2014年12月15日の発売から1ヶ月が経過したトヨタ自動車のMIRAI。先日はトヨタの豊田章男社長自ら首相官邸に納品し、安倍首相とMIRAIに 乗る姿が注目された。安倍首相は運転席から「規制改革と技術革新で時代を前進させたい」とコメントした。経済産業省にも納品されたことは、トヨタのPRと しては最高のものになったと言えよう。
販売台数は発売1ヶ月で1500台。年間計画で400台と見込んでいたトヨタの想定をはるかに超 え、1ヶ月で年間数字の約4倍の販売台数を達成したことになった。現段階では官公庁、エネルギー関係の企業による購入が約6割、個人による購入が約4割と いうことだ。この比率を見ても個人消費だけで1ヶ月という短期間で年間販売台数をクリアしたことになることがわかるだろう。政府は、全国に40ヶ所程度の 水素ステーションを今年度中に120ヶ所にまで増やす方針を打ち出している。燃料補給のためのインフラの充実は、法人ではなく個人の消費をますます促して いくはずだ。
日本人の車離れが進む中、年間販売目標の4倍の数字を1ヶ月で達成したというのは圧倒的だ。実は日本人は車離れをしているの ではなく、魅力的な車がなかったから買わなかったという一面を、MIRAIは浮き彫りにした。MIRAIの価格は723万6000円であり、国の補助金を 受けても500万円以上という高額車だ。しかも大きな車ではない。それでもMIRAIが人気になった理由は何だろうか。
■変わる消費者の自動車選択基準
MIRAI の人気を見てあらためて感じることは、消費者が自動車に求めるものは「走りの楽しさ」や「デザインのかっこ良さ」や「所有するステータス」ばかりではない ということだ。残念ながら、日本の自動車業界の車作りも、広告やPRも、この要素から大きく離れることが出来なかった面がある。これらの要素ばかりが重視 された結果、自動車に興味を持たない日本人が増えてしまったとも言える。
日本人の自動車離れの原因には「少子高齢化」「都市部への人口集 中」など、国としての状況の変化が大きいのはもちろんだ。だが、自分たちが欲しいと思える自動車が少なくなっていたのだ。つまり、マーケティング的に言え ば、消費者のニーズやウォンツ(潜在的な欲求)を自動車メーカーは捉えられていなかったのだ。
■なぜ都心部ではベンツが選ばれるのか?
東京都港区では、ベンツの登録台数がカローラの登録台数の約6倍の多さだ。その理由は何だろうか。「走りの良さ」でも「ステータス」以上に重視されるのは安全面だ。東京都心でベンツを運転する家庭の中には、男性だけではなく女性も多い。なぜなら学校や 習い事などに忙しい子どものために、日常の「足」が必要だからだ。女性の中には運転が得意ではないと自覚している人も少なくない。必要なので運転をしなけ ればならない状況においては、万が一の事故に備えて出来るだけ安全な自動車が欲しいという心理が働く。それは自分のためではなく、子どものためなのだ。だ からこそ、東京都心部、特に港区や世田谷区においてはベンツが多いのだ。
都市部は高額所得者が多く、周りが乗っているからベンツが多く購入されていると考えるだけではベンツが売れる説明にならないのだ。
■新車販売台数シェアで4割を超えた軽自動車
2014 年の新車販売台数における軽自動車の割合が初めて4割を超えた。車両価格、税金、燃料費が安いということもある。ただ、それだけではなく実用性が高まった という面も大きいのだ。軽自動車と言えば“小さくてカッコ良くはない”というイメージを持つ人が多かった。しかし2014年にハスラー、ウェイク、Nなど が発売されたことにより、消費者が動くようになったのだ。それまでミニバンに乗って地元の仲間と遊びに行っていた若者達まで、普通車レベルに広い室内を 持った軽自動車に興味を持ち、購入するようになったのだ。
今までの自動車選択基準から離れた自動車が出た結果、車離れの若者達を動かせるようになったのだ。
■ワクワクしたい消費者
無理に売るな。客の好むものを売るな。客のためになるものを売れ。
これは松下幸之助の有名な言葉だ。
こ れだけ情報も製品も溢れている時代、かつ性能や機能がそれなりに充実している時代には、消費者は商品に大きな不満はない。逆に言えば、不満もなければ、要 望も感じないのだ。そんなことを考える必要性がないのだ。したがって、消費者ニーズを知ろうと消費者自身に聞いても答えを簡単に出て来ない。まず、企業側 が消費者の想像を超えたものを用意しなければ、消費者の本当の気持ちはわからないのだ。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズを思い出して欲しい。未来に役立つ商品を自分で考え、製品化してきた。その結果、アップルは次に何を出すのだろうとワクワクした消費者から熱狂的な支持を受けるようになっていったのだ。
ト ヨタ自動車のMIRAIは消費者の想像を超えた価値を提供したことで、想定をはるかに超えた人気を獲得した。数年前、トヨタがピンクのクラウンを発売した ことを覚えている人も多いと思う。数年前、トヨタはトヨタの代名詞とも言える高級車クラウンを、あえてピンクにした。これによって「トヨタは変わるぞ!」 ということを社内外にアピールしたのだ。詳しくは以前のブログ「ピンクのクラウンを発売する本当の目的、ご存知ですか?」をご参照頂きたい。そしてトヨタ はMIRAIで消費者の想定を上回ってきた。
トヨタといい、軽自動車メーカーといい日本の自動車メーカーが、ようやく“モノを言わない消 費者”をワクワクさせるようになってきた。昔から続いているような表層的な調査に重きを置いてマーケティング戦略を構築する企業の中には、なかなか結果を 出せない企業も少なくない。この自動車業界の事例は、多くの日本企業が抱える閉塞感を打破するポイントを示す好例と言えるだろう。
(新井 庸志)