窪田順生の時事日想:
以前、このコーナーで、福島第一原発から避難してきた作業員と家族が放射線検査でパニック状態になっていた映像をテレビ局がお蔵入りにした、という話をしたら、読んだ方たちから反響があった。
「マスコミの常識は、世間の非常識」を象徴するようなエピソードだが、そういう非常識な世界で生きてきた人間からすると、この手のネタは言い始めたらキリがない。
例えば、昨年3月18日、東電幹部から「手遅れかもしれないが、事実なので報じて欲しい」ということで情報提供を受けた。
なぜ彼が口を開いたかといえば、その前日、NHKなどで「福島 除染が必要な被災者なし」という報道があり、「さすがに黙っていられない」と憤りを感じたことがきっかけだった。
内容は簡単に言うと、内部被ばくの危険性だ。彼が言うには、当時、地方自治体がおこなっていたスクリーニングはザルで、原発周辺から逃げてきた方たちが放射性物質を身体に付着させたまま日本全国を移動することで、それを吸い込んだ方たちが内部被ばくする恐れがあるというものだった。
この経緯は『原発の深い闇』(宝島社)という本で紹介したが、マスコミが彼の告発を取り上げることはなかった。
彼は私だけではなく、テレビ、新聞などのマスコミ記者にこの話を持ち込んだが、最初は身を乗り出して聞いていた者も、しばらくすると暗い顔でこんな弱音を口にしたという。
「上にかけあいましたが、ダメでした。そんな話を報じたら放射能差別だって苦情が殺到するって」
おいおい、報道機関のくせに、そんなに苦情が怖いのかとあきれるかもしれないが、彼らは怖がっている。報道は組織が大きくなればなるほど、視聴者や読者からの苦情を意識して、なにも言えなくなくなるのだ。
●マスコミが頭を下げない理由
いったい、なぜこんなお粗末なことになるのかというと、マスコミというのは「人に頭を下げる」ということを極度に恐れるからだ。
新聞社に入社すると「お詫び記事を出さない」ということを徹底的に叩き込まれる。確かに、不祥事企業や政治家の謝罪会見で、「なんで発表がこんなに遅れたんだ!」「ちゃんと謝れ!」とかエラそうに言っている連中が間違いだらけではカッコがつかない。
だが、記者は神ではない。せいぜい、有名大学の法学部や経済学部を卒業した程度で、電通や講談社などのマスコミ受験をしてたまたま引っかかったというフツーの人も多いので、官僚や政治家の情報操作に引っかかって、偏った話を流す。しかもわりと頻繁に。
だが、それを認めてしまうと諸先輩たちが築き上げた報道機関としての信頼が……という重圧がやがて「頭を下げないでやり過ごす」という「作法」を生むことになる。
「報道」には実は、茶道や華道に通じる厳密なルールがある、と私が主張している所以だ。
●「報道」は思った以上に奥が深い
茶道の大成者である千利休は、天下人秀吉に逆らって、罪に問われた際にこのように述べたという。
「頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもございます」
権力に屈して自分を否定したら、茶の味が穢(けが)れるというわけだ。同じく「道」を名乗るマスコミも、そんな利休を真似る。
1カ月ほど前、日本テレビの「news every.」が特集「食と放射能 水道水は今」の中で、飲料水販売会社を取り上げた。だが、その時にブラウン管に登場させた「顧客」がその会社の経営者の親族だということが発覚した。
実はこの番組では昨年にも同じようなインチキをした前科がある。
さすがにこれは平謝りだろうと思っていたら、番組のWebサイトに「報告」という奇妙な声明がアップされていた。
この事実は日本テレビの「取材対象企業の利害関係者をユーザーとして扱ってはならない」という取材ルールに抵触していました。今後は十分注意し、視聴者の皆さんの信頼に応えた番組つくりをして参ります
視聴者をダマしてすいませんだとか、あまりにずさんな製造工程でした、ということは一切ふれない。もしこれが「食」や「健康」を扱う企業の声明なら大炎上じゃねーかとあきれるだろうが、頭を下げるとペンが穢れる、という生き方を貫く人たちからすると、これでもかなり譲歩した方である。
「報道」はみなさんが思っている以上に奥が深いのだ。
[窪田順生,Business Media 誠]