イオンの「最低賃金以下」問題から見える、“安いニッポン”の無限ループ

流通大手イオングループのプライベートブランド「トップバリュ」の売り場には、こんなポップがいたるところに掲げられているが、よもや「パートの時給」まで上がっていなかったとは――。イオングループのトップバリュは「価格凍結」を宣言した(出典:トップバリュ)

 3月5日、イオン九州(福岡市)が、熊本県内などのスーパーのパート従業員を地域別最低賃金よりも低い時給で募集していた、と『熊本日日新聞』が報じた。

 現在、熊本の最低賃金は821円で大分は822円。しかし、熊本のマックスバリュでは時給793円、大分のイオンでは792円と最低賃金を下回る賃金で募集がなされていたというのだ。

 といっても、イオン九州によればこれは「時給を掲示するシステムなどの更新がきちんとできておらず、チェックから漏れていたもの」だそうで、過去にさかのぼって賃金台帳を確認したところ、現実には最低賃金以下で雇用した従業員はいないという。

 「なんだよ、じゃあわざわざ騒ぐような話じゃないじゃん」とか「イオンだってそれくらいのミスはするだろ、地方紙はそんな粗探しみたいなことをしてヒマだな」と思う方もいるだろうが、筆者は日本経済を弱体化させている原因が垣間見える深刻なニュースだと考えている。

 それはひとことで言ってしまうと、「貧乏人製造所」である。

安さの無限ループ

 最近よく「先進国の中で日本だけ30年間賃金が上がっていない」という問題が指摘されている。「デフレが悪い」「消費税をなくせばすべて解決」などさまざまな意見があるが、低賃金の直接的な原因としては(1)から(3)をエンドレスで繰り返してきたことが大きい。

(1)安い商品・サービスを提供するために、企業は人件費をギリギリまで低く抑える

(2)給料が上がらないので、消費者は「もっと安く!」の大合唱となる

(3)値上げによって客離れするのが恐ろしい経営者はこれまで以上に「安さ」に固執する

 この「安さの無限ループ」をこれ以上ないほど分かりやすく、効率的にまわしてきたプレイヤーのひとつがイオングループだということを、今回の最低賃金以下求人問題は示唆しているからだ。一般労働者の賃金は横ばいが続いている(出典:厚生労働省)

 冒頭でも少し触れたが、現在、イオングループは全国約1万店で、「価格凍結」を実施中だ。原材料費や輸送費の高騰で、食品メーカーなどが軒並み値上げに踏み切っている中で、トップバリュの食料品や日用品計約5000品目の価格を3月31日まで据え置くことを発表している。イオンやマックスバリュを利用している方ならば、一度は「今こそ全力で家計応援!」というポップをご覧になったことがあるはずだ。

 庶民の痛みに寄り添う「小売業の鏡」ともいうべき英断だが、一方でイオングループが足元で働くパートやアルバイトの方たちに対しても、「全力で家計応援!」をしているのかというと、必ずしもそうとも言えない部分が浮かび上がる。

 ご存じの方も多いだろうが、イオングループは日本一多く非正規労働者が働いている。東洋経済オンラインの『「非正社員が多い企業」500社ランキング最新版』(2月26日)によれば、非正規社員数は25万2989人。唯一20万人を超えた企業として「不動の1位」と紹介されている。

 このように日本の雇用を支えている巨大グループ企業が、そこで働く非正規労働者に対して「全力で家計応援!」をすれば、全国の地域経済もそれなりに良い影響があるということでもある。

 が、現実はそうなっているのかというとなかなか難しい。例えば、先ほど「うっかりミス」のあったイオン九州を例に見てみよう。

時給=最低賃金ギリギリ

 今回、最低賃金以下で募集されていた店舗は『熊本日日新聞』の指摘を受けて、すべて時給の表記が修正されたという。そこで求人サイトで確認したところ、熊本の店舗は「時給821円」、大分の店舗は「時給822円」となっていた。お分かりだろう、これらの店舗において「時給=最低賃金ギリギリ」なのだ。

 実際、修正前の時給を見ると、熊本のマックスバリュは793円、大分のイオンは時給792円。これらはいずれも20年度の最低賃金である。また、『熊本日日』では熊本市内の店舗内に貼られた求人ポスターで、時給790円で夜間担当スタッフを募集していたと問題視しているが、これも19年度の最低賃金である。最低賃金よりも低い時給で募集していたことが話題に

 あくまでスタート時の時給で徐々にアップされるとはいえ、この水準の賃金だとフルタイムで働いて、各種手当が付いても年収は200万円にも届かない。当然、家計は火の車だ。これは九州だけに限った話ではない。店舗のロケーションや夜間のシフトなどで若干のバラツキはあるが、基本的に時給はその地域の最低賃金に設定している店舗が多いのだ。

 「いくらイオンでもそう簡単にホイホイと賃金を上げていたらすぐに潰れてしまう! そうなったらパートやアルバイトで生計を立てている人は失業するぞ、そんな簡単なことも分からないのか!」なんて感じで、まるで最低賃金の引き上げに反対している日本商工会議所みたいなことを主張される方もいるかもしれないが、筆者は巨大流通企業のスケールメリットを生かせば、そこまで無謀な話ではないと考えている。

「安さの無限ループ」の原動力

 トップバリュのWebサイトでは、なぜこんなに「お買い得価格」で提供できるのかという疑問に対して、「計画生産」「全量買い取り」「流通の中間コストの削減」「営業費・広告費の削減」という4つの取り組みを上げている。要するに「グループの規模を最大限生かすことで、多くの販売量を有し、独自のグローバルネットワークを生かしたサプライチェーンを構築」しているからだというのだ。

 これだけのことができる巨大企業ならば「低価格」と「高賃金」の両立を目指すことができるのではないか。例えば、イオン同様にグローバルサプライチェーンの効率化など物流コスト圧縮で「低価格」を実現しているコストコのパートタイム(アシスタント)の時給は1500円。さらに以下のような自動昇給制度がある。

 『1000時間ごとに、時給が20円から最大50円アップし、最高1750円(月収例30万円)もしくは1900円(月収例33万円)まで昇給します』(コストコのWebサイト)

 ただ、ここで誤解なきように強調したいのは、イオンという企業が最低賃金で働かせて労働者を搾取しているとか、そういうことを主張しているわけではないということだ。(提供:ゲッティイメージズ)

 日本人はあまり自覚はないが、実はわれわれは世界でも有数の「安さに異常に執着する民族」であることが分かっている。この国で商売、特に小売業をするとなると、「1に安さ、2に安さ、3、4がなくて5に安さ」というほどの「安さの奴隷」にならなくてはならない。

 イオンに限らずスーパーなどの小売業は常軌を逸した「安売り競争」への参戦を余儀なくされ、生き残るためには、どうしても労働者の賃金は後回しにしなくてはいけないという構造的な問題があるのだ。実はこれこそが「安さの無限ループ」を回し続けている最大の原動力となっている。

 そのあたりの問題を国際比較で明らかにしているのが、「物価」を研究している東京大学・渡辺努教授の研究室で行った調査だ。

「値上げを拒否」する背景

 渡辺教授著の『物価とは何か』(講談社選書メチエ)によれば、米国、英国、カナダ、ドイツの消費者と、日本の消費者に対して「いつもの店である商品の値段が10%上がっていた場合にどうするか」と尋ねたところ、日本以外の国の消費者は値上がりをしていても、やむなしと受け止め、高くなった商品を買うという答えが多かった。原料の価格や人件費などが上がればしょうがないと、値上がりを受け入れるのだ。

 しかし、われらが日本人はそんな寛容さはない。「その店で買うのをやめて他店でその商品を買う」「その店でその商品を買う量を減らす」が多く支持されたのである。この結果を受けて、同書では、「値上げを断固拒絶すのは日本の消費者だけ」と結論付けている。(提供:ゲッティイメージズ)

 なぜこんなにも日本人は異常なまでに「値上げ」に拒否反応があるのか。

 もちろん、そこにはこの30年間賃金がビタッと低いままで固定化され、ついには平均賃金で韓国にまで抜かれてしまったという「貧しい日本人」の実像があるわけだが、筆者は戦後70年で定着してきた日本人の「商売の美学」も無関係ではないと考える。

 歌手、三波春夫の「お客様は神様です」がモンスタークレーマーの免罪符として誤解をされてしまったように、日本には伝統的に客に対して過剰なまでにかしづいて、過剰なまでに奉仕をすることによって、「お得意様」になっていただく、というかなりストイックな商売文化が「常識」となっている。

 最低賃金労働者の高校生や外国人留学生などにまで、過剰に丁寧な接客、言葉遣いを強要するコンビニやファミレスがその最たる例だ。

 実はこの「客への過剰奉仕」というカルチャーが、日本の安売り競争の生みの親になった可能性が高い。それが戦後経済の黎明期に誕生する「出血受注」である。

 これはとにかく仕事を請け負うために、採算の取れないほど価格を下げるという商売スタイルで、1950年代の朝鮮戦争特需の際に、日本全国の企業で一気に広まった。とにかく景気のいいときに稼げるだけ稼いでいしまおうということで、コストをかえりみない破滅的なビジネスがちまたにあふれて、結果「安かろう悪かろう」の製品も多く流通した。そのあまりのなりふり構わずさが問題となって当時、国会でも取り上げられるほどだった。

「出血受注」は今も続く

 1953年、朝鮮戦争が休戦となって、この空前の出血受注ブームは一段落するが、これ以降、日本企業にとって「損して得とれ」というビジネス哲学ビタッと定着していく。つまり、とにかく客に安く買ってもらうことが商売の真髄なので、多少の赤字を垂れ流してでも「安さ」で売っていくというのがデフォルトになるのだ。

 その証が高度経済成長期に一気に増えたスーパーマーケットやパチンコ店などの軒先に多く掲げられた「出血大サービス」という宣伝文句である。近年は字面がよろしくないということで「死語」になったが、かつては、血を垂れ流しながら安いものをたくさん売って、それで利益を確保していくというのが、日本型ビジネスの常識だったのだ。

 そして、この伝統文化は令和日本にもちゃんと受け継がれている。例えば、イオンの「価格凍結」は巨大グループの規模を最大限生かしたスケールメリットの賜物であり、採算が取れないなんてことはまったくない。が、ちょっと視点を変えれば、そこで働く労働者たちは、最低賃金スレスレの賃金で働いており、家計も苦しいわけだから「出血」をしているとも言えなくもない。日本生産性本部が実施した顧客満足度調査で「イオン」は4位(出典:日本生産性本部)

 日本人が東京2020のときに誇らしげに胸を張ったコンビニもそうだ。外国人アスリートたちは「こんなおいしいパンが信じられないくらい安く買えるなんて日本はスゴい!」と賞賛したが、その常軌を逸した「安さ」は、パン工場やコンビニで働くバイトやパートの人が、地域内の最低賃金でも文句を言わずに働いてくれているから成立する。

 企業は赤字ではないが、労働者が「血」を流すことによって、海外の人々が驚愕(きょうがく)する「安くておいしいコンビニ飯」ができ上がっている。最低賃金労働者の使い方が見え方としてスマートに洗練されただけで、やっていることは「出血受注」とそれほど変わらない。

「賃上げ」に挑戦すべき

 企業からすれば、「世界屈指の安さに異常に執着する消費者」を相手に「値上げ」を宣言するなど、あまりに恐ろしくてできないというのはよく分かる。が、それを避け続けていたらいずれは、労働者の「血」だけでは済まず、企業本体まで大量の「血」を流さなくてはいけない。誰かがリスクをとって動かなければ、この「安さの無限地獄」からはいつまでも抜け出すことができないのだ。

 その先陣を切ることができるのは、イオンのように日本の雇用を支えている巨大企業だけだ。同社は「お客様第一主義」を掲げる一方で、「絶えず革新を続ける企業集団」だと自認している。

 「価格凍結」には一区切りつけていただき、これから日本経済の未来を見据えて非正規労働者の「賃上げ」という革新にもぜひチャレンジしていただきたい。

タイトルとURLをコピーしました