まだ故郷には戻れない 原発避難者「帰還希望」半数割る

東日本大震災から1000日を前に、朝日新聞社は今井照(あきら)・福島大教授(自治体政策)の研究室と共同で、東京電力福島第一原発事故で避難した住民に聞き取り調査をした。調査は4回目で、福島県を含む19都府県の185人から回答を得た。その結果、震災前に住んでいた地域への帰還希望者が初めて半数を割った。生計のめどが「立たない」との答えは4割を超えた。だが、望みをつなぐ人たちは少なくなかった。
【動画】「帰還困難区域」の福島・大熊町=河合博司撮影
 福島県の大熊町から南相馬市の仮設住宅に避難している栃本信一さん(61)は、「できれば戻りたい」と答えた。自宅は福島第一原発から3キロ、立ち入りが制限されている「帰還困難区域」にある。
 「ピーピー」。2日、一時的に立ち入りした際、身につけた線量計の警告音が静まり返った町に鳴り響いた。毎時5~10マイクロシーベルト。自宅の片付けの合間に「もう少し下がらないと戻れないね」とつぶやいた。
 業務用洗濯機の修理業を営んでいるが、かつては原発建設にも携わった。「町は原発と共存共栄だった。原発が負の遺産になった今、人生の集大成として除染に協力したい」。昨夏、除染従事者向け講習会に参加し、いずれは除染作業に加わるつもりだ。帰還の見通しは立たないが、「元の暮らしを取り戻すという夢や希望を簡単には諦められない」と話した。
 愛媛県伊予市に避難した渡部寛志さん(34)は、ミカンの収穫に追われている。
 「ミカンがあるから、ふるさとの福島の人とつながっていると実感できる」
 南相馬市原町区の野菜農家。原発事故後、放射能の影響が心配で家族で移住し、地元の人たちの厚意でミカン畑を借りることができた。収穫したミカンは月に1度、自ら福島へ出向き、顧客に手渡しで届けている。「元気にやっているか」。絆を確認できる大切な時間だ。
 自宅は「避難指示解除準備区域」内で、早期に戻れる可能性がある。だが、調査の回答では、過去3回の「戻りたい」から、今回初めて「できれば戻りたい」と後退した。「農家なら、誰もが放射能を気にせず、百%安全な畑で作物を作りたい」。当面は愛媛県で暮らすと決めた。
 南相馬市原町区萱浜(かいばま)。市内の仮設住宅で暮らす農業の田部重幸さん(80)は、津波で壊れた自宅の再建を始めた。孫の知洋さん(20)は、震災後に進んだ宮城県農業大学校を来春に卒業する。「地元に戻って農業関係の職に就きたい」。そんな知洋さんの思いを知った田部さんは、調査に「戻りたい」と答えた。「春になれば、またみんなが一緒に暮らせる」と語った。

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