ゆるキャラ、実はゆるくない “着ぐるみアクター”スクール

テーマパークでのショーや、子供向け人形劇には欠かせないのが着ぐるみ。特にここ数年のゆるキャラブームで「中に入ってみたい」という人も増加している。いわゆる“着ぐるみアクター”を育てるスクールでは、どんなことを教えているのだろうか?

【写真】昨年のゆるきゃらグランプリで優勝したのは…

 都内にあるレッスンスタジオ。「自分が演じるキャラクターのイメージを膨らませて」「壁にぶつかってはね返された時の動きは、そういう感じにならないでしょ。どうなるの?」。生徒たちにアドバイスを繰り返す大平長子(ちょうこ)の大きな声が響いた。

 この日は19~50歳の男女5人が参加。レッスンの後半は、洋服で確認した童話「3匹のこぶた」を、着ぐるみを着て演じてみることになった。大平の指示で5人はネコ、オオカミ、パンダなどに大変身!着替えればそれっぽく見えるが、スタジオ内を少し動いただけで正面が分からなくなったり、仲間同士でぶつかってしまう場面も。いざ動くとなると“人”の時とは随分勝手が異なるよう。

 その中でも最も苦労するのは視界の悪さだ。「頭を着けると足元はほとんど見えなくなる。子供たちから握手を求められても、手すら握るのも難しい。着ぐるみの中に入るには、五感をフル稼働させて空間を認識する力が必要なんです」。大平は断言した。

 大平はNHKの幼児番組「おかあさんといっしょ」の「にこにこぷん」で、ネズミのぽろり役を演じていた。着ぐるみとの出合いは20代前半。パペット系だと思って門を叩いた人形劇団は、着ぐるみの名門「こぐま座」だった。劇団の看板俳優として毎日違う場所で地方公演、違うキャラクターを演じ大勢のスタッフで全国を回る生活は楽しかったが、11年間続けた舞台からテレビの世界へ。

 誰もが知っている花形キャラクターの人気は絶大で「自分は全国放送に出ているんだなぁ」と実感できた。85年には劇団から独立し、着ぐるみアクターの事務所を仲間と設立。役者としては脂が乗る一方で、母親になれるリミットは刻々と近づき、30代後半に第一線から退いた。

 派遣業を続けながらも、教室の必要性は常に感じていた。子供が成長し、手が離れたタイミングで05年に着ぐるみスクールを開校。スタッフを増やし、事務所をつくり、大きなレッスン場を確保…経営者としてやらなければいけないことは多かったが、ゆるキャラブームが起こる前のこと。融資を願い出ても着ぐるみ自体への理解度はまだ低かったため「お金の工面には苦労しましたね」と振り返る。

 このところのゆるキャラブームをどう感じているのか。大平の元には地方自治体からレッスンに来てほしいとの依頼も徐々に増えてきており、着ぐるみへの興味は年々増していることを実感しているという。スクール経営も順調そう。「もうかるところまではいっていないんですよ」。主な収入源は派遣によるもの。しかも「毎日仕事の依頼があるわけではないから難しい。会社全体は何とか回っているという感じかしら」。屈託なく笑った。

 日本だけにとどまらず、くまモンやふなっしーは海外進出を果たすなど、着ぐるみがアニメに続く“日本のエンターテインメント”として注目される可能性もある。着ぐるみアクターを育てるという仕事は、日本の文化を継承することではないのか。そう指摘すると、しばらく考えてからこう切り出した。

 「そうね。ちゃんとした技術を後世に伝えていかないといけないわね」。=敬称略=

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