ここ数年、トヨタ自動車はアライアンス戦略に余念がない。自動車メーカーやサプライヤーのみならず、マイクロソフトのようなテック企業やアルバートのようなデータエンジニアリング会社、小売のアマゾン、サービス産業のウーバー、飲食業のピザハットに至るまで提携や協業関係を構築している。
【インドを代表するクルマ「ヒンドゥスタン・アンバサダー」(第4世代)】
企業間の話だけではない。エンジニアに関してもそうだ。トヨタのAI(人工知能)研究を担うTRI(Toyota Research Institute,)のCEOとして、ロボット技術のカリスマであるギル・プラット氏を迎え入れた。米国防高等研究計画局(DARPA)のロボットプロジェクトの頭脳を務めた人物である。あるいはGoogleの自動運転をけん引してきたジェームス・カフナー氏もそうだ。カフナー氏は前述のTRI日本法人のトップを務めることになった。
●トヨタの変貌
なぜそんなことが起きているのかと言えば、トヨタの提携の形が変わったからだ。大が小を飲み込む吸収的合併ではなく、もっとオープンで、提携相手へのリスペクトを前提とした提携へとトヨタは舵を切った。別に良い人ぶりたいわけではない。その方が得るものが多いことにトヨタは気付いたのだ。
カフナー氏の例を見れば明らかで、氏の前職はGoogleのエンジニアだ。Googleは2016年に、その自動運転開発部門を分社化し、Waymo(ウェイモ)として独立させた。株主に対して自動運転部門の独立採算を明確化するためである。しかしながら市場に投入されていない自動運転が現時点で黒字化するはずもなく、そんなことをすれば研究開発費が圧縮され、自由な研究ができなくなる。自由な研究を求めたカフナー氏はトヨタへと移籍し、望むものを手に入れた。
トヨタがなぜ、そんな大尽な振る舞いを見せるのか、そこをトヨタに聞くと「オープン」がキーワードだと言う。トヨタは長らく自前主義の伝統を持っており、全てを自社で開発し、外部に依存しない方針を貫いてきた。徳川家康以来の三河の風土もあるのだろうが、倹約質素を旨として一所懸命の場に備えることを重視してきた。
ところが、それが通じなくなった。近年のトヨタはその逆のことを言うのだ。自社だけでいくら頑張ってもトライ&エラーのデータ獲得には限界がある。あるいは資本支配によって効率良く正解だけ獲得しても、それは条件が1つ変われば崩壊してしまう。そこで真の実力となるのは「どうやると失敗するのか」あるいは「なぜそれが正解なのか」という膨大な蓄積データなのだ。
だから先行している会社や研究機関、研究者とコラボレートして、彼らのトライ&エラーのノウハウを丸ごと共有することを目論んでいる。前述のカフナー氏で言えば、自動運転を実現するための正解のみに価値があるわけではなく、そこに辿り着くまでに行なった膨大な試行錯誤ごと価値だと考える。そのためなら自由な研究環境くらい提供するのは全くやぶさかではないだろう。
しかも驚くべきことに、トヨタはそうして達成した技術そのものもオープン化すると言う。例えばトヨタがマツダ、デンソーとともに立ち上げた電気自動車(EV)の開発会社EV C.A. Spiritでは、クルマ側のバッテリーに対する要求性能と、バッテリー側の性能を標準化しようとしている。コンピュータで言えばUSB規格のようなもので、差込口の形状、データの形、電圧と電流の定格化などの基準を設け、USBのバージョンさえ合っていれば、どんな機器でも接続することができる。その社名に含まれる「C.A.」とはコモンアーキテクチャのことで、まさにバッテリーと車両の関係を標準化してコモンアーキテクチャ化する計画である。
そしてここで作られた規格は完全にオープンにして、誰もが使えるようにするのだと言う。規格に則ったバッテリーと車両なら互換性が保たれる。つまり彼らが手間暇をかけて研究し、作った規格にタダ乗りして互換品を生産することも可能になる。
「それは敵に塩を送る行為ではないのか?」と問うと、「規格そのものは普及した方が良いんです。それを開発する間に得たノウハウは、規格だけ見ても分かるわけじゃありませんから」と言う。
こういうトヨタの変化に敏感に反応したのがスズキの鈴木修会長で、フォルクスワーゲンとの提携で相手の豹変によって完全支配されそうになるという手痛い失敗をしながら、今のトヨタなら大丈夫とばかり提携を申し入れた。独立独歩の気概が強いスズキにしても、やはり自前ではもうグローバルを戦えないことは自明だった。大トヨタですら、オープン化によって外部ノウハウを導入しようとしている時代に、スズキをスズキらしく残しながらどこの陣営に参加するかを考えれば、答えは1つしかなかったのだろう。
●提携の中身
さて、トヨタとスズキの提携はまだ確定状態には至っていない。あくまでも協議の内容が発表されたに過ぎないが、その洗練度は相変わらず見事なものだ。以下スズキのリリースから書き出してみる。
<協議内容>
1. スズキが主体となって開発する小型超高効率パワートレインに対し、デンソーとトヨタが技術支援を行う。
2. スズキが開発した車両をトヨタキルロスカ自動車(株)(以下、TKM)で生産し、トヨタ・スズキの両ブランドでインド国内において販売する。
3. 上記TKM生産モデルを含むスズキの開発車両を、トヨタ・スズキ両社がインドからアフリカ市場向け等に供給し、それぞれの販売網を活用して販売するとともに物流・サービス領域の協業を進める。
これらの詳細については、今後協議していく。
大前提の説明から始めよう。インドは言うまでもなく中国以上のポテンシャルを持つ、次世代自動車産業の激戦区である。スズキは81年に、インド政府76%、スズキ24%の出資でマルチ・ウドヨグ社を設立した。インド国民車構想にのっとって、日本の軽自動車「アルト」に800ccのエンジンを搭載した「マルチ800」を販売。ピーク時にはインドの80%を占める寡占状態を誇った。マルチ・ウドヨグ社は現在マルチ・スズキ・インディアと社名を変更しつつ40%前後のシェアを誇っている。
80%から40%へのシェアの落ち込みの理由は簡単で、91年ベルリンの壁崩壊で、それまでソ連とのビジネスを大きな柱としてきたインド経済は大打撃を受けた。中印戦争と第二次印パ戦争以降、インドはソ連を後ろ盾にしつつ、中国を背景とするパキスタンと対立してきた。ところが、頼みの綱としてきたソ連は崩壊してしまう。加えて湾岸戦争で石油が高騰し、同時にリスクの高い中東への出稼ぎによる外貨獲得が激減し、外貨準備高が不足した。通貨危機に陥ったインド政府はルピーを20%切り下げると同時に、親共産主義の方向を改め、経済自由化政策を打ち出した。
そこで90年代を通して世界中の自動車メーカーがインドマーケットに参入を始めるのである。それまで大戦直後の英国車のノックダウンモデルであるヒンダスタン・アンバサダーくらいしか目ぼしいクルマがなかったインドマーケットでは性能でも価格でもスズキは圧倒的であり、自動車産業の参入が規制されていたマーケットでは無人の野を行くような圧勝を続けていた。
ところが経済自由化によって、ルノー、GM、ダイムラー、ホンダ、フィアット、ヒュンダイ、トヨタ、フォード、シュコダ(フォルクスワーゲン傘下)、BMW、三菱、マツダ、ボルボ、デーウなど多くの自動車メーカーが参入して、スズキの事実上の独占マーケット時代が終わり、大競争時代に突入した。この大競争の中で、当然スズキのシェアは落ちるのだが、その間もスズキの販売台数はうなぎのぼりを続ける。それだけの驚異的成長中のマーケットなのだ。それでもスズキは寡占時代の余勢をかって40%のシェアを確保し続けている。
さてインドには大きなポテンシャルがあり、それゆえに競争が激化している。ここで勝つためにどうすれば良いのか?
●緻密な戦略
日本にいると想像がつかないが、インドでは現在、生産が需要に全く追いついていない。売れて売れてクルマが足りないのだ。つまり生産キャパシティが低ければ、先に投資してキャパシティを増やした会社にどんどんシェアを奪われてしまう。スズキはこの面で不利だ。インド政府や現地資本と40年近く良好な関係を築いてきた以上、いざ投資は必要だと言っても、スズキの都合だけで資本を増やせない。つまり三人四脚状態なので、一番資本的体力が劣るメンバーのペースがボトルネックになってしまう。
だから「2」は非常に大きい。トヨタが現地資本と提携で設立したTKMで、スズキのクルマを生産できれば、目前の問題は解決する。トヨタの側はどうなのか? トヨタ側は「小さいクルマの開発は得意ではない」とすでに認めている。だからこそのダイハツやスズキとの提携である。トヨタはむしろそこをアライアンスの他メンバーに任せ、中型車以上にリソースを集中したい。加えて新工場の建設や広大な国土での販売店網の整備など、投資案件は山積みである。そこにトヨタの資本が生かせるとなれば、今後の展開は明らかに有利になる。つまりインドで40年間に渡って培ってきたスズキ・ブランドをトヨタの力で飛躍させる戦術がそこからうかがえる。
さらに、インドでは現在、カリフォルニアのZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)規制にならったインド版ZEVがスタートしようとしている。そこで遅ればせながら前述のEV C.A. Spiritに参加し、EVへの布石としている。
しかし、世界全体の流れを見れば、販売台数のうち一定台数をゼロエミッションにするZEV規制だけでなく、企業全体の平均燃費を下げることを義務付けるCAFE(企業平均燃費)規制もまた厳しくなっており、二正面作戦を戦わなくてはならない。ZEV規制だけ見ていてもダメなのだ。EVはZEVをクリアするために必須だが、価格低減が見込めないことから所詮は台数に限界があり、平均値を動かしてCAFEをクリアするための主戦力にはならない。平均燃費を向上させるためにはハイブリッドしかない。スズキがマイルドハイブリッドやハイブリッドに力を入れているのはそのためだ。
しかしながら、CAFEの難しいところは平均燃費を下げるクルマ、つまり、燃費の悪いクルマがヒットしたら全てがおしまいなところにある。つまりEVでもハイブリッドでもない普通の1番売れるクルマの燃費を上げないとリスクが増えてしまう。現在コンベンショナルなエンジンでは直噴によって気化潜熱で混合気の冷却を行い、ノッキングを防止する方法で圧縮比を上げ、燃費を稼ぐ方式が主流である。スズキでもすでに一部の上級モデルに採用済みだが、全モデルに採用するためにはまだコストダウンが必要で、今後も継続的に開発が必要だ。この直噴インジェクターの技術を持っているのがデンソーだ。「1」の「小型超高効率パワートレインに対し、デンソーとトヨタが技術支援」とはこのことだ。
恐ろしいのは「3」だ。インドは地勢的に非常に面白い位置にある。アジア、欧州、アフリカの3つのエリアに対して、アクセスが可能なのだ。仮にインドへの投資を強化し、インドの生産キャパシティを上げた後、インドの景気が冷えた場合にどうするかと言えば、長らく次々世代と言われているアフリカへの輸出拠点として活用する。すでに述べたようにインドは現在国内マーケットの需要が旺盛で、作るそばから売れていくが、仮に過当競争に陥って生産余力ができたとき、それをどう活用するかまでがプランに織り込まれている。
トヨタとスズキの提携が果たしてどこに落ち着くか、それが楽しみでならない。