なぜ大分・由布院は13年連続で「温泉日本一」か

大分県の由布院温泉は、旅行サイト「じゃらん」の調査で、「あこがれの温泉地」として13年連続で日本一に選ばれている。なぜ箱根温泉(神奈川県)や草津温泉(群馬県)を上回るほど人気なのか。現地取材でその秘密を探った――。

13年連続日本一の「あこがれ温泉地」

じゃらん 人気温泉地ランキング」という調査がある。旅行サイト「じゃらんnet」が会員を対象に毎年行っているもので、これまでに13回行われている。最新版は2018年12月に発表された。

それによれば「全国あこがれ温泉地ランキング」(まだ行ったことはないが「一度は行ってみたい」温泉地)の1位は、同調査開始以来13年連続で、大分県由布市の「由布院温泉」だった。温泉地でありながら、2018年の由布市の月別観光客数は8月が最も多い。

なぜ、全国に数多い温泉地の中で、由布院が「あこがれ1位」であり続けるのか。現地取材をもとに、人気観光地の現状をレポートした。

環境を守るため立ち上がった若き3人のリーダー

由布院を訪れた観光客は、JR由布院駅前から続く「湯の坪街道」を歩くことが多いが、由布院が誇る景色は、例えば「大分川沿いから眺めた由布岳(標高1583.3m)」だ。

晴れて霧がかかっていなければ、町のどこからでも見える別名「豊後富士」は、由布院のシンボルだ。駅前の喧騒を離れた大分川近くでは、農村風景と一体化している。

もともと由布院は、「日本の原風景が残る」町並みが評価されて人気観光地となった。だが、何もしなくて残ったわけではない。地域に住む人が「必死で残した」のだ。

戦後の高度成長期。全国の観光地が再開発されるなか、由布院にも開発の波が何度も押し寄せた。1970年、由布院の近くにある景勝地・猪の瀬戸(いのせど)湿原に「ゴルフ場建設計画」が持ち上がり、さらに1972年、町なかに「大型観光施設の計画」、1973年には「サファリパークの由布院進出」が持ち上がった。いずれも反対運動を繰り広げて中止や計画変更に追い込んだ。

簡単に一致団結したわけではない。「農民の生活は苦しい。土地を売ってカネが入り、レジャー施設で働ければ助かる」という開発推進派もおり、住民の意見は二手に分かれたという。

景観保全活動の中心となったのが、当時は旅館の若主人だった中谷健太郎氏(亀の井別荘)、溝口薫平氏(由布院玉の湯)、志手康二氏(山のホテル夢想園)の3人だ。名物イベント「辻馬車」「湯布院映画祭」「ゆふいん音楽祭」を始めたのも、この人たちだ。残念ながら志手氏は51歳の若さで亡くなったが、中谷氏と溝口氏は、ともに由布院温泉観光協会会長を務めた。2人は80代となった現在も、子ども世代や孫世代の“相談役”を務める。

旅館オーナーはなぜ“レジャー化”を阻止したのか

筆者が初めて由布院を訪れ、中谷氏を取材したのは17年前の2002年秋だ。東宝撮影所の元助監督だったが、父の死により20代で帰郷して「亀の井別荘」を継ぎ、当時は60代。観光業界の大物というよりも、軽妙洒脱な「宿屋の主(あるじ)」だった。

「地形的に見ても歴史的に見ても、由布院は男性的ではなく女性的な町です。だから他から“お婿さん”が来て、力を貸してくれるのはありがたい。ただし由布院には“家訓らしきもの”があるので、それは守っていただきたい」

この言葉が印象的で、溝口氏からは「由布院が目指したのは、昔ながらの『懐かしさ』。われわれも“宣伝”ではなく、由布院はこんな町ですという“表現”をした」と聞いた。下の世代にも取材し、参考文献を読むうちに「家訓らしきもの」の2つが明確になった。

ひとつは大正時代にまとめられた「由布院温泉発展策」。東京の日比谷公園や明治神宮などを設計した日本初の林学博士・本多静六氏が、由布院に来て語った講演録をまとめたものだ。特に次の一節を大切にする。

「ドイツにある温泉地バーデン=バーデンのように、森林公園の中にあるような町づくりをするべきだ」

もうひとつが1971年に中谷氏、溝口氏、志手氏の3人が視察した欧州貧乏旅行の成果だ。現地視察の際に、ドイツのバーデンヴァイラーという田舎町の小さなホテルの主人で、町会議員でもあったグラテボル氏が語った、次の言葉が町づくりの大きなヒントとなった。

「町に大事なのは『静けさ』と『緑』と『空間』。私たちは、この3つを大切に守ってきた。100年の年月をかけて、町のあるべき姿をみんなで考えて守ってきたのです」

この言葉に感銘を受けた3人を中心に、「昔ながらの景観」を維持したのだ。

レシピの共有、“素泊まり”も先駆けて始める

由布院では、「静けさ」「緑」「空間」の言葉は若手世代からも出る。なぜ、それが可能なのか。さまざまなキーワードを掲げて、中小の会議や懇親会を行い、意識を共有するからだ。

例えば、1998年から続けた「ゆふいん料理研究会」。由布院の各旅館や飲食店の料理人が集まり、「由布院らしい料理」の意見を出し合った。料理のレシピを隠すのではなく、時にはさらけ出す。

「泊食分離」も掲げてきた。旅館の1泊2食形式ではなく、宿泊と食事は別々でもかまわない――というもの。今では珍しくないが、先駆けとなる活動を高度成長期に提唱した。

由布院温泉観光協会を12年務めた桑野和泉氏(由布院玉の湯社長)は、溝口氏の長女だ。今年、40代の新会長に譲り、自らは常任顧問となった。故・志手氏の妻の淑子氏は桑野氏の前任で、同観光協会元会長。現在は娘婿の志手史彦氏が、山のホテル夢想園社長を務める。市や観光協会には施策に精通した実務家もいる。

由布院の強みは、こうした「認識の共有度」と「スムーズな世代交代」にもある。

現在でも、由布院には高いビルがない。宿泊場所の旅館は個人経営で、大資本が経営する大型チェーンはゼロ。飲食店もほとんどが個人経営だ。数少ない例外が、大分県が本社のファミリーレストランで、この店が進出する時も反対運動が起きた。個人店が連携して、創意工夫でお客をもてなすのがモットーだ。

そして、まずは住む人ありきという「生活型観光地」を掲げる。宿泊施設や飲食店で働く人の多くは近くに住んでいる。自分たちが生活して、初めて「課題」も見えてくるのだ。

リピート客が増えない原因「定番がない」

その課題は、例えば「魅力の深掘り」だ。冒頭の調査項目にあった「もう一度行ってみたい」温泉地では、由布院は6位とランクを下げた。これまで箱根温泉(神奈川県)、草津温泉(群馬県)に次ぐ3位が定位置だったが、そのブランドに陰りが出てきたのか。

由布院は2016年4月の「熊本地震」(熊本・大分地震)で被害を受けた。建物の損壊は一部を除いて軽微だったが、観光は大打撃を受け、予約キャンセルが殺到した。

3年たち、客足は戻った。由布市の調査による「平成30年観光動態調査」では、2018年に同市を訪れた観光客(日帰り+宿泊客)は442万1672人。対前年比114%となった。

「調査データの総数のうち、約9割が由布院温泉なので、由布院への観光客数は約400万人となっています。熊本・大分地震の前よりも多くの方が来られるようになりました」長年にわたり観光客と向き合う、由布市まちづくり観光局・事務局の生野(しょうの)敬嗣(けいじ)次長は、こう説明する。

観光客数が回復したのに、「もう一度行きたい」が下落した理由を各地で聞いてみた。関係者は懸念しつつ、冷静に受け止めていたのが印象的だった。

「由布院には『定番』がないのです。由布岳があり、温泉も多い。でも具体的な観光ルートは漠然としていた。それは私たちの訴求不足だったと反省し、JR由布院駅の隣に『由布市ツーリストインフォメーションセンター』を開設し、お客さまに対応しています」

観光協会・前会長の桑野氏はこう話す。生野氏も「訴求の工夫」を指摘していた。

静けさ・緑・空間を守るための一工夫

由布院を訪れた観光客が多く歩く、JR由布院駅前から続く「湯の坪街道」は、週末や夏休み時期には人波で混雑する。通りの左右には土産物店や物販店が立ち並ぶ。

旧「湯布院町」は、世の中がバブル経済期だった1990年9月5日「潤いのある町づくり条例」を制定し、自然環境や景観、生活環境に配慮した建物や屋外広告物を規制した。その後の合併で「由布市湯布院町」となった現在も、規制を続けている。

だが、理想と掲げる「静けさ」と「混雑」は矛盾する。それでもやり方はあるだろう。

「地震直後は、こんな時期にお越しいただいた観光客の方に、関係者が大分川沿いを案内しました。少し前は取材に同行し、庄内町阿蘇野の『名水の滝』にも行きました。喧騒から離れたいと希望される方には、こうした場所も紹介したいのです」(生野氏)

激増したインバウンド(訪日外国人)への「マナー訴求」も続けてきた。以前は、公衆トイレの詰まりや、川へのゴミ捨てなどに悩まされたが、湯の坪街道のトイレに担当者を立たせて粘り強くマナー啓発を続けた結果、かなり改善されてきたという。

住民が幸せだからこそ「もう一度行きたい温泉地」になる

実は、由布院関係者が懸念する大型施設がある。あの「星野リゾート」が由布院の高台に進出するのだ。まだ開業していないが、建築計画をめぐっては、市の関係部署と綱引きがあり、総部屋数50室を45室で減らすことで決着したと聞く。

筆者は星野リゾートも何度か取材してきた。企業姿勢や取り組みには一定の評価をしているが、「米国型の星野リゾート」が「欧州型の由布院」に合うのだろうか。

中谷氏の言葉を借りれば、「“お婿さん”が来て、力を貸してくれるのはありがたい」が、「俺が婿だ、と声高に主張し“家訓らしきもの”を守れるのか」になるからだ。

一方で、由布院には「地者(じもの)も余所者(よそもの)も一体化」してきた歴史がある。この地を訪れて魅了され、定住して生活するようになった人も多いのだ。

「出会いを排除しない」という意識も、当地の哲学に残る。「まずは住む人が幸せであること」という生活型観光地が、観光客や観光業者を由布院ファンとして一体化できれば、「もう一度行ってみたい温泉地」として突き抜けた存在になるだろう。

———- 高井 尚之(たかい・なおゆき) 経済ジャーナリスト/経営コンサルタント 1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。 ———-

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