なぜ北海道だけが「道」なのか?

日本には47の都道府県がありますが、道とつくのはただ一つ、北海道だけです。

 なぜ県や府ではなく、北海道だけが道となったのでしょうか?

●昔は大きく道で分けていた:律令制

 時代はさかのぼり、飛鳥時代の大化の改新後。律令制の導入や中央集権化がすすめられるなか、朝廷は中央から地方を支配するため、日本をいくつかの行政単位に整理する必要がありました。

 そこで全国を60程度の「国」に分けたほか、都に近い5つの国(五畿)以外の諸国を都から地方にのびる幹線道路を基準として7つの「道」に分けました。それが東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道です。今でも新幹線や高速道路の名前として残っていますね。

 この当時の北海道には朝廷の支配が及んでおらず、蝦夷地という扱いでした。

●松浦武四郎「蝦夷地を『北海道』にしよう」

 時代は下り、江戸時代後期になると、ロシアが蝦夷地を訪れて通商を要求するようになりました。鎖国を維持するため、江戸幕府は蝦夷地全体を直轄地とし、幕府の役人を送って探検を進めました。

 その後明治維新が起こり、新政府が発足すると、蝦夷地を日本の領土とする政策を推し進めました。蝦夷地を明確に日本の領土だと示すため、律令制の時代の行政区画のように11の国にわけ、蝦夷地を「北海道」と改名したのです。

 この命名に関わったのが、幕末に北海道を探検した松浦武四郎という人物です。彼は新しい蝦夷地の名称として、日高見道・北加伊道・海北道・海島道・東北道・千島道という6つの案を提案しました。

 このうちの北加伊道(きたかいどう)が、海という字が使われることが多かったほかの七道にならい、北海道と修正されて採用されました。松浦武四郎は北加伊道について、アイヌのひとびとが自分たちのことを加伊(かい)と呼んでいたことから名付けたと述べています。

●函館県・札幌県・根室県という3つの県

 初期の北海道の開発は開拓使が中心になって進められましたが、1882年に開拓使が廃止されると、函館県・札幌県・根室県という3つの県が置かれました。

 しかし3つに分割されることで、国の省庁や3県間での調整がうまくいかなくなり、結局4年ほどで3県は廃止され、内務省直轄の北海道庁が設置されて統一的な開発が行われるようになりました。

 第二次世界大戦後までこの体制が続きましたが、1947年の地方自治法の施行に伴い、「北海道庁」は一般の地方自治体としての「北海道」に変わり、現在にいたります。

 筆者は北海道出身ですので、もしかしたら札幌県出身と名乗ることになっていたかもしれないと考えると感慨深いです。みなさんも自分の出身地の歴史を調べてみると、新たな発見があるかもしれません。

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