先日、ある会議で次のような意見を聞いて、私は心の底から驚いた。
「アメリカ経済は、短期的利益だけを追い求める近視眼化の傾向をますます強めている。その象徴がアップルだ。独自の技術を開発したわけでなく、さまざまな既存技術を寄せ集めただけの製品で利益を伸ばし、ついには時価総額がアメリカ第2位になってしまった」というのである。
対照的なアップルとソニーの株価推移
ここには、いくつかの重要な論点が含まれている。まず、「アップルが独自の新しい技術を開発したわけではない」という点について。
これは、そのとおりである。アイポッドの原型はソニーのウォークマンであり、アイフォーンの原型はNTTドコモのiモードだ。アイパッドに至っては、アイフォーンとノートPCの中間の製品というだけのことだ。タッチパネル方式もゼロックスが開発したものであり、アップルはそれをまねただけだ。
しかし、同じことは過去のさまざまな「新製品」について言える。自動車も「まったく新しい技術を作り出した」というわけではない。何百年も前からあった馬車に、ガソリンエンジンを載せただけのことにすぎない。アポロ宇宙船など、寄せ集め技術の最たるものだ。中核技術であるロケットは、11世紀の中国で発明された。
「まったく新しい技術に基づいて作られた製品」で私が思いつくのは、原子爆弾(これは「製品」というより兵器だが)とプログラム内蔵型コンピュータ(つまり現代社会に存在しているコンピュータ)くらいしかない。あるいは、半導体素子だ。最近の例ではLED電球である。
重要なのは、さまざまな技術の組み合わせから、従来はなかった新しいコンセプトの製品を作り出したことなのである。フォードが自動車を発明したわけではないが、個人でも買える価格の自動車を生産することができた。そのために、人類の生活や都市形態を一変させるブレイクスルーになったのである。アイフォーンは、「スマートフォン」という新しいジャンルの製品があることを示した。そして、われわれの日常生活だけでなく、ものの考え方すら大きく変えようとしている。
アイフォーンの重要な点は、タッチパネルというよりは、背後にインターネットがあることだ。アイフォーンによって、個人向けのクラウドコンピューティングが始まっている。これがブレイクスルーであることは間違いない。
問題は、日本の企業がこうした意味でのブレイクスルーを実現できなかったことである。スマートフォンは、アイフォーンの基本コンセプトをまねして、細部に変更を加えているだけだ。自動車に至っては、基本的な技術はそのままで、生産方式に「カイゼン」を加えただけである。
ブレイクスルーを実現できなかったのは、日本の企業だけではない。ゼロックスは、タッチパネル方式という技術を生み出したにもかかわらず、それをPCに応用しようとしなかった。
■株式市場は鉄火場ではない
アメリカ企業(あるいはアメリカ経済)が短期志向か否かについては、拙著『大震災からの出発』(東洋経済新報社)で述べた。アメリカが近視眼的とは、1980年代末にMIT(マサチュセッツ工科大学)がまとめた『メイド・イン・アメリカ』で述べられていたことである。
日本の企業が短期的な経済条件の変化に動かされないのは事実だが、90年代以降の世界経済の大変化にも動かされなかった。つまり、日本の企業は、経済条件の短期的変化にも長期的な変化にも鈍感なだけである。要するに、マーケットの変化に対応しようとしないのである。
20年以上前、『メイド・イン・アメリカ』が日本企業を称賛したのは、買いかぶりにすぎなかった。その見解をいまだに持ち続けている人がいることに驚く。そうした見解を持っている人は、株式市場はせいぜい数カ月先のことしか考えない鉄火場だと思っているのだろう。
しかし、そうした考え方からすると、前回示した日米株価の推移はどう説明できるのだろう。
そして、今回示すアップルとソニーの株価の推移はどうか。アップルとソニーの株価の差は、前回に見た日米の平均株価の差より、もっと激しい。アップルの現在の株価は、2004年ごろと比べて10倍以上になっている。01~03年ごろと比べると、実に30倍近くだ。近視眼的・あぶく銭的評価だけで、かくも長期間にわたって株価が上昇するものだろうか。
これは、アップルの製品は革新的なものであり、全世界の人々がその価値を評価していると、素直に見るべきではないか。
そしてソニーの株価は、00年ごろには1万4000円程度だったが、01年には4000円台にまで下がった(「ソニーショック」と言われた現象が生じたのは、03年の春のことである)。07年には7000円程度に回復したものの、経済危機で1000円台まで落ち、最近では1500円程度だ。つまり、00年ごろに比べると、約9分の1になっている。これは、ソニーが革新的な製品を生み出せず、テレビでもPCでも価格引き下げ競争から脱却できずに体力を消耗しつつあることを示していると、見るべきではないだろうか。
■先進国における製造業のビジネスモデルとは?
アップルは、中国をはじめとする新興国の安い賃金を用いて製品を作り、それを所得の高い先進国で売っている。だからこそ利益が驚異的な水準に達するのだ。
アップルの成功は、新興国が工業化した後の先進国においても、製造業が高い利益率を上げうることを示した。そのために、従来とは異なる生産方式を採用しなければならなかった。つまり、先進国の製造業は、従来とは異なるビジネスモデルを採用しなければならないのだ。
しかも、アップルの製品は、コモディティ(価格以外に差別化特性がないため、激しい価格競争が生じてしまう製品)ではない。
そこで用いられている技術が新しいかどうか、元の技術を開発したのがアップルかどうかは、問題ではない。重要なのは製品のコンセプトである。アイパッドもアイフォーンも、新しいコンセプトの製品なのだ。それは、人々の生き方を変えるだけではない。大げさに言えば、ものの考え方も変えてしまう。
だからこそ、新製品の発売時に、数日前から行列ができるのである。そんな製品がほかにあるだろうか。
アップルの時価総額がアメリカ第2位になったのは、アメリカの株式市場が近視眼的であることを意味するものではない。そうではなく、市場が新しいビジネスモデルと新しい製品コンセプトを評価する能力を持っていることを示している。
日本の製造業は、賃金水準が高い日本で生産し、それを所得の低い新興国に売ろうとしている。しかも製品はコモディティだから、価格しか差別化要因がない。だから、新興国メーカーとの激しい価格競争に巻き込まれる。利益水準が低迷し、株価が上昇しないのはそのためだ。
アップルと日本企業の間には、今や絶望的なほどの隔たりが生じてしまった。
(週刊東洋経済2011年9月10日号)
※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。