どん底からはい上がる 東北楽天2005年参入 97敗スタート

東北楽天は球界を揺るがした2004年のオリックス、近鉄の合併に端を発する再編問題を経て、半世紀ぶりの新球団として誕生した。楽天のほか、同じIT企業のライブドアも参入を表明し、オーナー会議で楽天の新規参入が認められた経緯や、近鉄のエース岩隈が合併球団オリックスへの入団を拒否、金銭トレードで東北楽天入りするなど、話題性は高かった。
 チームは手探りでのスタートだった。
 04年11月13日から大阪・藤井寺球場で秋季練習が始まり、背番号もない真っ白な臨時のユニホーム姿で第一歩を踏み出した。05年の沖縄・久米島キャンプではまだ仲里野球場一つしかなく、1、2軍合同の練習を強いられた。
 当時選手会長だった礒部2軍外野守備走塁コーチは「正直、プロがキャンプする球場じゃなかった」という。本拠地の宮城球場も築50年以上が経過しており、大規模改修。何とか開幕に間に合った。
 シーズンが始まると、厳しい現実を突きつけられた。メンバーは04年11月8日の分配ドラフトで、オリックスと近鉄の合併球団のプロテクトから外れた選手と、他球団を戦力外となった選手で構成されており、力不足は明らか。05年3月26日の開幕戦は岩隈が完投して3-1でロッテを破り、歴史的な初勝利を挙げたが、翌日は0-26の記録的大敗。シーズン100敗こそ免れたものの、38勝97敗1分けで最下位に沈んだ。
 田尾氏は1年限りで解任。バトンは野村氏(06~09年)、ブラウン氏(10年)、星野監督(11年~)と引き継がれ、9年目で頂点にはい上がった。田尾氏は「弱いチームがあって今がある」と述懐し、野村氏は「負けていても帰らず、温かい声援を送ってくれる。あんなにやりやすいファンはいない」と懐かしそうに話した。

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