最低賃金の引き上げが不可欠なのだが、残念ながら政治の力でそれを断行しようとすると、選挙でボロ負けするか支持率が急落するので、失業したくない政治家はこの問題をウヤムヤにして先送りするしかない。

 ということは、まだしばらく「安いニッポン」は続くということであり、「高級食パン」や「高級米」もじわじわと窮地に追いやられるということだ。

 コシヒカリなど高級ブランド米と同じく、「嵜本」「乃が美」という高級食パン専門店も、こぞって海外進出を目指している。現状ではまだなかなか難しい戦いではあるが、高級米や高級食パンが生き残っていくには、日本よりも賃金が順調に上がっている欧米、中国、台湾、東南アジアなどに標的を絞ったほうがよほど未来はある。

 「高すぎる」「ブームはおしまい」なんて感じで、「高級食パン」をディスっている人も多いが、あと10年もしたら「高級食パン」側から見捨てられているのは、「安いニッポン」で貧しくなっているわれわれのほうかもしれない。

(窪田順生)

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