ひろゆきが意外にも「年長者にはとりあえず従いましょう」と勧めるワケ

「2ちゃんねる」「ニコニコ動画」などで日本のインターネット界を牽引し、現在はフランスで悠々自適な生活を送っているひろゆき氏。そんな彼が「ほどほどに幸せに生きるコツ」を綴ったのが、新刊『ラクしてうまくいく生き方』だ。意外にも「年長者にはとりあえず従いましょう」と語るひろゆき氏。その真意を解説していただいた。

年長者にはとりあえず従いましょう

自分より年上の人の言葉は、古くさく感じちゃうものですよね。それにそのまま従うのは、なんだかおもしろくないです。

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その気持ちはわかるんですけど、反骨精神みたいなものに背中を押されて、年上や目上の人に面と向かって逆らうのはあまり賛成できません。それをやっても結果的に残るのは、やきもきしすぎて疲れた心と、相手との気まずい関係だけだったりします。

しかも、上司みたいに自分を評価する相手に嫌われてしまうと、職場の居心地も悪くなる。ラクだったり評価が得やすかったりするおいしい仕事も任せてもらえなくなってしまうかもしれません。

そうやって無駄に疲れたり気まずさを抱えたりするくらいなら、「そんなワケないだろ!」と内心思っていたとしても、最初は素直に従ってみちゃうのがいいと思うんです。

年長者が自分よりも長く生きているのはたしかですから、意外とうまくいくことも多かったりします。自分のいうことを素直に聞いて、「〇〇さんのおかげでうまくいきました」といってくる部下が、かわいくないわけはないと思います。

また、もしもそれでうまくいかなかったら、うまくいかなかった責任をその年長者に押しつけることもできます。そのうえで、「うまくいかなかった」という実績を手に入れたと思えばいい。

次にその年長者からなにか指示されたときは、うまくいかなかった過去の事例を指摘して、従わなければいいだけです。相手も最初から頭ごなしに断られるよりも、実際に試してみて失敗した過去があるという事実を示されたほうが納得しやすいと思います。そのあとで、自分が正解だと思うやり方でやってみればいいのです。

「先生」とよんでおだてましょう

この世の中には、「先生」とよばれる職業があります。学校の先生が1つ。医者や弁護士もそうよばれます。出版という業界では、いまだに著者や作家を「先生」とよんだりするのも珍しくありません。

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自分より特定の知識を持っており、自分はその教えを乞うという関係で使われるものでしょうか。教育においての学校の先生、自分の体調を知りたいときの医者、生活するうえで困ったときの法的対処法を知りたいときの弁護士、さまざまな情報・知恵を学びたいときの著者なんかは、そうなのかもしれません。

こんなふうに自分と相手の間に上下関係のようなものをつくるのを嫌がる人もいるかもしれませんが、そういうことにこだわらず、「先生」とよんでおだててしまうのも、ラクに生きるコツの1つだったりします。

政治家の音喜多駿さんがおもしろいことをいっています。政治家も「先生」とよばれる職業ですが、どうやら「政治家を先生とよぶのはやめよう」というような批判が、世論だけでなく政治家のなかからもあるようなんですね。

でも、音喜多さんは、「先生とよぶのは合理的で便利である」ともいっているんです。理由は、「相手の名前を覚えなくていいから」というものです。

僕も興味のない人の名前を覚えるのは得意ではありません。だから、興味がなくても、目上の人間っぽい人であれば、「先生」といっておき、敬意を払っている態度を示すのもありだと思ったりします。要は、簡単に相手を立てるひとつの方法ですよね。

僕と同様に、興味のない相手の名前が覚えられない人は、妥協案として使ってみてはいかがでしょうか。ただ、普段からまわりをなめている態度で生きているのがバレていたら、皮肉と取られて逆効果なんてこともあるかもしれませんが。

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