7月28日、日テレNEWSがこんなニュースを報じている。
「ロシア通商代表部の職員の男性が半導体関連企業などの社員に接触を図った疑いがあり、警視庁公安部が企業側に通報して情報漏えいを未然に防いでいたことが分かりました。スパイ活動が疑われる事案について摘発する前に企業側に通報するのは異例です」
このニュースはロシアの典型的なスパイ活動だと言える。しかもその手口は巧妙でも何でもない。ロシアスパイは半導体関連企業の周辺で、同社の社員に道が分からないふりをして道案内を頼んで接触したという。
そして写真の連絡先を聞き出して「今度、飲みにいきませんか」などと誘い、仲良くなって情報を要求していたと見られる。
日本人の親切心を狙ったやり口で、日本人の美徳の1つだといえる「性善説」を悪用された形だ。スパイは基本的に相手の弱みを利用しようとするので、ここを突いてくるのは当然と言えば当然だ。
もっとも、日本人は今回のニュースと似たようなやり口でロシアのスパイ工作に引っ掛かってきた歴史がある。そこで本稿では、スパイに狙われる日本人の実態を紹介しながら、どんな対策ができるのかを見ていきたい。
ロシアスパイに“やられっぱなし”の日本人
これまで日本人が狙われたケースには、相手がロシア通商代表部の職員だった事件は多い。例えば、2005年に東芝の子会社である「東芝ディスクリートテクノロジー(現:東芝デバイスソリューション)」の関係者が、現金の見返りに情報をロシア人職員に渡していたとして逮捕されている。
このケースのやり口は、冒頭のような「道案内」ではない。千葉県の幕張で開催された電気・電子機器関連の展示会で、東芝の子会社の関係者はロシアスパイと出会っている。展示会で人と知り合うのも、ロシアスパイの典型的な手口だ。ただこのスパイは、イタリア人コンサルタントを装っていた。その後、居酒屋などで何度も食事をしながら、現金と引き換えに同社が扱う半導体関連の情報を提供していた。
この自称「イタリア人コンサルタント」は、実はロシア通商代表部に所属しているスパイだった。結果、日本人は逮捕されたが、ロシアスパイは通商代表部の外交官なので外交特権があるために逮捕されることはなかった。これもお決まりだが、日本の当局はスパイが帰国後に書類送検などをする以外に何もできない。
ロシアの場合、スパイ行為がバレて1人が帰国しても、懲りずにその穴埋めのスパイを再び送り込んでくるのである。日本の公安当局などは、その実態がはっきりと分かっていながら、何もできないのが現状だ。要は、やられっぱなしなのである。
「偶然」の出会いを演出するロシア人
実は、この2件のようなスパイ事案は多発している。日本人はそろそろ気付くべきだが、ロシアスパイは通商代表部に所属していることが多く、別の国の出身だと装っているケースも少なくない。また、展示会で出会ったり、街中で偶然を装って接近したりする場合もよくある。
2020年にはソフトバンクの元社員が会社の機密情報を、ロシアの通商代表部に所属するロシア人に提供したとして逮捕されている。このケースでも、もともと繁華街で、この元社員が飲んでいるときに、ロシア人から「いい店を知らないか」と声を掛けられて知り合い、そこから仲良くなった。もちろん、これは「偶然」知り合ったわけではない。ロシア側は、きちんとターゲットを決めて、狙いを付けて「偶然」出会うよう演出する。
このケースでは、元社員は自宅からソフトバンクのサーバにアクセスして情報提供をしていた。
とはいえ、企業側はなすすべがないわけではない。ここで示したような実態を知っているだけで、スパイにだまされないような対策はできるはずだ。
国の機密情報もターゲットに
企業以外でも、政府や防衛関係の機密情報が狙われるケースもある。有名なのは、2000年にもエリート自衛官が、ロシア通商代表部のスパイに海上自衛隊の秘密文書などを提供して逮捕された事件だ。この自衛官は、日本とロシアの防衛関係者が交流する日露防衛交流で通商代表部の職員(実態はロシアの諜報機関のスパイ)と知り合いになり、一緒に食事に行くなどして情報提供をするようになった。見返りとして現金を受け取っていた。
やられっぱなし、という意味で言えば、実はロシアのウクライナ侵攻に絡んで、日本政府はロシア外交官とロシア通商代表部職員の8人を国外に追放処分にしている。ある公安関係者は、「彼らはスパイだった」と述べているが、そんな処分が起きている間でも、ロシアスパイは日本で冒頭のようなスパイ工作を続けているのである。
スパイは今も日本で活動している
日本は、国としてもきちんと対策をすべきだ。参考になるのは、アメリカが最近まで実施していた対中国スパイ対策の1つだ。アメリカでは長く中国のスパイ工作で、機密情報から企業の知的財産、大学や研究所の情報などを大量に奪われてきた。それを摘発するために、FBIを傘下に置く米司法省の安全保障部が、2018年に「チャイナ・イニシアチブ」というキャンペーンを開始している。
チャイナ・イニシアチブは全米規模で、中国政府による企業や大学などからの情報搾取に対する捜査だけでなく、大学や科学者などを狙った中国政府の工作を防ぐ目的を掲げた。
そしてイニシアチブを推し進めるために8人の連邦検事から成る委員会を設置。エネルギー分野を狙った中国のスパイ工作が頻発しているテキサス州、世界的な有名大学がいくつもあるマサチューセッツ州、シリコンバレーなどでハイテク技術が狙われているカリフォルニア州、研究機関が多いニューヨーク州と、重要な地域から検事が選ばれていた。さらにFBIの幹部も加わっていた。
さらに啓蒙(けいもう)活動も行った。FBIは「国内セキュリティ同盟委員会」という会合を行い、フォーチュン500の企業の担当者らに中国の脅威を伝える会議を開催したり、首都ワシントンで「アカデミア・サミット」を行って大学関係者などへの啓蒙イベントを繰り返し行っていた。
ただチャイナイニシアチブは2022年2月に中国を狙い撃ちにしているとして人権団体などから「偏見を助長する」と批判され、懸念国の対象を広げる形で見直しすることになった。
とはいえ、この試みは効果的だろう。日本も政府や企業、大学など関係者にスパイはすぐそばにいて、いつ狙われてもおかしくないことを実感してもらう必要がある。そのための啓蒙活動は不可欠だ。
さらに日本には、スパイ行為を摘発するスパイ防止法なども必要になる。それが日本のことを甘く見ている懸念国のスパイたちへの抑止力になるだろう。スパイ行為は、何も機密情報や知的財産を盗むだけではない。政界や業界団体などにも入り込んで、政策や方針の決定に干渉しようとするケースも考えられるので、スパイ行為そのものを摘発できるようにすべきだ。
ここで見てきたケースは氷山の一角であると言っていいだろう。そして懸念国はロシアだけではない。中国も活動を活発させているし、北朝鮮もいる。長年言われ続けているが、スパイ防止法なども含め、できるだけ早く対策に乗り出さなければいけない。さもないと、政府から最近よく聞かれるようになっている日本の経済安全保障も守れない。スパイは今も日本で活動していることを肝に銘じるべきだ。
(文:山田 敏弘)