最近テレビに出ずっぱりだ。インターネットの出演ランキングサイトで昨年10月からダントツの露出伸び率を示し、ツイッターでも「露出が異常に多い」とつぶやかれている。
きっかけは、昨年AKB48の前田敦子似と週刊誌に書かれたところ、前田が「どこが!」と不愉快をあらわにしたからとか、周囲を圧倒せず、率直に自分の話ができて可愛げがある「オバサン芸人」っぷりがウケているとか、さまざまな理由が飛び交っている。はっきりしたことはわからないが、震災後のお茶の間に、東北弁の口調でほっこりしたぬくもりをもたらしているのは確実だ。
1947年4月4日、山形県米沢市生まれ。6人きょうだい。小学4年生からモダンダンスを習い、中学卒業後、ダンサーで10歳年上の姉を頼って、大阪へ。宝塚歌劇に入団したかったが、習い事にお金がかかるため断念した。大阪では意に反して、手品師の内弟子になり、料理や掃除など師匠の身の回りの世話のほか、舞台のアシスタントを務めた。
1年後に上京して、74年に日劇ミュージックホールのヌードダンサーに。だが仕事で芽が出ないまま、地方のキャバレー回りが続く。踊っている最中にビールをひっかけられたり、バカにされたり下積みが長かった。芸人として認められたきっかけは26、27歳の頃に日劇で東北弁のコントをしてから。東北弁丸出しの明るいコメディエンヌとしてテレビ出演するようになる。
さらに「シャバダバシャバダバ~」のオープニング曲の「11PM」(日本テレビ・65年11月放送開始)でカバーガールのひとりに。由美かおる、かたせ梨乃、杉本彩、ヒロコ・グレースなど大人の色気むんむんの女優らと同列だった。今のオバサン体形からは想像もできない!
女優歴も長い。今村昌平監督の83年カンヌグランプリ作品「楢山節考」で、重要な役どころに抜擢された。故郷を出てから、いつも励ましてくれた母親が一番喜んでくれたが、病気になった母を見舞うことができず、悶々としながら撮影に臨んだ。母親は封切り前に帰らぬ人となった。
テレビドラマでも独特の香りを放つ。92年、連続ドラマ「ある日、突然…」(TBS系)で主婦を演じた時に、「私は、便所の裏に咲くドクダミの花ですから」と「ドクダミ個性派女優」を自称した。役にどっぷり漬かったせいで10キロ痩せたという。
大のラーメン党だ。手品師のアシスタント時代、「ラーメンはわずかな小遣いでできる何よりのぜいたく」と語る(03年読売新聞)。モチが苦手だったため、物ごころついたころから、正月は雑煮ではなく、ラーメン。しかも出前で2杯も。下積み時代にラーメンを食べるたびに、なぜか故郷の米沢を思い出して「頑張るぞ」と前向きになれたという。
テレビの露出が増え続けると、そのうちこの人の「米沢ラーメン」のCMが流れるかもしれない。