まちの景観は誰のもの? 協力隊員のシャッターアート議論呼ぶ

宮城県白石市中心部でこの1年半、市の地域おこし協力隊員のシャッターアートが市民の議論を呼んだ。上手か下手か、好きか嫌いかはさておいて、まちの景観の在り方に一石を投じた。(白石支局・岩崎泰之)

統一感欠き賛同広がらず、市も周知せず

 隊員は日大芸術学部で彫刻を学んだ清水智園(ちおん)さん(27)=東京都出身=。白石には学生時代から遊びに来ていたといい、「シャッター通り」の商店街をアートで活性化しようと2019年春に隊員になった。2年目の2020年夏以降、商店主らの協力を得て長町や本町のシャッターに絵を描いてきた。

 最初の作品は家主の希望に応えて青空をバックにガーベラや愛犬のイングリッシュ・セッターを描いた。その後は壁に宇宙や海の生き物を描き分けたり、食堂のシャッターに恐竜を登場させたり。白石中生と共同で進める最後の7作品目は今月完成予定だ。

 作風は「へたうま」と表現するのが妥当か。当人の受け止めは「描いていて少しずつスキルが上がった。知識はあっても、シャッターアートは描いたことがなかったですから」。ふむふむ…えっ、素人さん?
 ノミとハンマーは脇に置いて、気持ちと勢いでハケを握った。落書きと間違われた時もあったが、辛口は関心を持ってくれている証しと気付くと、「逆風」も励みに思えた。

 ただ、活動や作品は市民に受け入れられたとは言い難い。「頑張っている。絵も上手」という声の一方、「統一感がほしい」「店のシャッターを開けさせる方が活性化では」と手厳しい意見も。活性化に貢献できたかどうかは微妙だ。

 なぜそうなったか。

 人目に触れる商店街のシャッターはまちの景観の一部であり、公共的責任を帯びる。白石市の場合は所有者の意向に配慮した結果、テーマ性を欠き、公共物としても広く賛同を得られなかった。市は活動の意義などを十分に周知せず、隊員個人が前面に出る形となって、「好き嫌い」の話にとどまった。

 市中心部には藩制時代の掘割が今も残る。市民の多くは「城下町」を意識しているが、景観に関する議論は低調だ。商店街の意思統一もないまま始まったシャッターアートは、まちの景観は誰のものかという問題を提起したように映る。

 山田裕一市長は「シャッターアートを知らない人もおり、個人が批判の矢面に立つ形になったら申し訳ない」と釈明。市としては引き続きシャッターアートの可能性を模索するという。

 清水さんは本年度で隊員を卒業し、春から市内でアート教室を開く。「『白石は城しかねえ』とまちの人は言うけど自信を持っていい。やったことがないことばかりで、まちのポテンシャルがすごくあるのが白石だから」。自身もまたいつの日か、シャッターアートに再挑戦するつもりだ。

消防分団のシャッターに描かれた火消しの浮世絵。作品には「日光道中 粕壁宿」の文字が入る(ビッグアート提供)

春日部は歴史テーマに33作品

 全国では埼玉県春日部市の春日部駅東口商店会連合会の浮世絵のシャッターアートが有名だ。日光道中の宿場「粕壁宿」だった歴史を基本テーマとし、33作品がある。書店は寺子屋、消防団は火消しなど、シャッターを見れば何の店かが分かるよう描いている。

 約15年前、商店主ら有志の活動に同連合会も加わって制作された。活動の中心メンバーだった同連合会の市川弘元会長(74)は「一過性のイベントで終わらずに、地元の観光ガイドの人たちもコースに取り入れてくれている」と現状を説明する。

 制作を手掛けた同市のウオールアート企画制作「ビッグアート」の奥村昇社長(71)は「30年先のまちが元気になっていくために市の財産として描いた。描いた人には見守り続ける責任がある」と強調。維持管理だけでなく、ライトアップなど新たな策を練る。

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