なぜB型差別は始まったの? 意外と長い血液型性格診断の歴史

「自分さえ良ければ良い」「マイペース」「自己中心的」「ワガママ」…。血液型の話題となると、決まって蔑まれるのが、B型の人間だ。もし、血液型が本当に性格を決定づけているとしても、他の血液型にだって欠点はあるだろう。それなのに、なぜB型だけが世間から虐げられているか。B型は世間から日頃どんな目に遭っているというのだろうか。
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 『B型ですが何か?』(シバキヨ/イースト・プレス)は、B型代表、主婦兼マンガ家のシバキヨ氏がB型の実態を描き出したコミックエッセイだ。シバキヨ氏に言わせれば、世の中はB型差別で溢れている。血液型の話題で毎度悪口を言われて気まずい思いをすることもしばしばだ。おまけに某質問サイトでは、当たり前のように、こんな質問が投稿されていたりする。
「理不尽な隣人に悩んでます。ゴミの出し方ひとつでも自分のやり方と違うと言ってどなりこんできます。どうしたら、このB型人間を黙らせることができるのでしょうか。」
 
 日本の人口1億2000万人の内の約20%、つまり2400万人がこんなB型差別に苦しんでいるというのだ。
 なぜ、B型ばかりがバカにされるのだろう。B型のシバキヨ氏は、A型の夫を見ていると、「A型の人って人間的に小さい」としばしば感じている。たとえば、A型の夫は初めて結婚指輪をはめた時、指輪と指の間の隙間に菌が繁殖しないかを心配したり、財布の向きが揃っていないとブツブツ言ってきたり、ボタンの表示が手あかで薄くなるのを恐れてカーステレオのボタンの真ん中を押そうとしなかった。A型人間もかなり特殊であるのに、なぜB型ばかりが差別されるのか。
 そもそも、「B型」にマイナスのイメージがついたのはいつの時代からなのか。『B型ですが何か?』の中では、シバキヨ氏の夫がA型らしい几帳面さでその歴史について語っている。意外なことに日本における血液型で性格診断を行う歴史は意外と古いらしい。1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)教授の古川竹二氏が血液型に関する研究や発表を行っていたのが始まりだという。
 古川氏の説によれば、A型は「他人に尽くす」「控え目」「多感な」「温厚な」性格を持つというが、B型は「陽気」で「活動的」であるが、「出しゃばり」で「根気がない性格」。なんだかB型に関する記述が悪口めいていることに気づく。ちなみに、古川氏に言わせれば、O型は「自発的」「理性的」「意志が強い」、AB型は「外面的にはB型に類似し、内面的にはA型に類似」。他の血液型と比べても古川氏の説はなぜかB型への当たりが強いことがわかる。だが、当時、古川氏のこの研究は大変話題になったようだ。ドイツで高い評価を得ただけでなく、当時の権威だった金沢医科大学教授の古畑種基氏もこの説を認めたために、かなり一般的にこの知識は普及してしまったそうだ。
 以降、1932(昭和7年)年に古川氏は『血液型と気質』(三省堂)という本を出版、さらに性格との関連を広めることに成功した。その後、いい加減な研究という批判が多くなり、一時は下火になったものの、能見正比古氏が古川氏の説を元として1970年代に出版した『血液型でわかる愛称』『血液型人間学 あの人の心の秘密がわかる!』(ともに青春出版社)がベストセラーとなり、さらに血液型での性格分析は広く世間に普及していき、現在に至るのだ。大正、昭和と昔の人々も相当血液型トークが好きだったことが伺い知れる。シバキヨ氏はこの事実に思わず苦笑しているようだが、私自身も実際に古川氏の論文「血液型による氣質の研究」(『心理學研究』)や日本大学教授の大村政男氏らによる企画シンポジウム録「古川竹二:血液型気質相関説の光と影 東京女子高等師範学校・教育心理学・性格理論の歴史的検討」(『日本パーソナリティ心理学会大会発表論文集』)に目を通してみたところ、古川氏が親族わずか11人の血液型と性格の分析を行なっただけでこの説を提唱したということもわかり驚かされた。B型の人間にとっては、たったひとりの学者の学説から始まって、マイナスイメージを引きずり続ける羽目になったのだから、迷惑な話である。
 だが、B型にももちろん良い面がある。シバキヨ氏に言わせれば、B型は明石家さんまや安倍晋三のようにリーダー的素質がある者も多いし、大島優子、綾瀬はるか、篠原涼子に代表されるように、ひとつのことに取り組む芸術家肌の人も多い。そして、何よりも素直で表裏がなく、付き合いやすい面もある。そんなB型のノリの良さ、コミュニケーション能力の高さに甘えて人は思わずB型差別をしてしまうのかもしれない。時代を経ても愛され続ける「いじられキャラ」がB型であるのだ。
文=アサトーミナミ(O型)

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